見出し画像

コミュ力Lv.12が初めて海外セレブに会ってきた話(前編)

東京コミコン2023でユアン・マクレガーとマッツ・ミケルセンの神々しさにアワアワしただけのお話。
恥ずかしすぎてひとりでかかえきれなかったので、もう開き直ってその全部さらけだすことにした。
笑ってやってくれ……!


はじめに

 東京コミコン2023に行ってきた。千葉県にある幕張メッセで12月8日(金)〜10日(日)まで開催されていて、私は土日に参加。目的は色々あったけど、一番はなんといっても、海外セレブとの写真撮影とサイン。
 多くの人がそうであるように、私もまた有名人とお近づきになる機会などない人生を送ってきた。握手会やファンミーティング的なやつに参加したこともない。だから有名人を至近距離で拝むのは人生初だったわけである。
 そんな初体験がユアン・マクレガーって。
 しかし二日続けて会っちゃった。
 そこへマッツ・ミケルセンという、でかすぎるおかわりまでついてきた(注文したのは自分なんだけど)。
 もう完全にキャパオーバー。
 これを書いている今も現実感がない。己の処理能力を超えた幸せの洪水に、ただただ打ちのめされている。同時に反省点も山ほどあって、この数日は「最高だった(語彙力ごいりょく)」と「あのとき、ああしていれば」をずっと反芻はんすうしている状態だ。
 でてから30分放置したスパゲッティみたいにグチャグチャのひとかたまりになったこの感情に整理をつけて、次の機会のための手引書兼いましめにしようと思ってこれを書き始めた。
 ついでに、最近は小説でもつぶやき(ポスト? は? なにカッコつけちゃってんの)でもない文章は書いていなかったので、どうせなら見せられる形で残そうと思った。だからほんのちょっとだけ、カッコつけて書いていこうと思う。

 最初に簡単な自己紹介。
 中学生のころに海外ドラマにハマってから、ずっと映画や海外ドラマが好きだ。
 基本的にどこかへ行くときはひとり。映画も演劇もラーメンも焼き肉も水族館も登山もひとり。だれかと一緒に行くのも好きだけど、自分から誘うのがとにかく苦手で、結局いつもひとりでふらりと行ってくる。
 ようするに、人見知りなのだ。
 交流会とかオフ会とか聞いただけで震え上がってしまう。知らない人怖い。
 そのせいで、コアなファンが集まるイベントは苦手意識がある。
 学生のころからずっと吉井和哉さんとTHE YELLOW MONKEYが好きだけど、ライブに行けるようになるまで五年くらいかかった。当時はライブそのものに行った経験がなかったこともあり、ライブ会場にいるのは全員ガチファンだと思いこんでいた。イントロを二秒聞いたらどの曲か判別できて当たり前。曲中に手の振りを間違えたり、うっかり「イエモン」なんて口にしようものなら古参のファンにボコボコにされるんじゃないかと、わりとマジでおびえていた。だから最初の何年かは「行ってみたい、かも」と芽生えた気持ちを「お前ごときが足を踏み入れていい場所ではない!」と叩き潰していた。意味不明である。
 もうタイトルの意味がわかっていただけただろう。
 レベル12。故郷を出て、次の村までは行けるけど、その次の村はちょっと厳しい。魔法なんかまだ使えない。そんなレベル。スキル「外面」を使えば多少のバフは得られるが、使うほどHPが削られるし、なんなら集中力低下というデバフがついてくることさえある。
 そんなコミュニケーションのポンコツが、憧れの相手に会ったらどうなるのか。そのありさまをご覧に入れよう。

初めてのコミコン(2022)

 私が初めて行ったコミコンは去年(2022年)の東京。
 私のTwitter(一生この名で呼び続けてやる)やイラストを見ているかたならご存知かと思うが、私はジェレミー・レナーが好きだ。実はハマるちょっと前にジェレミーがコミコン(2018)で来日していたことを知り、どうしてあとちょっと早くハマらなかったんだ! と、とても悔しい思いをした。
 ジェレミーの影響でMCUにもハマり、コミコンに対して「行ってみたい、かも」が芽生えてきた。
 ところがそんな芽生えを自分で叩き潰すより先に、新型コロナウィルスの影響で2021の東京と2022の大阪が開催中止となった。そのおかげでというのも変な話だけど、その間に「そろそろ行っても大丈夫なんじゃない?」と自分の中でGOが出た。
 満を持しての東京コミコン2022開催決定。イベント関連はもろもろ規制も緩和されてきたころだ。
 その段階ではまだ来日セレブについての情報は出ていなかったが、推しが来日しなくても、一日は参加するつもりでいた。
 まず参加に必要なのはコミコンの入場券だ。なにせ初めてなので、どの程度の争奪戦が予想されるのかわからなかった私は、ライブや演劇の先着チケットを取りに行く感覚で、発売開始時間ぴったりにサイトへアクセスし、入場券を購入した。結局この年は当日券が出たので、私は虚無きょむと戦っていただけなのだが、そのときはチケットが取れた安堵あんどでご満悦だった。
 会期は金・土・日の三日間で、だれがどこに来てもいいよう、三日分の入場券を買った。ぴあで買ったチケットはリセールに出すことができるので、セレブ情報が出そろった段階で、不要なチケットはリセールに出せばいいや、というなんとも安易な考えだった。
 そんないきあたりばったりな買い方をしていた私のもとへ、奇跡的に、ジェレミー・レナー来日の知らせが飛びこんでくる。いやぁ、願えば叶うことってあるんだな。
 セレブとの写真撮影とサイン会には、入場券とは別にチケットを購入する必要がある。こちらは正真正銘、争奪戦だ。それでもなんとか、撮影とサインのチケットを二枚ずつ確保できた。
 ここまではとっても順調。あとは会うだけ。
 でも当日が近づくにつれて、だんだんナーバスになってきた。そりゃそうだ。レベル12でいきなりラスボス(最推し)に会うのだ。生きて帰れるわけがない。めちゃめちゃ会いたいのに、会いたくない。会うのが怖い。完全に情緒不安定。こんなことなら一生「いつか会いたいなー」とがれている方がましだったのではないか、そんなことまで考え始める始末。
 そんな中でも、会ったらなんて言うか考えたり、手紙を書いたり、プレゼントを用意したり、自分なりにできることは必死にやって準備したつもりだった。
 とはいえ、セレブの来日は急なキャンセルがよくあると聞いていたので、もしかしたら、という覚悟はしていた。だからギリギリまでチケットの発券もしなかった。けれど開催まであと数日になって、もうここまでくれば大丈夫だろう、明日あたり、チケットの発券をしてこようかな。そんなことを考えていたころ、その知らせはやってきた。
 ジェレミーの来日キャンセル。
 Twitterでお知らせを見た瞬間はとにかくショックで「えぇ〜〜〜〜〜〜(涙声)」と、文字通りその場に崩れ落ちた。そのあともふと思い出すたびに「えぇ〜〜〜……(へたりこむ)」となって仕事も家事も手につかない。
 実質、私の東京コミコン2022はここで終わった。
 一応、会場には一日だけ行ってきた。入場前から私のテンションが墜落寸前の低空飛行だったことに加え、まだコロナの影響を引きずっていて来場者数が少なかったこともあって、念願の初コミコンだったにも関わらず「こんなもんか」って感じだった。
 セレブエリアはメインエリアと同じホールにあって、セレブに会うために待っている人たちの列が見ることができた。ドキドキした面持ちで順番を待つ人や、セレブに会えて感動の涙を流している人を見たときには、うらやましいような、ねたましいような、あんまりよくない種類の感情がもやもやと湧き上がってきた。
 頭上には来日セレブの顔写真が並んでいた。ジェレミーの写真の下には「HOPE TO SEE YOU IN 2023」と書いた幕が下がっていて、気持ちはおれていく一方だった。
 楽しみたい気持ちはあったけど、気分が上がる気配はこれっぽっちもなく、すごすごと帰った。

東京コミコン2023 チケット購入

 そして今年。
 2023年10月、東京コミコン2023にユアンが来日すると発表された。
 私は今年のはじめ、いまさらながらユアンとニコール・キッドマン主演の映画『ムーラン・ルージュ』にドハマりしていた。ブルーレイを買い、サントラを買い、中古で映画パンフレットを買い、丁度日本で上演されたミュージカルを見に行き、ミュージカル版のサントラも買った。今も映画版とミュージカル版のサントラを交互に聞きながらこれを書いている。
 そんなことがあって、私的に今年はユアンが熱かったのだ。だから情報解禁されたその瞬間、絶対会いに行くと決めた。
 チケットはやはり争奪戦だった。
 時間ぴったりにぴあにアクセスしたが、アクセス集中でなかなか入れず、ようやく入れたときにはすでにいくつかの時間帯で売り切れだった。それでもなんとか、サインと写真撮影を一枚ずつ確保できた。
 撮影が9日(土)、サインが10日(日)だったので、入場券は2枚必要だ。今年はこの段階で入場券を買った。去年の経験から、入場券の購入はセレブチケットを購入してからにしようと最初から決めていたのだ。今年は、1日券を2枚買うのと、3日間通し券は値段が同じだった。通し券は首から下げるタイプのパスがもらえて、Tシャツのおまけもついてくるそうなので、通し券を買ってみた。
 これで準備は整った。あとは行くだけだ。
 来日が決まったときは、まだ全米俳優組合のストライキが続いていた。ストの期間中、俳優は公の場で作品に関して語ることができない。実際、10月に開催されたNYコミコンに参加したユアンは、紅茶の入れかたと大好きなバイクについて熱く語ったらしい。それはそれで聞いてみたいけど、やっぱり出演作についても聞きたい。そんなストライキも11月9日に終了。これでなんの制限もなく色々な話が聞けることになったわけだ。
 ストが終了したことで撮影が再開されて次々にキャンセルが出るのでは? という逆の心配もあったが、幸いなことに杞憂きゆうに終わった(トム・フェルトンの来日キャンセルの情報解禁はスト終了前だったので、おそらくこの影響ではなさそう)。
 さて、ジェレミーのときは当日が近づくにつれナーバスになっていった私だが、今年はどうだったか。
 まったく、実感が湧かなかった。
 12月に入ってカレンダーをめくったら「コミコン」と書いてあって、あ、そっか。となったくらいだ。
 そっか、来週、ユアンに会ってるんだ。
 そっか、3日後、ユアンに会ってるんだ。
 明日、ユアンに会うんだ。
 そっか。
 ……。
 ……。
 ……。
 そう。思考停止していたのである。
 ユアンに会う。そのことを考えると頭が真っ白になって、何も考えられなくなるのだ。それゆえ、緊張もしなかった。
 もともと私にはそういうところがあった。想定外の事態が起きると、事態を理解し受け入れるまでちょっと時間がかかってしまうことがある。道路に飛び出したネコが、ヘッドライトの光にびっくりして動きが止まってしまうあれに近い。
 そうはいっても、準備しないわけにはいかない。せめて言語が通じればなんとかなるかもしれないが、私の壊滅的な英語力ではなんとかなる見こみはゼロだ。
 だから、言うことはあらかじめメモしておくことにした。
 まずは撮影について。
 せっかく撮るなら、できればユアンとハグしてみたい。コミコンの方針では、写真撮影でセレブにポーズやハグのリクエストをすることは禁止としているが、人によっては結構やってくれるらしい。そう何度も会える相手ではないのだ。聞くだけ聞いてみて、断られたら普通に横に並んで撮ればいい。
 次はサインの準備。
 サインは持参したものに書いてもらうか、会場が用意したポートレイトに書いてもらうかのどちらかになる。どんなポートレイトがあるかは行ってみるまでわからない。そこで、なにかひとつは持参して、当日ポートレイト見てから、どちらにもらうか決めることにした。
 持参するものは、迷った結果、ユアンと撮影した写真に決めた。『ムーラン・ルージュ』の映画パンフレットも捨てがたかったのだが、サインをもらってしまったら読みにくくなると思ったのでやめた。
 次は言いたいことを日本語で作って、それをDeepL翻訳にかける。
 よければハグしてください。 → Could you give me a hug?
 お会いできて嬉しいです。 → Glad to see you.
 うん。聞いたことある。なんかそれっぽい気がする。これでいこう。スマホのメモ帳にコピペした。もちろんあいさつと、終わったあとのお礼も忘れちゃいけないけど、それはさすがの私でもわかる。
 あと、作品の感想というか、このキャラが大好き! みたいなやつを何パターンか用意した。実際にどれを言うかは、当日、状況に応じて決めればいい。
 さて、勘のいいかたならもうお気づきだろう。
 このときの私は、ほとんどの決断を当日の自分に丸投げしているのだ。嫌な予感しかしない。
 だがそのときの私はそんな予感、微塵みじんも感じていなかった。むしろ、もしもこれを乗り切れたら、私はレベル12からもう少し成長できるのではないか。そんな期待すらいだいていたのだ。
 身の程知らずとは、このことである。

12月9日:入場~会場の雰囲気

 コミコン初日である12月8日(金)の夕方になると、セレブに会ったファンたちのツイートが写真とともに続々と流れてきた。コミコン公式アカウントも、ステージの予定やセレブセッションに関するお知らせ、グッズの完売情報など、忙しく情報発信が続いていた。会場は盛り上がっていたようだ。
 なにより一番は、コミコンのスタートを飾るステージ「オープニングセレモニー」。ある人の話では、朝7時から並んでようやく立見席が取れたらしい。ステージの開始は12時である。どういうこと? 確かにセレブが全員登壇するし、入場券を持っていればだれでも見られる。人が殺到するのは当然だ。とはいえ、限度ってものがある。
 今年は入場券についても、販売を途中で締め切るかもしれないと告知が公式からあった。それだけ売れ行きが好調だったということだ。結局、販売締め切りまではいかなかったようだが、3日間通し券は完売していた。どうやら去年のコミコンとはずいぶん違うようだ。
 9日、私は夕方にユアンとの撮影があるので、それまで会場内を回るつもりだった。まずは10時15分からのマッツ・ミケルセン登壇のステージを見たい。セレブ全員が登壇するオープニングセレモニーに比べれば観客も少ないだろうから、まあ8時くらいに着けるようにしようかな。そんな安易な考えでいた。
 そして9日の朝、あろうことか二度寝をかました私が幕張メッセに着いたのは、9時ごろ。一般入場待機列はすでにとんでもないことになっていた。
 あ、終わったわ。っていうか8時に来ても無理だったかも。自分の認識の甘さを痛感する。
 あがいて仕方がないので、大人しく列に並んで入場開始を待った。本来10時開場だが、急遽きゅうきょ、30分前倒しでオープンすることになったらしい。それだけ人が多いということなのだろう。
 ようやく会場入りすると、中はもっとすごい人だった。真っすぐ歩けない。去年よりも1ホールせまく、観客は多い。密度が上がるのは当然だが、ここまでとは。
 私は早歩きでステージエリアに向かったが、着いたときにはすでに「入場規制中」のプラカードが立っていた。ですよね。仕方がない。あとでダイジェストの動画が出るはずだから、それで我慢しよう。
 ステージは諦めてちょっと歩いたら、人が集まっているのが見えた。なんだろうと思うまでもなく、人混みの上ににょきっと突き出た顔が見えて理解した。小田井さんだ!
 今年のコミコンのメインMCは小田井涼平さんとLiLiCoさんの夫婦で、そこも私的にはアツいポイントだった。
 小田井さんは通行人とのセルフィーに応じている。私もお願いしてみようかな。
 ところがスマホを取り出そうともたもたしていたら、小田井さんは歩きだしてしまう。速い。小走りで追いかければ追いつけたかもしれないけど、追いかけて背中から声をかけるだけの度胸は私にはなかった。タイミングを逃した時点で、レベル12にもう次はないのだ。
 そのあと、アーティストアレイで藤ナオ先生にコミッション(イラストの依頼)をお願いしようと思っていたのだが、結構人が並んでいたのであとでもう一回来ることに。その間に行ったMARVEL&スター・ウォーズグッズエリアは入場まで1時間待ち。グッズを買ったあとにナオ先生にブースに戻ると、コミッションは受けつけ終了していた。DCグッズエリアは整理券を配布していてすぐに入れず。SCREENは私が行ったときにはすでに整理券が配布終了していて、ブースに入ることすらできなかった。
 うむ、なんだか色々と幸先が悪い。
 とはいえ、他のブースを覗いたり、コスプレイヤーのかたの写真を撮らせてもらったり、食事をしたり、それなりに楽しくすごして夕方まで時間を潰した。
 いよいよ、ユアンとの写真撮影だ。
 私が待機エリアへ向かうとき、ステージでは丁度トム・ヒドルストンのインタビューがおこなわれていた。客席は入場規制がかかっていて、入れなかった人が通路やブースの端っこに立って周囲は大変な人だかりになっていた。
 ロキから好きなセリフを尋ねられたトムヒが答える。そのたびにホールが歓声と拍手で包まれた。
「I am Loki of Asgard, and I am burdened with glorious purpose(私はアスガルドのロキ。名誉ある目的を担っている)」
「For you, for all of us(お前たちのために、我々のために)」
 ありがとう、トムヒ。行ってくる。
 ひとりで勝手にトムヒの言葉に背中を押され、私は待機エリアへと歩みを進めた。

12月9日:ユアンと写真撮影

 去年のセレブエリア待機場所は外で、会場からかなり距離があった。会場内にいた場合は一度外に出て列を作り、幕張メッセをぐるっと回って再びホールに戻ってくるという、非合理を突き詰めたみたいな導線だった。ちなみに、ホールからメッセの外に出るだけで五分以上かかる。コロナの影響で致し方がない部分があったにせよ、あれは案内を見ただけでげんなりした。あれを体験せずに済んで、ある意味私は幸運だったのかもしれない。
 今年の待機場所は、ホールとホールの間にある半屋外のアーケードみたいな場所だった。そのため、ステージのあるホールを出たらすぐに待機場所。
 待機エリアには、ずらずらと列がいくつもできていた。セレブセッションの集合は開始時間の30分〜1時間前。つまり待機場所には、1時間分の撮影とサインの列が、セレブの人数分、同時に存在しているのだ。混乱するなという方が無理だ。スタッフもそれは承知で、何度も「16時の○○さんのサインチケットお持ちの方いらっしゃいませんか。まもなく受けつけ終了します!」「これは17時の○○さんの撮影待機列です」とアナウンスを繰り返していた。実際、その声を聞いて列から抜けて、スタッフに連れられて別の列は走っていく人もまれにいた。あっぶな。
 私は「ユアン・マクレガー撮影17時」と書かれたプラカードを持ったスタッフを見つけ出し、その列に加わった。ジャスト1時間に行ったのに、もうすでに100人以上は並んでいたと思う。別に早く並んでも早く順番が来るだけで、大きなメリットがあるわけではない。でも撮影とサインは当日急に集合時間が変わったり、そのくせアナウンスがなかったりといったトラブルが珍しくないそうなので、早めに並んでおきたい気持ちはわかる。
 30分前くらいに列が移動し、その隣のセレブエリアのホールへ入った。入り口で手荷物検査とボディーチェック(金属探知機)を受けたあと、プラカードとスタッフの案内を頼りに再び列を作り直す。列の先には真っ黒な壁で囲われた四角いブースがある。その中で撮影をするのだ。
 そこでさらに待つ。一日中歩きっぱなしなので、もうすでに足がだるい。
 まだかなぁ。
 たまにしか使わないコンタクトのせいで目が疲れて、スマホはあまり見たくない。文庫本も持ってきてはいたけど、このコンタクトは文字を読むのに適した度数ではないので、やはり目が疲れる。
 だから私は後ろや横の人の迷惑にならない程度に足を伸ばしたり、周りにいる人のコスプレを観察するしかなかった。
 まだかなぁ。
 ひまだなぁ。
 ていうか案外、私、余裕じゃん。緊張もしてないじゃん。
 そう思っていた。
 でも実際は、ぼんやりと周りを見回しているだけで、頭の中は真っ白だった。
 私は上がり症で、緊張すると手が震え、動悸で視界が揺れ、息が吸えなくなるのだが、このときはひとつも発症していなかった。だから自分がとんでもなく緊張していて、本すら読めないほど知能が低下しているということに気づけなかったのだ。
 ブースの方で歓声と拍手が上がった。ユアンがブースの中に入ったのだ。といっても、それを拝むことができたのは先頭の数人だけだ。なるほど、早く並ぶメリットはここにあったか。
 撮影が始まると、待機列の温度がちょっと上がった。
 ブースから、フラッシュライトとシャッターを切る音だけがもれてくる。
 …………ピカッパシャッ
 …………ピカッパシャッ
 …………ピカッパシャッ
 え、速くない?
 宅配便を受け取ってサインするのだってもうちょっと時間かかるよ?
 え、待って、マジで?
 一回三万円のシャッターを、その速度で刻んでっちゃうの?
 これが噂に名高いベルトコンベア撮影か……!
 私が戦慄せんりつしている間も、列は無慈悲にどんどん進んでいく。心の準備なんかこれっぽっちもできていない。
 ブースの近くにはカゴが並んでいて、そこに荷物を入れる。貴重品以外はブースに持ちこめない。ちょっと迷ったけど、お気に入りのライダースジャケットも脱いで置いてきた。ちょっとでもユアンを近くに感じたいから。うわっ、文字にするとすごく気持ち悪い。
 いよいよブースに入った。前にはまだ数組いたけど、その隙間から、姿が見えた。
 ユアンが、いる!
 生きてる! 実在してる!
 ヒゲの長さがまさにドラマ『オビ=ワン・ケノービ』で、やばい、うわ、本物。
 他の人が撮影している間、私はユアンをただじっと見つめていた。
 今思えばこれは正しい行動だった。撮影のために横に並んでしまうと姿を見ることはできなくなってしまうので、肉眼でセレブを拝みたかったら、ブースに入ってから自分の番が来るまでの間にしかと目に焼きつけておくしかない。だが残念ながら、それは私の意思によるものではなかった。虫が光に集まるのと同じで、ユアンというまぶしすぎる存在に視線が吸い寄せられただけだった。その証拠に、あれだけ見ていたはずなのに記憶はかなりあいまいだ。
 私の前に並んでいた男性の番になった。男性は三、四歳くらいの女の子を抱っこしていて、その子を見た瞬間、ユアンの目尻が下がった。
「Hi〜!」
 女の子の顔を覗きこんで微笑みかける。微笑みなんて言葉じゃ足りない。慈愛の照射。無邪気の塊。かわいいの権化。あんなの至近距離でくらったら即死する。
 女の子がカメラの方を向かなくて父親、カメラマン、ユアンが「こっち向いて~」と声をかけるひと幕もあり、ブースの中の空気がちょっとほっこりした。
 写真を撮ったあとも、ユアンは女の子の顔を覗きこんでなにか言いながら手を振っている。他の参加者とは明らかに対応が違ったけど、その笑顔をすぐ横で拝ませてもらったから、すべて許せる。
 目尻が下がりっぱなしなユアンを見て目尻を下げている私の背中を、スタッフが強めに押した。
「次どうぞ」
 いや、ユアンがまだ女の子と話してるでしょ。女の子でちょっと時間かかったからって私で遅れを取り戻そうとしないで。待って、押さないで。え、強くない?
 まだユアンが女の子の方を向いているというのに、私はユアンの前に押し出されてしまう。
 そのせいで、振り返ったユアンの視線はいったん私の頭上を通りすぎ、列の先頭あたりに行ってから、戻ってきた。
 そして、ユアンと目が合った。
 薄い水色の目が、私を真っすぐに見下ろす。
 私はほぼ条件反射で「Hi」と口にしていた。ほぼ同じタイミングで、ユアンも口を開いた。
「Hi! How are you?」
 生で聞くユアンの「Hi」は耳に心地よかった。昔ながらの耳かきのお尻についているぽしょぽしょで耳の中を優しくなでられるみたいな心地よさとくすぐったさで、もうすでに胸がいっぱい。
 そのまま流れるように、私はユアンのふところに吸いこまれていく。原理はわからない。ユアンが腕を広げたのか、こっちへと促したのか、よく覚えていない。催眠術にかかったみたいに、気がついたときには私はユアンの右側に立って肩を抱かれていた。
 カメラの方を向いて一秒程度でシャッターが切られる。
 体を離して、ユアンにお礼を言う。見上げたつもりだったけど、近かったせいか、私はユアンのヒゲに向かって「Thank you」を言っていた。でもそのことに気づいたのも、あとになってからだ。
 ブースから出た私は、ただの腑抜けと化していた。ここに来てようやく、私は自分の頭が真っ白であることを自覚した。手遅れにもほどがある。
 それから私は、自分がやらかしたミスに次々と気づいていく。
 まず、ユアンの「How are you?」に対してなにも返していない。「Hi」が言えたことに安心したのか、それ以降はまったく耳に入っていなかった。いや、聞こえてはいたんだけど、脳まで届いていなかったのだ。さっきのユアンのセリフも「How are you?」と書いたけど、私の耳に残ったかすかな残響と流れ的にこうじゃなかろうかと推測しただけなので、実際のところなんて言っていたのかは永遠の謎だ。
 それから、準備していた「Could you give me a hug?」はどうした。おそらくブースに入ったときには、きれいさっぱり吹き飛んでいた。テスト前は開始時間ぎりぎりまでノートや単語帳を見返していたタイプの私が、スマホのメモの存在すら失念していたのだから、救いようがない。
 はぁー
 うわぁー
 えー
 ため息まじりにもれてくるひとり言は、ちいかわレベルの語彙力しかない。あるいはゾンビ。
 腑抜けゾンビはカゴから荷物を取り、くねくねと折り返す通路を黙々と歩き、印刷エリアへたどり着く。シャッターを切ってから二分も経っていないのに、もう写真は印刷されて袋に入った状態で置いてあった。こんなとこまでベルトコンベアなのね。
 ユアン・マクレガーと、彼の右脇にすっぽりはまりこんだ自分が、一枚の写真の中に写っている。それを見てようやく「あ、本当に、一緒に写真撮ったんだ」と実感めいたものが湧いてきた。
 さっき、ユアン・マクレガーが私に話しかけてたんだ。
 横に並んだんだ。
 マジか。
 はぁー
 うわぁー
 えー
 写真を見ると、ユアンはがっつり私の肩を掴んでくれている。けれど不可解なことに、いくら記憶を掘り起こしても、ユアンに触れられた感触が思い出せない。頭が真っ白なだけではあきたらず、自分の体の感覚すら失っていたのだろうか。じゃあ私はなんのためにライダースを脱いだんだ?
 けれど写真に写る自分の顔は、なんていうか、私にしては、いい顔をしていた。
 撮影チケットを買っておいてなんだが、私は写真がすこぶる苦手だ。笑顔の作り方が下手すぎて、笑うとラクダのようになってしまうため、最近では笑いかたを矯正きょうせいしようと試みているところだった。その効果が少し出てきたのか、少なくともラクダはいなかった。なんなら、ここ数年で撮った写真の中ではかなりいい部類に入る。頭真っ白で体の感覚を失っているとは思えない、自然な笑顔だ。
 なんだよ、お前、めっちゃ楽しそうだな。
 ブースを出てから後悔しかなかったけど、写真を見たら、ちょっと、ましになった気がした。

後編に続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?