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【短編小説】109(『煩悩コントロール』トリビュート小説)

常に極上のスリルと興奮を

■あらすじ
不思議な膜に覆われた町に足を踏み入れたハートたち。
そこはゲームの世界の閉じこめられた町だった。

吉井和哉さん『煩悩コントロール』のトリビュート小説

「町が消えたって聞いてたけど」
 ハートは町の入り口で立ち止まる。
 町は大きなドーム状の黒い膜に覆われていた。町の名前が刻印された金属製のアーチ型のゲートがなければ、ここに町があったとはわからなかっただろう。中は見えない。光の反射によっては、表面がかすかに紺色に輝いて見える。触った感触はプラスティックに近いが、少し力を入れるとバルーンのようにへこむ。これまでに見たことがない材質だった。
「最初からこういう町ってわけじゃないよね」
「いや、バグってるだろ。どう見ても」
 ハートの肩に載っている黄色いサルのぬいぐるみ――モンキーが町の入口に向けて腕を伸ばした。
 ゲートも他と同じように膜で覆われているが、その表面に文字が浮かんでいた。
〈108GAMES〉
〈はじめカら〉
〈つづ から〉
 その文字は一部がズレて欠けていた。時折ノイズが走って文字全体が点滅する。
「バグったからこうなったのか、こうなったからバグったのか」
「どっちだっていい。さっさと入ろうぜ」
 髪を引っぱって急かすモンキーを手で制したハートは、首に引っかけている白いヘッドフォンに尋ねる。
「ファンキー。中からなにか聞こえる?」
「ダメ。完全に遮断されてる」
「そっか。じゃあとりあえず入ってみるしかないね」
 ハートはゲートに浮かんだ〈はじめカら〉のあたりへ進む。文字に手を伸ばしてみると、そこだけ霧を掴むようになんの感触もなかった。そのままゲートを通り抜ける。


 中は、外から見るよりずっと広かった。
 天高く伸びるビルにはさまれた広い道にハートは立っていた。頭上にはどんよりとした曇り空が広がっていて、本物の空にしか見えない。
 振り返ると今通ったはずのゲートはなくなっており、道とビル郡が広がっていた。その中でもひときわ高い建物に目がとまった。V字に分かれた道の間に建っており、縦に細長い建物のてっぺんには赤い〈0〉の文字が光っている。
 ハートが目の前に広がる街に圧倒されていると、突如、声がした。
「久々のプレイヤーだ!」
 振り返ると、燕尾えんび服姿のテンエイトが立っていた。深い紺色のジャケットはえりすそが流線型になっていて、かっちりしているけど優雅な印象を受ける。しかしジェリービーンズみたいにカラフルな丸や三角や四角を散りばめたデザインの蝶ネクタイのせいで、全体的な印象はお茶目なおじさんに着地している。最後に出巣リリースしたときの姿から少しも変わっていない。
「ようこそ『108GAMES』へ」
 両手を広げて歓迎を示すテンエイトに、ハートは微笑む。
「久しぶりだね。テンエイト」
「私はここの管理者だ。そこに三つのアイテムがあるだろ」
 テンエイトが指さした方向には、言うとおり、アイテムが宙に浮いていた。ハートはテンエイトに目を戻す。
「その前に、君と話がしたいんだ」
「好きなのをひとつ選んだらゲーム開始だ」
「この町のことなんだけど、君がやってるんだよね?」
「アイテムはあとで交換できるから、まずは直感で選んでみるんだ」
「全然聞いてないね」
 ハートは首をかしげる。
「私たちのこと、覚えてないのかな?」
「ゲーム中だから、そういう設定なのかも」
 家電仲間のファンキーが答える。テンエイトはひとたびスイッチが入ると、他のことが目に入らなくなることがあった。きっと今回もそうなのだろう。今もテンエイトは目を爛々らんらんと輝かせて、ハートがアイテムを選ぶのを待っている。
「仕方ない、やってみようか」
 ハートはアイテムに近づく。
 アイテムは三つ。
 人を丸ごと捕まえられそうな大きな虫取り網。
 蛍光ピンクの液体が入ったペイントガン。
 両端から骨が突き出ているかたまり肉。
 それぞれ地面に埋まった小さいサーチライトの光を浴びながら、ゆっくりと回転している。
 モンキーがおもしろがってハートの肩から下りてくる。
「肉いいじゃん! 肉、肉!」
「いやこの並びに肉あるの怖すぎでしょ! やめようハート。なんの肉かわかったもんじゃない」
「そうだね。今はお腹も空いてないし」
 ハートは虫取り網を手に取った。ハートがファンキーの提案を受け入れたのが気に入らないのか、モンキーはハートの靴を蹴った。ぬいぐるみなので、ちっとも痛くない。
 テンエイトが待ちかねたように、よく通る声をはり上げる。
「ああ、君ならそれを選ぶと思っていたよ! よし、早速ルールを説明しよう! 実は大切な友達がどこかへ行ってしまって困っていたんだ。すべて捕まえてくれたら、いいものをあげよう!」
「ちょっと待って、友達なのに捕まえるってどういうこと」
「では、ゲームスタート!」
 テンエイトが高らかに宣言すると、ポンと風船が弾けるみたいな音がしてゾンビが現れた。皮ふは腐り、真っ赤な目はどこを見ているのかわからない。
「は?」
 ポン、ポン、ポン、ポン、と次々とゾンビが出現していき、道はゾンビだらけになった。そのうちの一体が、ぽかんとするハートに腕を伸ばす。
 そこへ飛びこんできたモンキーが、ゾンビのひざの裏に飛び蹴りをくらわせた。細いゾンビの脚がかくんと折れて動きが止まる。
「ぼさっとすんな!」
 肩に飛び乗ったモンキーに怒鳴られて我に返ったハートは、首から下げたヘッドフォンに触れた。
「ファンキー、お願い」
「任せて!」
 ヘッドフォンから出た白い光の玉が縦に伸びていき、長髪の女性へと姿を変える。ファンキーが胸いっぱいに息を吸いこむのを見たハートは、耳をふさいでその場にしゃがんだ。次の瞬間、ファンキーの叫びでゾンビが吹き飛んだ。周囲の空気を押しのけるほどの大音量を発しながらその場で一回転し、近寄ってくるゾンビをすべて押し戻す。ハートとファンキーを中心に数メートルほどの空白ができあがり、少しだけ、周囲の状況を観察する余裕ができた。
「これからどうする?」
 ファンキーは乱れた紫の髪を後ろに束ねながらハートを見る。ハートはのんきに「どうしようね」と笑う。その肩の上でモンキーが飛び跳ねていた。
「オレも出せ! オレも出せ!」
「わかった、わかった」
 ハートが触れるとぬいぐるみはくたっと力を失い、モンキーは女に姿を変えた。明るい黄色の髪はツンツンと逆立つほど短い。胸から上だけを覆うぴっちりしたウェアに、動きを妨げない程度のゆとりがあるズボンを身に着け、その間に見える腹部にはくっきりとシックスパックが浮かび上がっている。上半身のストレッチをしながら、素足がアスファルトの上で軽く弾む。
「ようはこいつら、とっ捕まえればいいんだろ!」
 ハートから虫取り網を奪い取ったモンキーは、止める間もなくゾンビへ突っこんでいく。虫取り網を振り上げると、一番手前にいたゾンビの頭から網をかぶせた。
 ポン、とさっきの音がして、網の中のゾンビが消えた。中身のなくなった網がぱさっと落ちる。
「あれ、見て」
 ファンキーがビルのてっぺんを指さす。さっきまで〈0〉だった赤い文字が〈1〉に変わっていた。
「あれで正解みたい」
「じゃあ、いなくなった友達ってゾンビなの?」
「そのとおり!」
 解せない顔をするハートを尻目に、テンエイトがビルの数字を指さす。
「友達は全部で百九人! すべて捕まえてくれたら、いいものをあげよう!」
「もうどこから突っこんでいいのかわからないよ」
 言っているそばから、ビルの数字が〈2〉、〈3〉、〈4〉と増えていく。モンキーは次々にゾンビを網におさめていく。
「結構楽しいぞこれ!」
「捕まえるのもいいけど、ちゃんとハートを守ってよ! この間みたいに捕まっちゃったら、また面倒なことになるからね!」
「楽勝だよ。こいつらトロいから」
 ファンキーの忠告を笑い飛ばしたモンキーは、また一体、ゾンビに網をかぶせる。その腕に、別のゾンビが噛みついた。
「痛って!」
 モンキーはゾンビを振り払う。袖なしの服から伸びた腕には、くっきりと歯型がついていた。それを見たファンキーは顔を引きつらせる。
「ねえ、あれ、ヤバくない?」
「でも友達を連れ戻すゲームだから、ゾンビ要素はおまけかもしれないよ」
 ハートの楽観的な言葉が終わらないうちに、モンキーに異変が起こっていた。体がぶるぶると震え、のどの奥から獣のような低いうなり声がもれてくる。真っ赤に充血した目でハートを見ると、まっすぐに向かってきた。
 ファンキーがハートの前に出た。息を吸う。
「だから言ったじゃない!」
 ファンキーの怒りの声にモンキーは弾き飛ばされる。しかし器用に空中で体勢を立て直すと、四足で音もなく着地し、またすぐに向かってきた。
「ああ! もう! マジで、厄介!」
 ファンキーは短い咆哮ほうこうを連射するが、モンキーの軽い身のこなしでかわされる。回避しながらモンキーはどんどん接近してくる。
 ハートは背負っていたリュックに手を添えた。
「ジャンキー」
「うい」
 リュックから飛び出した白い光がふたりの頭上を越え、オーバーオールの巨漢へと姿を変えた。そのままモンキーにの上に落ちていく。ずんと地面が揺れた。ジャンキーのヒップドロップで身動きが取れなくなったモンキーは、うなり声を上げながら手足をめちゃくちゃに振り回して暴れている。
 ジャンキーはいつもと変わらぬ、仏のように穏やかな丸顔で地面を指さした。
「網」
 虫取り網が落ちていた。ハートは網を拾い、モンキーの頭にかぶせる。
 ポンッ、とモンキーが姿を消し、ジャンキーがすとんと地面に落ちる。
 ハートは地面に広がった網を見つめる。
「これ、捕まったあと、どうなるのかな?」
「さあね! 今そんなこと! 考えてる余裕! ある!?」
 ファンキーは近づくゾンビを声で狙い撃ちする。さっきモンキーが言ったとおり、ゾンビの動きは遅い。しかし数が多いのでファンキーひとりではさばききれず、安全地帯の輪はじりじりとせばまっていた。
 ジャンキーはハートの背負っているリュックに手を突っこむと、水鉄砲を取り出した。中には水が半分ほど入っている。
「総力戦」
「そうだね。おいでラッキー」
 ジャンキーが差し出した透明な水色の水鉄砲に、ハートは触れる。水鉄砲から現れた白い玉は、カウボーイハットの男に変化する。ラッキーは目の前に広がる光景を目にするなり「うえぇ」と顔をしかめた。
「出なきゃダメ? ボクこういうグロい系ほんと無理なんだけど」
 ラッキーはゾンビのうめき声の間に、かすかに別の声が混ざっていることに気づいた。
「ナ、カ、マ」
「サミシ、イ」
「イ、ショニ、ァソボ」
「ちょっとこのゾンビめっちゃしゃべるんだけど! 怖っ!」
「捕まってグロ仲間になりたくなかったら頑張んなさい」
 ファンキーに背中を強く叩かれたラッキーは、渋々、戦闘態勢に入る。
「まったく、人使いが荒いんだから」
 ぼやきながら、ラッキーはすらりと長い腕を前に伸ばす。人差し指と親指だけ伸ばし、他の指は軽くにぎる。人差し指を一番接近しているゾンビに重ねると、口の中で小さくつぶやいた。
「バン」
 狙いをつけたゾンビが片足を払われたようにバランスを崩して倒れる。ラッキーは隣にいたゾンビにも狙いをつけた。指先から放たれた高圧縮の水の玉がゾンビの額に直撃すると、そのまま後ろへ倒れた。ハートがすかさず、倒れた二体のゾンビに網をかぶせる。
 ビルの上の赤い数字は〈7〉になっていた。
「この感じで続けてみよう。クリアすればテンエイトにモンキーのことも聞けるかもしれない」
 ハートの言葉に三人はうなずく。
 四人の役割を分けることにした。ラッキーがゾンビの動きを止め、その間にハートが網で捕まえる。ファンキーは余計なゾンビが近寄らないよう周囲を警戒し、ジャンキーはハートを守る。無理はせず、着実にゾンビを捕まえていく。
 ラッキーは二丁拳銃スタイルでゾンビの足を次々に撃ち抜いていく。ところが突然勢いを失い、ポタポタと指先から水がこぼれ落ちた。ハッとしてラッキーは振り返る。
「ジャンキー、水!」
「うい」
 ジャンキーは自分の腹についているポケットに手を突っこむと、ペットボトルとさっきの水鉄砲を取り出した。空になった水鉄砲のふたを爪の先で器用に外し、その穴へペットボトルから水を注いでいく。しかし穴の大きさはペン一本分程度しかないので、なかなか水はたまらない。
「早くー!」
 無防備になったラッキーは途端に弱気になり、そわそわと周囲を見回す。突然、背中から掴みかかられた。顔を後ろに向けると、大きく開いたゾンビの口が迫っていた。ラッキーは悲鳴を上げる。
 刹那せつな、ゾンビの顔にノイズが走ったかと思うと、姿を消した。それと同時に、一メートルほど横で、ガチンとなにもないところを噛む音がした。ラッキーと、ラッキーを噛もうとしていたゾンビは首をかしげる。
 ジャンキーは水鉄砲にふたをかぶせ、手の平でパチンと叩いてはめこんだ。
「満タン」
「よしっ!」
 ラッキーは再び腕を伸ばし、接近していたゾンビを片っ端から撃ち抜いていく。
「いつも思うけど、もうちょっと素早く給水できませんかね。あとこぼすなよ。大事な水なんだから」
「文句あるなら自分でやる」
 ラッキーの苦情を一蹴したジャンキーは、水鉄砲とペットボトルをポケットに戻しハートの警護に戻る。ジャンキーの足元には、水鉄砲からこぼれた水がアスファルトに染みを作っていた。それを信号機の上から見ていたテンエイトは声をはり上げる。
「つまらない!」
 突如、すべてのゾンビがぴたりと動きを止めた。ハートがゾンビに網をかぶせたが、消えずにそのままだ。
 テンエイトは失望に顔を歪ませる。
「いけない! こんな簡単なゲームではいけない!」
「これのどこが簡単!?」
「私には常に極上のスリルと興奮をプレイヤーに提供する義務がある!」
「ちょっと聞きなさいよ!」
 ファンキーの声など耳に入っていないテンエイトは、何もない空に向かって宣言する。
「ゲームを変更する!」
 ハートたちを取り囲んでいたゾンビがいっせいにポンと音を立て、縮んだ。ゾンビはゾンビだが、身長はハートの腰くらい、ポップな三頭身キャラクターに姿を変わっている。それぞれの手には、バケツや水風船、水鉄砲などを持っている。
「ぬりつぶせー!」
 テンエイトの号令で、ゾンビがいっせいに動き出す。蛍光グリーンのペイントと水風船が雨のように降り注ぐ。
 ジャンキーが素早く前に出た。ポケットから取り出した大きな真っ黒い傘を広げる。斜めに傾けた傘がペイントを受け止めるたび、パチャパチャとやたらポップな音を立てながら激しく震える。ジャンキーは両手で柄をしっかり持ち、衝撃に耐える。ハートたちは傘の影に隠れたが、防ぎきれなかったペイントがラッキーの靴から地面にかけてべったりとかかった。とっさに足を引こうとしたが、ペイントはガムみたいになかなかはがれない。
「くっつくぞこれ!」
 第一波が止んで、ファンキーはあたりを見回した。地面も建物の壁も、そこら中で蛍光グリーンに染まっていた。
「これ知ってる! 色ぬって陣地取りするゲームだよ」
「そうか!」
 ようやくペイントから靴をはぎとったラッキーは、スタート地点へ目をやる。ハートが選ばなかったふたつのアイテムが、今もサーチライトに照らされていた。
「援護して」
「オッケー」
 ラッキーは傘の影から飛び出した。ラッキーに水鉄砲を向けるポップなゾンビたちを、ファンキーの咆哮で吹き飛ばす。なんとかグリーンに染まった地面を踏まずにアイテムまでたどり着いたラッキーは、ペイントガンを手に取った。マシンガンタイプの大きなペイントガンを腰溜めにしてトリガーを引く。蛍光ピンクのペイントが連続で発射され、ゾンビの足を地面にはりつける。
「いいぞ」
 地面をピンクに染めながらラッキーは走る。ピンクの上であれば普通に動くことができた。
「よし、仕組みはわかった。で、何をすればいいんだ?」
 戻ってきたラッキーは、近づいてくるゾンビを撃ちながら安全な地面を確保する。ハートは手持ちぶたさといった感じで、空になった手を広げる。
「虫取り網は消えちゃったよ」
「陣地取りなら、広い範囲をぬった方が勝ち?」
「ならあの数字は?」
 ファンキーがビルの上を指差す。赤い数字は〈31〉そのまま残っている。
 議論に気を取られていたファンキーの背中に、パチャッとペイントが当たった。
「アノコガ、ホシイ」
 水鉄砲を構えたポップゾンビが、振り返ったファンキーの胴体に立て続けにペイントを撃ちこむ。他のゾンビも、動きが止まったファンキーを狙って水風船をぶつけに来る。
「アノコ、ホシイ」
「ソウシヨウ」
「ソ、シヨウ」
「そういうゲームだっけ!?」
 あっという間にファンキーの体が蛍光グリーンに染まっていく。ラッキーが慌てて反撃するが、そのときにはグリーンじゃないところを探す方が難しくなっていた。
「ファンキー、大丈夫か?」
 ファンキーは撃たれた姿勢のまま動かない。
 ゴゴゴ、とどこからか地鳴りに似た低い音がしたと思ったら、轟音とともに吹っ飛ばされた。数メートル先の下がった地面に叩きつけられる。
 地面のペイントも飛ばされて、ファンキーを中心にした扇型の一帯だけがアスファルトの黒に戻っていた。全身グリーンに染まったファンキーの、赤い目がハートたちをにらむ。
「まずいぞ」
 ラッキーはハートを起こして走ると、直前までいたあたりをファンキーの咆哮が通りすぎた。ジャンキーも俊敏な動きで回避行動を取った。ファンキーはペイントもゾンビも電柱もお構いなしで、目の入ったものは手当り次第に吹き飛ばしていく。巻き上がった粉塵にまぎれて、三人はビルの影に身を隠した。
「飛び道具の範囲攻撃って反則かよ!」
「今さら?」
 冷ややかに突っこむジャンキーを、ラッキーはにらみ返す。
「お前のポケットにファンキーに勝てる武器は入ってないのか」
「武器は趣味じゃない」
「じゃあどうすんだ。ファンキーをなんとかしないと、ゲームのルールをさぐるどころじゃないぞ」
「じゃあ私がおとりになる」
「え、待った、ハート!」
 止める間もなく、ハートは飛び出していってしまう。
「キングが囮になるやつがあるか!」
 ラッキーは慌てて援護射撃する。ハートの行く手を遮ったり、狙ったりするゾンビの動きを止める。
 ファンキーはすぐに気づき、ハートへ咆哮を放つ。ハートの足はお世辞にも速いとは言えない。しかしグリーンのペイントを飛び越えたりよけたりしながら走るおかげでタイミングがずれて、なかなか当たらなかった。
 ファンキーが声でハートを追いかけているすきに、ジャンキーは背後から音もなく接近した。素早く羽交はがい締めにして、頭を両手でがっしりと押さえこむ。ファンキーは暴れてめちゃくちゃに声を発射する。
「早く!」
 咆哮の衝撃で、ジャンキーの巨体が後ろへとずり下がっていく。
 次の瞬間、ファンキーの口が、ピンクのペイントで埋まった。パチャ、パチャ、パチャと休みなくペイントが撃ちこまれ、ファンキーの体がみるみるピンクに染まっていく。やがて、ポンと音がしてファンキーが消えた。
 ピンクのペイントまみれになったジャンキーを見て、ラッキーは満足そうに笑う。
「ボクの気持ち、わかったろ?」
 ジャンキーはムスッとしただけで何も言わなかった。
「見て」
 ハートがビルの上を指さす。赤い数字が〈32〉に増えていた。ラッキーがニヤリと笑う。
「そういうことなら、ボクの活躍をとくとご覧いただこうかな」
 ラッキーは正確無比な射的で次々にゾンビをピンクに染め上げ、消していく。その背後をジャンキーが守る。ふたりにはさまれる位置に陣取ったハートは、ふたりの目となって死角からのゾンビの接近を知らせる。そうやってお互いを守りながら、順調にゾンビを消していく。ゾンビに近づく必要がないので、網のときよりもいいペースでビルの数字は増えていった。
 ビルの数字が〈108〉に届いたとき、テンエイトの声が街中に響き渡った。
「ゲームを変更する!」
 街にいたすべてのゾンビが一瞬にして消えた。地面や壁をぬりつぶしていた二色のペイントもあとかたもなく消え去り、元のビル街に戻っていた。
「ちょっと! なにすんだよ!」
 あと数発でぬりつぶせるというところでゾンビもペイントガンも消えてしまったラッキーは、抗議の声を上げる。
 赤い〈108〉の〈0〉の上に立ったテンエイトは、険しい顔でぶつぶつと同じような言葉を繰り返している。
「これではいけない。これではいけない。こんな簡単なゲームではプレイヤーを満足させられない」
 冷たい風が吹いてきたと思ったらみるみる空が暗くなり、ポツポツと雨が降りだした。ジャンキーがハートの頭の上にさっと黒い傘を差し出す。
 ラッキーは風に負けないよう声をはり上げる。
「クリアされそうになったからゲーム変えんのか? 卑怯だぞ!」
「私には常に極上のスリルと興奮をプレイヤーに提供する義務がある!」
「それはさっきも聞いたよ! いいから下りてこいって。あんたに話があるんだ」
「クソゲー、無理ゲー、作業ゲー、一本道、単調、冗長、マンネリ、エトセトラ! そんなゲームを私の中でプレイすることは許さない。ここでやるゲームはすべて私がコントロールする!」
 雨もどんどん強くなり、ビルの間を抜ける風がうなりを上げる。
 テンエイトの目は、もうハートたちを見てすらいない。ひとりで芝居の舞台に立っているかのように、何もない空中に向かって、両腕を大きく広げる。
「さあ、さらなる没頭を! 没入を!」
 雷鳴が轟いた。
 テンエイトが姿を消したかと思うと、黒い空で何かがうごめいているのが見えた。初めは大きすぎてよくわからなかった。稲光に鱗や長い体が映し出されるうちに、徐々にその全貌ぜんぼうが掴めてくる。
 とてつもなく大きな青い龍が、ビルの街に降りてくる。一番高いビルよりも長い体を、ウミヘビのようにうねらせながら空中を泳いでいる。
 ふつふつと熱を蓄える火口のように赤い瞳が地上にいるハートたちを捉えるなり、まっすぐに向かってきた。
 ハートたちは慌ててビルとビルの隙間へと逃げこんだ。直後、龍がすさまじい勢いで道を通りすぎ、まっすぐ立っていられないくらいの突風と水しぶきが吹きつけてきた。ジャンキーの傘が一瞬でひっくり返り、弾き飛ばされる。
 なんとか風からカウボーイハットを守り抜いたラッキーは天を仰ぐ。
「冗談じゃないよ! あんなのとどうやり合えっての!?」
「飛び道具の出番」
「効くと思う? 鱗がハートよりでかいんだぞ」
「まず試す」
 ジャンキーはラッキーの背中を突き飛ばす。通りに放り出されたラッキーを見つけた龍が、上空で旋回して戻ってきた。
 ラッキーは半分やけくそになって両手を龍に向ける。見るからに固そうな鱗は避けて、鼻や目を狙って撃ちまくった。水切れするまで撃ち続けたが、龍は痛がる素振りも見せず突っこんでくる。
「ほらやっぱ効かない!」
 龍が口を開ける。電柱ほどの太さがある牙がびっしりと並んだ口の奥には、深い洞窟のような闇が広がっている。
 ラッキーは涙目になりながら道の端へと走る。倒れるように地面を転がったことで、ぎりぎり龍の口から逃れた、はずだった。
 ラッキーがジャンプするのとほぼ同時に、龍の体にノイズが走った。まばたきする一瞬だけ消えた龍は、少し位置をずらして再出現した。丁度、ラッキーの真正面に。
 突風とともに龍が通りすぎる。
「ラッキー!」
 ハートが通りを見渡すが、ラッキーの姿はなかった。
 龍はすぐにまた旋回して戻ってくる。ジャンキーはハートの頭を守り、地面に伏せさせた。龍の口がコンクリートのビルをビスケットのごとくかじり取る。ジャンキーはハートを脇にかかえ、頭上から降り注ぐ瓦礫の間をすり抜けて走る。
 通りまで逃げたジャンキーは、ハートを下ろすなりポケットをさぐる。
「ハート、お願い」
「なに?」
「あれ取ってきて」
 あれ、とジャンキーが残った最後のアイテムを目で指し示す。引き受けたハートは走って取りに行く。サーチライトに照らされた骨つき肉は、彼女の頭よりも大きかった。それをかかえて戻ると、ジャンキーはポケットから釣り竿を引っぱり出しているところだった。釣り糸の先についた針を肉に引っかける。
「ゲームを変更する!」
 宣言しながら釣り竿を前後に何回か振ったジャンキーは、竿先を力いっぱい前へ放った。糸に引っぱられた肉がハートの手から離れ、空へ飛んでいく。
 肉に気づいた龍は急上昇し、口を開けた。
 肉に食いついた瞬間、ジャンキーは竿を引く。
〈HIT!!〉
 どこからともなく吹き出しが現れた。
 違和感に気づいた龍が体をくねらせる。周囲のビルをなぎ倒して暴れるが、口に入れた肉は意地でも出そうとしない。ビルに突っこんだ胴を持ち上げたとき、糸が緩んだ。
 その一瞬を見逃さず、ジャンキーは竿を立てた。竿の尻を腹に押し当て、一気にリールを巻く。
 綱引き状態になり、じわじわと距離が縮んでいく。ジャンキーは龍の動きの切れ間を狙ってどんどんリールを巻いていく。
 初めは勢いよく暴れていた龍だが、口に食いこんだ針をぐいぐい引っぱられるたびに勢いを失っていく。
 このままいけば釣り上げられるかもしれない。そんな希望が見えた頃だった。
 龍が最後の力を振り絞って頭を振った。踏ん張ろうとしたジャンキーの足が、雨にぬれたアスファルトで滑る。ハートが慌てて腰を掴んで支えようとするが、もろとも地面に引き倒された。
 転んだ拍子にジャンキーのポケットの中身が飛び散る。
 サルのぬいぐるみ、水鉄砲、着せ替え人形、カセットテープ、マフラー、空き瓶、石、お菓子の包み紙……そしてゲーム機のコントローラー。
 それを目にした龍の動きが止まった。
 ゆっくりした動きで、コントローラーへと顔を近づけていく。
 龍の赤い瞳に、ハートが映りこんだ。
 龍に歩み寄ったハートは両手を一杯に伸ばして、その巨大な顔に優しく抱きついた。
「捕まえた」
 ポン、と龍が消える。
 かわりにハートの腕の中にいたのはテンエイトだった。
 テンエイトはしゃがみこむと、コントローラーをそっと拾い上げた。あちこち傷だらけで、ボタンの塗装ははがれ、スティックには歯型がついている。
「知っている、気がする」
「やっぱり、覚えてないんだね」
 ハートはテンエイトの正面にしゃがむ。彼にもう敵意はなかった。ただじっと、手の上のぬれたコントローラーを見つめている。
「短い時間だったけど、君はその子と一緒だったんだよ」
 散らばったものを全部ポケットに戻したジャンキーは、かわりにゲーム機を取り出して差し出した。黒に近い紺色の箱型をしており、ところどころに流線型の切りこみが入ったスタイリッシュなデザインだ。しかしその表面はコントローラー同様、傷だらけだ。
 百八種類のゲームがプリインストールされているというのが最大の特徴のゲーム機だ。本体は高額だがゲームひとつひとつのクォリティーが高く、値段以上の価値があると評判だった。
 しかし彼らの持ち主は、その価値に関わらず、ものを大切にすることができない人間だった。
 気軽に買い替えられるコントローラーに比べればいくらかましではあったが、本体も大事にされているとは言えなかった。本体に印字された〈108〉の文字は削れて〈109〉になっている。傷は外側だけではない。目に見えない内部にも及んでいた。
「だから、捨てられた」
 テンエイトの目が焦点を取り戻す。立ち上がると、ふらふらと一番高いビルの方へ歩きだした。
 ビルの上では赤い〈109〉が輝いていた。その数字から壁を伝って赤い線が下へ伸びている。線の先には、絵に描いたような宝箱があった。木の板を組み合わせてできた丸くカーブしたふたを、テンエイトは開ける。
 中には、色も形も年代も異なる、さまざまなゲーム機のコントローラーが詰まっていた。
「だから、友達を探していた」
 どこかに漂っている記憶に手が届きそうな予感があった。テンエイトは記憶の霧の中へ意識を飛びこませる。
 廃棄される寸前にハートに拾われ、テンエイトはリリースした。彼の少し前にリリースして旅立ったコントローラーを探すためだ。捨てられる身になってみて、初めて寂しさというものを知った。常にコントローラーがそばにいたから、ひとりになるのは初めてだったのだ。自分は高価な本体だから、コントローラーと違ってすぐには捨てられないというおごりがあったことにも気づいた。先に捨てられていったコントローラーたちを思うと胸が傷んだ。今からでもいいから、もう一度友達になりたい。そう思って旅に出たのだ。
 そしてこの町にたどり着いた。
「でも、この町は私を受け入れなかった」
 よそ者を嫌う町だった。着いてすぐ追い回され、乱暴に町から放り出された。
 そのときだ。
 テンエイトの中でなにかが壊れた。壊れてはいけない部分が、文字通り、壊れたのだ。
 そこから先の記憶はさらにあいまいだ。
 気がついたらずっと、ゲームの中にいる。どんなゲームをしているのかも、だれがプレイヤーなのかも、よくわからない。それでもずっとゲームに夢中になっていた気がする。でも、ほとんど覚えていない。ゲームは楽しいはずなのに。興奮も、達成感も、悔しさも、感動も、なにも感じない。それなのに、やめることができない。やればやるほど、物足りなさや寂しさがふくらんでいくばかりだった。
「助けてくれ」
 ハートを見るテンエイトの目は疲れ果てていた。
「私はもう、私をコントロールできない」


 テンエイトが帰巣リターンしたことで、町も人も元の姿を取り戻した。
 黒いドームが消えた町は、なんてことはない、ひっそりとした町だった。高いビルなんて影も形もない。町の中心にある道沿いに小さな商店が並んでいるくらいで、あとは民家と農地だ。
 ゾンビは町に住んでいた人で、異変に気づいて町に訪れた人や旅人を取りこんでどんどん人数が増えていったようだ。ゾンビになっていた記憶はあまり残っていないらしい。ゲームの町はあちこち壊れたが実際の建物にはなんの被害もなく、人々は思ったよりもあっさり元の生活を取り戻した。
「あんだけめちゃくちゃやってたやつが、まさか大人しくリターンするとはな」
 ハートが背負ったリュックの上に寝そべったサルのぬいぐるみが、つまらなさそうに言う。早々にゾンビになって退場してしまったので、そのあとの展開を見逃してちょっとすねているのだ。
「テンエイトは別に、わざとやってたわけじゃないよ。自分では止められなくなっちゃっただけで」
 ハートはあまり揺らさないようゆっくり歩きながら答える。
「それに、こっちなら友達と一緒にいられるしね」
 テンエイトが戻ったゲーム機の本体と、あの傷だらけのコントローラーは、ジャンキーのポケットの奥にしまってある。ケーブルをつないであるから、もうはぐれることはないだろう。
「でも、もうしばらくゲームはやりたくないわ」
 首に下げたヘッドフォンのぼやきに、ハートは笑いをこらえる。
「ゾンビファンキー、ラッキーが嬉々として撃ってた」
「おまっ、言うなよ!」
 リュックの告げ口に、リュックの中からかすかに水鉄砲が講義する声が聞こえた。
 身につけたものたちがやいのやいのとやり合うのを聞きながら、ハートは町の出口を目指す。

〈了〉

Photo by はろ
Edited by 朝矢たかみ


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