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雙津峡温泉③~古の道

隧道へ

AM11:50、道路崩壊により無念の転進をした私は深須郵便局まで戻ってきた。
残された時間は少ないが、行くぞ古隧道!

予想ルート

現在地の郵便局と隧道との位置関係。
地図の表記からすると、国道434号に沿って南下し、国道橋で宇佐川を渡ったあと、左に鋭角に切り返す道から集落を通り再び宇佐川を橋で越え、右折。その後直進で隧道という、無駄にジグザグな遠回りを強いられるものと覚悟していたのだが。

宇佐川を渡る国道橋の右に脇道がある!
地図情報では分からなかった脇道の存在。この道が期待通りのルートなら、大幅なショートカットが可能だ。

ショートカット成功!

脇道は橋を潜って、県道末端部へと私を導いてくれた。

赤矢印がショートカットルート

国道橋を潜った先は、お寺だった。

竹林山圓乗寺。
お寺の縁起などは分からないが、古いお寺が面している道路というのは、歴史ある道であることが多い。一見すると何でもないような一車線道路だが相当の歴史ありと見る。
ところで、次の地図を見比べていただくと・・・

地理院地図加工。寺の前が県道。
Googleマップ加工。県道の位置が異なる。

実に小さい話で恐縮なのだが、事前に地図を確認した段階で、地理院地図とGoogleマップとの間の県道指定位置の違いが気になっていた。こういう食い違いはよくある。
結論としてどちらの表記が正しいかといえば、Googleマップ。上記地図にオレンジの丸を付したあたりにヘキサがあるのでこれは確定。少なくとも圓乗寺前の道は、今は県道ではない。
また、県道指定以外にも、県道の橋など明らかに線形が異なる部分も見て取れる。細々した検証過程は省いてこれも結果のみ書くが、地理院地図の表記は古いのである。県道の橋(小山橋)が架け替えられた2004年より前、旧橋時代の線形が更新されていない。現在の国道434号ができる前は、地理院地図のとおり圓乗寺前の狭路が県道だった時代があるのかもしれないが、これ以上深入りはしない。

圓乗寺を過ぎて南へ歩くと三叉路。写真右の橋が2004年竣工の小山橋。写真左、橋の正面にある薄汚れた白い建物が公民館だ。県道は小山橋を渡り国道434号と合流して終点となる。私は直進。

またも左手に寺社様の建物である。地理院地図では南の方の寺院の記号が示す建物だろう。
時間がなかったので詳しく見なかったが、明智庵という建物だと後に知った。ネット情報は少ないが、まる氏のブログに詳細な解説があった。

さて、私が見たいのは隧道。
隧道へは明智庵を過ぎてさらに歩く。

現役の県道としてはなかなか大層な道を行くと、やがて行く手が薄暗くなっていくのが分かる。

ヘキサと隧道がこんにちは!この場所好き!キャンプしたい!

表の顔、裏の顔

AM11:55、隧道到着!
ところで、この隧道の右を見るとだね。

こんな風に尾根を回り込む道がある。

隧道が抜いている岩尾根を巻いていく形を見ると、隧道ができる以前の旧道かもしれないが、現在は神社の参道として使われている。
地理院地図にある神社の記号と建物がお社だ。今回はスルー。

坑口付近のみコンクリートで巻き立てているものの、奥は素掘りにセメント吹付けのみだ。
扁額は達筆すぎて読めないが、「鴬笛隧道」(ほうてきずいどう)と書いてある。鴬に笛という風雅な名の由来は何だろう。
県のデータによると昭和16年竣工、長さ32m、幅員3.5mということだが、感覚的にはもっと狭い。普通車で通過を試みるには相当勇気がいる隧道だ。

素掘りの洞内。32mの隧道はすぐに終わってしまう。当然照明などなしだ。
入洞前は気が付かなかったが、洞内から見た出口、すなわち南坑口の様子が何か変だ。まず出てすぐさま左カーブは頂けない。北坑口と違ってコンクリート巻きたてがないし、坑口自体きつめにスキューしている。
※「スキュー」は馴染みのない言葉だが、私が愛読するサイト「山さ行がねが」では「トンネルの軸線が坑門平面の直角方向を向いていないこと」と説明されている。
小ぶりながら端正な北坑口に対して、この南坑口は・・・

厳つい!!

これにはちょっとびっくりした。こちら側から先に探索しなくて良かったよ。いやー、厳つくてかっこいいな!惚れ惚れする。

少し離れてみる。
宇佐川支流の沢にかかる短い橋から振り返って撮影。山口県特産の黄色いガードレールの劣化具合が北坑口と比較して著しい。
というか、

↑これと同じ隧道ですよと言われてもとても信じられない。

AM11:58、鴬笛隧道クリア!

SOZU温泉

鴬笛隧道を抜けたらSOZU温泉まで地理院地図にない道を行く。

赤色で書き足した道が、実際にはあるのだ。温泉への裏道。緑で描いたのは岩尾根を回り込む参道。

裏道から参道を見たところ。比較的新しめの橋が架かっている。

こんな感じでゆるゆる温泉に向かって登り、

左手の岩崖に掘られた窪みに鎮座するお地蔵様(かなり古そうなお地蔵様があり、道自体も古そうなのに、どういうわけか地理院地図に表記がないことを怪しみつつ)に手を合わせるなどし、

(黄色のガードレールがあるのでこの道も県道なのかと訝しみつつ)ものの3分ばかり歩けば、

12:02、ほぼ予定通りにSOZU温泉に到着!

温泉の外観の写真も撮ったのだが、無関係の車や人が写っているので公開は差し控え、公式サイトへのリンクを貼っておこう。

さて、無事SOZU温泉に着いて今回の探索は終わったものだと思っていたが、その温泉の入口に嬉しいものがあった。
これだ!

「山陽と山陰を結ぶ 三代の道」
温泉地でこれほどまでに「道」をアピールしてくる看板を初めて見た!
どうやら、SOZU温泉周辺には、江戸、明治、昭和の三世代の道が存在しており、これを一望できるとのこと。
分かる範囲で地図に起こすとこんな感じだ。

看板通りなら、先程私が辿ってきた明智庵前の道は、江戸道由来の道ということになる。さすがに隧道はなかったろうが・・・。
まさかの看板という思いがけない情報提供者により、道の素性を知ることができたのは僥倖だ。
なお、明治道であるが、舗装された1車線道路で、車で通行してみたが特におもしろみはない。残念ながら。道幅が明治っぽいな、という感じ。とことこトレインの終点があったり観光用吊り橋があったりするけど、私はあまり関心がないのでレポート省略。

今回は災害によって寸断された旧道と生活密着型洞門、江戸道からの隧道と辿り、約5kmの行程を歩いた。その仕上げとしてSOZU温泉が掲げた三代の道に関する看板を発見できたことで、画竜点睛がなったと思う。
こういう道路愛に溢れた看板がもっと増えるといいね!

終わり

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