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エッセイで稼げたらいいよね。(ほわわ~ん)

文章を書くのが好きな人なら、一度は憧れるのではないだろうか。
エッセイで稼ぐということに。

少なくとも私はそうだ。
過去、何度も憧れて、夢見た。

今回は憧れを脱して、本気で頑張ることにした。
そういう話ではない。

相変わらずウダウダしている。
本気で立ち向かわない理由を何かと探している。
そもそも本気で立ち向かうつもりなどないのかもしれない。

以下に言い訳を書き並べてみたい。


エッセイは私生活の切り売り。

まず言えるのは、エッセイは私生活の切り売りになりがちだということ。
雑誌に連載される有名人や芸能人のエッセイ。
毎月のように出版されるエッセイストの本。
いずれも私生活でいっぱいだ。

「先日、新幹線の中で・・・」
ほうほう。新幹線に乗ったんだな。
「海水浴に行ったら・・・」
ほうほう。海に行ったのか。

ご丁寧に「東海道新幹線に名古屋から乗った」などと、個人情報丸出しだ。
文章を書く上では、一般名詞ではなく固有名詞が適切な場合もある。
仕方のないことかもしれない。

しかし複数のエッセイを丁寧に読み込んでいけば、その人の生活圏がどこかとか、どういう生活リズムかとか分かってしまう。

これはちょっとこわい。

私の私生活なんて誰も興味を持ってないかもしれないが、いつかどこかで誰かの恨みを買ったら、たいへん恐ろしいことになりそうではないか。

そうでなくても今の世の中、個人情報の取り扱いには注意し過ぎということはないのだ。

華やかなエッセイストは半分公人。

華やかなエッセイストとは、芸能人や有名人のこと。
モノを書くのが本職ではなかったり、本職はモノ書きでもテレビ出演などがとても多くてタレント活動をしている人など。

そういう人たちはエッセイを書くと、読者にたいへん喜ばれる。
失礼を承知で言わせてもらうなら、日本語が少しおかしくても、だ。

なぜなら、私たちはその人が出演する番組の裏話や、業界人のエピソードなどに興味があるからだ。

またそういう人たちが私生活としてとりあげることの何割かは、実は私生活ではない。
彼らは「公人」。
本当の私生活は、ご自宅の中だけなのではないか。

たとえばエッセイに「先日、飛行機に乗った」と書く。
一般人が詳細を書いたら、個人情報がバレる可能性のあるネタだ。

しかし公人の場合はすでにバレている。
「あぁ、写真集出すもんね」ってなもんである。
今さら私生活だの個人情報だの、言っても仕方のないレベルでいろいろバレている。

それどころか興味深いエピソードを披露すれば、後日発行の写真集の売り上げにつながる可能性すらある。

書けば喜ばれるうえに、本当の意味での私生活を切り売りする必要も少なく、自ら仕事の宣伝活動にもなる。
なんとうらやましい。

地味なエッセイストは小説家。

華やかなエッセイストの反対で、地味なエッセイストもいる。
テレビに出たりしない小説家などだ。

彼らは著者近影などで(おそらく素の自分とはえらく違うような)写真を一枚公開するだけだ。
そのへんをふらふらしていても周囲の注目を浴びたりしない。
たいていの時間を「私人」として活動できる。

しかし24時間のうちの大半を私人と活動するので、大半のエピソードは私人として活動中の出来事になる。
当然、気をつけないと個人情報が心配になる。

一般人とエッセイストを兼務する場合。

つまり自称エッセイストのことであるが、これは完全に私人である。
生業がべつに存在する人が多いが、そこでのネタを書けばあっという間に個人情報の問題が発生する。

小説家なども似たような面はあるが、彼らの職場は出版関係だったりするから「これはミステリー作家のAさんのことだな」と思っても、バラしたりはしない。
そこは不文律だろう。

しかし一般人は、そうはいかない。
noteで最近ちょっと人気のエッセイストBさんは、どう考えてもうちの職場のあの人だ!と気づいたら、黙っていてくれる人ばかりではない。

ネットでバラしてしまうか、あるいは職場でバラしてしまうか。
悪意はなくとも、行動が結果的に「バラす」に結びつくことは多々ある。

だから身バレがおそろしい。

いろいろ考えたら、職場のことは書けない。
昔の職場のことですら、分かる人には分かるから書けない。

習い事やら町内会やらPTAやら、その他もろもろ同じような危険性をはらんでいる。

スキの数は魅力の度合い。

結局のところ、おそろしいのは生きている人間サマということだ。

しかしそれでもエッセイを書きたい。
世間の荒波をかいくぐってエッセイを書く方法はないものか。

いい方法があるじゃないか。
先人に学ぶのだ。
枕草子。徒然草。素晴らしいお手本がたくさんある。

江戸時代にはエッセイのようなものを書く人がたくさんいたという。
いつの時代にも書きたい欲をもつ人がいるんだなぁと、なんだかホッとする。

たとえば枕草子について、少し調べてみた。
枕草子の内容には、大別して3種類があるらしい。

類聚的章段(るいじゅうてきしょうだん)は「ものづくし」とも呼ばれ、「好きなもの」などを並べていくもの。

日記的章段は、宮廷生活のなかでの出来事を綴るもの。

随想的章段は、日頃思うことを自由に書くもの。

あれ?
意外とこんな感じで私も書いてるのかも。

随想的章段風に、日頃思うこと、たとえば子育てのことなどを書いている。

日記的章段風に、ゲーム世界での出来事を(けっこう頻繁に)綴っている。

類聚的章段は、ちょっと・・・今まで書いていないな。
こういうのを書いてみるのも面白いかもしれない。

ただ、いずれにしても、モノを書くということはその人自身を表現することだと思うから、身バレの危険性とは常に隣り合わせだ。

そこが気になってしまう。

ま、そこまで熱心に心配するほど、自分の書いたものが多くの人に読まれているわけではないのだけど。

「稼ぐ」ということはともかく、いつかnoteでもっともっとたくさんのスキをもらえるようになりたい。
読んだだけでなく、わざわざ一手間かけて「スキを押したい」と思ってもらえるほど、魅力ある文章が書けるようになりたい。


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