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被害者の涙は、あなたたちのコンテンツではない

2019.05.08

琵琶湖でおこった悲惨な事故については、もう話すまでもないと思う。
痛ましく、悲しく、やるせない。
そして、今回”も”と言うべきか。マスコミの対応には頭を抱える。

そう、あの会見。ニュースやSNSで目にした人も多いと思う。
言葉にならない苛立ちがまだ心の中で渦巻いているけれど、本当に言葉にならないので、今はただ、園長先生に労いの言葉を伝えたい。

自分自身も混乱し、悲しみの最中にあるにもかかわらず、あの場に立ったあなたは立派だと思います。あなたは、亡くなった子の保護者や残された園児たちを、マスコミの好奇の目から守った。このような状況下でも、自分を盾にできる人に見守られて育つ子どもたちは、とても幸せだと思います。どうか、どうか少しでも、心と身体を休められる時間がありますように。

そして、マスコミの方々に伝えたい。あなたたちが「マスゴミ」と揶揄されて久しいけれど、その意味をきちんと理解していますか。
あなたたちがカメラを向けるべきなのは、被害者の涙でしょうか。あなたたちが誇る報道力によって、この社会をどんな未来に向かわせたいのでしょうか。

私は大学のころメディアを学び、テレビマンだった教授に教わっていた。たぶんその教授にとってはなんてことない一言が、私の脳裏にこびりついて離れない。
あるおじいさんを取材していた男子学生に対して、教授は言ったのだ。
「そのじいさん、死なないのか?」

ああ、たぶん、この感覚がテレビ業界では当たり前なんだろう。
私はこの教授のことを否定はしない。きっと、そうやって他人の人生の一部分に起承転結を付け、興味を引くコンテンツに仕上げることで、テレビというのは創り上げられてきたのだから。

私の想像でしかないけれど、テレビ局の中では今も「スクープを狙え!」「被害者のコメントとってこい!」「どの局ももってない映像を!」そんな言葉が飛び交っているような気がしてならない。

どんぐりの背比べのために、被害者を追い詰めないで。
他人の人生に足を踏み入れている自覚をもってほしい。

視聴者は、あなたたちが思うほど馬鹿じゃない。
泣き崩れる人にフラッシュをたいたところで、何も解決しないことを知っている。
もっと、目を向けるべきことがあるでしょう。
少しずつでも、メディアが目先のスクープにとらわれず、建設的な議論をできるように変わっていってほしいと願う。