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ガリツィアの中心地~ウクライナ・リヴィウ編~

ウクライナと言ったら皆さまはどのようなイメージをお持ちでしょうか。情勢不安定で危険というイメージもあれば、遠い異国の小国というイメージもあるかもしれません。

どちらもその通りかもしれませんが、日本との関わりも見過ごせません。例えばウクライナからヨーロッパへは天然ガスが供給されていますが、これが止まるとEUの生産活動に影響が及びます。そうすると、ユーロが暴落して日本経済にも影響が出ますよね。というわけで、遠い異国の関係ない国とは言い切れないのが現在のウクライナです。

さて、リヴィウはウクライナの中でも特にウクライナ色が強い、独自の特色を多く持った都です。このリヴィウを含む一帯はガリツィアと呼ばれ、歴史的には長い間ポーランド領だった地域です。ハプスブルク帝国に属した時期もありましたが、帝国崩壊後は再びポーランドに組み込まれました。ハプスブルク帝国時代、フランツヨーゼフはこのガリツィアの地をいたく気に入ったと言われ、比較的自由度の高い統治を行っていたため、リヴィウ大学やリヴィウではウクライナ語での芸術や文化運動が盛んに行われていました。一方ロシア帝国領では、ロシア語が推進されていたため、農村部でしかウクライナ語が話されなかったのです。

さらにガリツィア地方では、宗教が違います。見た目がロシア教会と同じカトリックなのです。16世紀の宗教改革は中東欧にも及びますが、カトリックはトリエント公会議でプロテスタントと徹底的に戦うことを決め、イエズス会を立ち上げます。そしてイエズス会という「軍隊」は東方の正教会まで入ってきたわけです。正教会は正教会で抵抗し、そこで折衷的にできたのがユニエート教会(統一教会)です。そのような目線でここリヴィウの教会を見ていくと、面白いです。

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また、ここリヴィウはウクライナ民族至上主義の地でもあります。第二次世界大戦のときにソ連側とナチス側に分かれたのですが、ナチス側がバンデラという人物を中心に大殺戮を行います。そして、ウクライナが独立国家を作ろうとしたことをきっかけに、逆にナチスに捕まるのですが、終戦後には今度はソ連でテロなどの破壊行為を続けました。そのことからスターリンはナチス側のウクライナ人を手あたり次第殺し、ユニエート教会も活動禁止にします。しかし当然ウクライナ人はこれに反発し、武装闘争が続くわけですが、終結後に残ったウクライナ人はごっそりカナダに亡命します。

そういうわけで、カナダで一番話されている言葉は英語ですが、次にフランス語、三番目はウクライナ語です。そして、ペレストロイカ時にはウクライナ系カナダ人の支援を得てウクライナも独立運動をやり、独立した、ということになります。

ただ、問題はここで終わったわけではありません。リヴィウを中心とした西ウクライナでは、EUとくっついてのロシアと絶縁した独立をしたいと考えています。キエフを中心とした中央部ではそのような考えはなく、日常的にロシア語を話す東部南部では確固たる民族アイデンティティを持っていないのです。ただ、この東部南部にはロシア仕様の宇宙産業があり、ウクライナのEU加盟、NATO加盟、アメリカへの情報流出という流れを阻止したいという思惑がロシアにはあるのだそうです。

ということで、ウクライナの中でも西部、南部、東部、中部とそれぞれの特色がある中で、もっともウクライナらしい、それでいてヨーロッパの色も濃いのがリヴィウということになります。

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ルィノク広場です。どことなくポーランドのような感じもたしかにしますね。建物はどうでしょうか。

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リヴィウ駅

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オペラ・バレエ劇場

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タラス・シェフチェンコ像。

シェフチェンコはサッカーでも英雄ですが、ウクライナ文学でも英雄です。もともとは絵画作品を世に出していましたが、ウクライナ語で詩集を出したことで、一躍有名になりました。というのも当時のウクライナ語は農民の田舎言葉でしかなかったため、ウクライナ語での詩というのは考えられなかったのです。ところがシェフチェンコのこの作品は、ウクライナの知識人に評価され、ウクライナ語の地位を向上させるのに一役買ったのでした。19世紀、こうした潮流はヨーロッパ各地で見られましたが、ウクライナではこのシェフチェンコの働きが大きかったのです。歴史家のシートンワトソンも、このように評しています。

「ウクライナ文学の言語として通用する言語の形成は、他の誰よりも彼に負うところが大きかった。そしてこの言語の使用こそ、ウクライナ国民意識の形成における決定的段階となった」

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夜のリヴィウもなかなか素敵です。

ウクライナ料理も日本人の味覚に非常に合いますね!ボルシチやペリメニ(ピエロギ)も大変美味しかったです。

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リヴィウは駆け足でしか周れなかったので、また次回ゆっくりと観光したいと思います。次はポーランドのルブリンへ行きます。

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