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国道187号ドライブガイド2 大魚トンネル旧道と謎の橋台編

国道187号シリーズの第2弾である。

この地図の②の位置を拡大すると、次のようになっている。

Wow!なんて分かりやすいトンネルと旧道の関係なんだ!
トンネルがあったら脇を見よ、がオブローダー(廃道愛好家のこと)の鉄則だと教わったものであるが、これなどまさにその典型例として教科書に載せたいくらいである。

トンネルがあったら脇を見よ!

大魚(おうお)トンネルは昭和59年竣工、全長285m。その南側坑口の脇にあるのは、最前列かぶりつきの如く自己主張してくる旧道だ。
まあ、当然入るよね。誘われてるんだから。

地図でも分かるとおり、旧道は高津川の川縁の道である。上記写真は旧道に入ってすぐの所。
そしてこの写真にあるガードレールが途切れたあと見えてくるのが、

この巨大な切り通しである!
左側は高さ6~7メートルほど、右側は10メートルを優に超える高さの巨大な岩塊である。

左側
右側

切り通しを振り返って。
山側はかなりの高さになっているが、最初からこの姿ではなかったのだろう。現在残っている道幅となる以前の旧旧道時代は、より川側の、岩の背が低い辺りに切り通しがあったか、小さな隧道があっかかだと思う。

カーブの先端に近づくと、カーブミラーの残骸がある。手前の一つはミラー部分全体が取り外され支柱だけになった、廃道などではよく見かける残骸だ。二つ目はミラーがはまっていた枠まで残っている。なんかちょっと可愛い。旧道とはいえ一応は封鎖されていない道なのだから、カーブミラーくらいは生かしておいてくれてもいいんじゃないかとも思う。まあ今更このカーブで自動車同士が離合する可能性があるかというと、極めて低い可能性としか言えないだろうが。
で、旧道ならではの首なしカーブミラーもいいが、ここでは特に景観の良さが目についた。

まさに、清流。
透き通った高津川の水が山と空を映して青く輝くのをじっと眺めた。現道のトンネルはこんな風光など一瞥もくれず地中を直進していく。私は昔人が愛しただろう景色を追体験する喜びを拾い集めていく。

道中にあった看板。なるほど、やっぱり景勝地だったのね。大魚を「おうお」と読むのは、この看板で知ったぞ。


階段の裏

河原に降りてみようかと思って周囲を覗って見つけたのが、上記写真の梯子と階段である。木製の梯子は見るからに傷んでおり、とてもじゃないが信用できない。階段はコンクリート製の頑丈なものに思えたが、ロープで封鎖されていた。私はロープ程度を跨ぐのに躊躇はしないタイプであるが、この階段を裏から見ると、まるでジェンガのような石積み。皆さんがどう思われるか分からないが、私の現場での肌感覚としては、これは危険だと思った。石積みの不安定さとコンクリートの薄さから、体重をかけるとバリバリと割れて沈んでいきそうな。ロープを越えた上に階段を壊したんじゃ始末に負えない。
というわけで、河原には降りずに終わった。考えてみれば、冬なので水に足を浸したりして遊ぶには適さない。降りてもすることはなかったのだ。

カーブの先端を越えると、ご覧のように左谷右崖の綺麗な道である。崖下には苔むした石垣が整然と続いている。遠くに見えているのが私の車。道のサイズ感が分かると思う。

これは私が車を停めたまさにその場所にある不法投棄注意の看板と監視カメラだ。ここ以外にも不法投棄を注意する看板がいくつもあったが、とうとうカメラまで。いかに不法投棄が多いかってことで、怒りと情けなさが込み上げてきた。旧道や廃道に不法投棄をされるとやがては道自体のより厳重な封鎖に繋がり、私たちの貴重な遊び場がなくなってしまうのだ。実に痛ましいことである。

駐車地点から先の様子。あとは、正面に見えている坂を登って、現道に合流して終わりである。

こういう微妙な看板を横目に道なりに進み、私は現道に合流を果たした。
大魚トンネル旧道の話しは、これで終わりである。

しかし。しかし!
旧道制覇に満足して終わらず、少しだけ現道を歩いてみたことが幸運な発見に繋がった。
ここからは延長戦だ。

旧道をぐるりと歩いてから現道に合流して少し歩いてみたのは、ほんの気まぐれにすぎない。何かがあるだろうなんて考えもしない。
だから、現在地から高津川の下流方向(北東方向)を眺めたときも、こんな物があるとはまったく思っていなかった。
私が見つけた意外な物は、これだ!

遠すぎて分からない?すまぬ。
もっと近づいてみるので、川の中の岩場がゴツゴツしてる辺りを注目してほしい。

お分かりいただけただろうか。左岸(向こう岸)に石積みの橋台、岩場に同じく石造りの橋脚と思しき構造物がある!
もっと近づいて別角度から見てみよう。

どっから見てもやっぱり、橋の遺構だこれ。
高津川左岸の橋台と、川中の岩に設えられた橋脚。こちらがわ(右岸)には橋台は確認できない。遅くとも現道開通工事の際に失われてしまったのだろう。

帰宅後にこの橋の正体解明を試みてみたのだが、残念ながら分からない。というか、誰か知っていたら教えてほしい。

これは1960年代の航空写真。橋があったであろうラインを色付きで描いてみた。この写真の時点で、既に橋は存在しておらず、橋台が残っていた左岸側に続く道の痕跡すら確認できない。
さらに古い時代の地形図を確認できればあるいは分かるかもしれないので、分かり次第追記したい。



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