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お寺の鐘をならすお仕事

今日は一日中雨だった。
夕方5時,TVerで見逃し配信している坂元裕二のドラマを16:17で一時停止して、お寺の鐘を鳴らしに玄関を出ると小雨がふっていた。

鐘を鳴らす回数は,7+2回の合計9回。ググってみたらお寺によって回数は違うらしい。

ごーん

という音が消えかかった時に次の鐘をならすのだが、お向かいのおばさん曰く,「あいちゃんの鐘のつき方はタイミングが下手だからすぐにわかる」とのこと。

父のつき方は雑で,兄のつき方は最高らしい。「鐘の音だけでだれがそこにいるかわかるのよ」というのが彼女の言い分だった。

私には全然違いがわからないけど、私が鐘をついているとおばさんは決まって家から出てきて世間話しに来るので,本当にわかっているんだと思う。ちょっとすごい。


小さい頃,鐘をつくのは子供の役目だった。町中にごーんと大きい音を響かせる。それは時々なら楽しいイベントだが、毎日やらされると特別感も薄れ、ただの面倒事になってくる。

7つ上の姉は基本的に高校から帰ってきておらず、4つ上の兄は遊びにいっている事が多かったので大抵は末っ子の私が行かされていた。

当時の私は(今もそうだけど)外にいるだけで空や虫や車や色んなことに興味が移ろう子供だったので何回鐘をついたのかがすぐにわからなくなり、日々めちゃくちゃな回数で鐘をついていた。

見兼ねた母が、
「9個の石を拾ってきて,鐘楼の樋貫(柱と柱にわたされた木の板)の上に並べて置いて、1回鐘をつくごとに、1個石を捨てると良いよ。」
と教えてくれた。
それから私は鐘を撞く回数を間違えなくなった。

ただ、新しい問題が発生した。鐘をつき終わってから30分経っても、1時間経っても、家に帰ってこない事が増えたのである。

とっぷり日が暮れても帰ってこない私を心配して親がお寺から鐘撞き堂の方を覗くと、暗闇の中から何やらじゃりじゃりと聞き覚えの無い音がする。少し驚いて目を凝らすと、子供が石を石段に擦り付けて石の表面を磨いていたそうな。
もはやちょっとしたホラーである。

……と,1回目の鐘をついたあと,ふとそんなことを思い出したので初心にもどって雨の中小石を9個拾ってみた。

一回撞くごとに石を投げ捨て、9回目が終わったので最後の石を捨てようとしたが、よく見るとその石はまんじゅうのように綺麗な形をしていて、なんだか捨てるのが惜しくなった。

何となくぎゅっと握ってみると、硬く冷たいそれが,柔らかで暖かい手のひらに不思議とよく馴染んだ。匂いを嗅いでみると,藻と鉄が混じったような香りがした。

あの頃と全く同じだ。石を磨く時の匂いだ。
急に思い出した香りの記憶が懐かしくて嬉しくて、この石の表面をあの頃みたいに磨いてみようかな。なんて考えながらしばらく握ったままでいたけど、ふいに雨が止んだので石を投げ捨てて家に帰った。そういえば途中で止めたドラマがあったんだった。

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