現実と幻のあいだ
明け方に母から電話。
「部屋じゅうに電線が張られてるねんけど!」
私はぼんやりした頭で、また幻視がはじまった…と暗い気持ちになりつつも
「だいじょうぶやで〜。それはまぼろし」と、軽い口調で答える。
「なにがだいじょうぶやの!こんな悪い事して!」
軽さは、不要だった。逆効果だ。
横で寝ていると思われる父が否定している声も聞こえる。
でも母は誰の言葉にも聞く耳を持たない。そして、すごく本気で怒っている。
怒っている理由はおそらく
家族の誰かが電線を張ったと思っている、とか
実際に見えているのにみんなが否定する、とか
こんなに怖いのになんで平気でいられるのかわからない、
ということだろうか。
そして怒りながらも徐々に脳が目覚めて、
朝食のころにはだいたい平常心を取り戻している。
母の幻視(もしくは錯視)には他にも幾つかバリエーションがある。
「お父さんが針金でぐるぐる巻かれてる!」
「知らない男の人(女の人)が玄関に入ってきてる!」
「台所にお猿さんがいる!」
「クリスマスみたいに電線が光ってる!」
「天井に絵が映ってて動いてる!」
などが多い。
他人や動物が突然、室内に現れるのはたしかに恐ろしいが
ピカピカ光る電線や動く天井画の類は見えるものなら見てみたい。
それはもはや脳内アートなのでは。
母が言うには、電線や光は宇宙から操作されている時もあるらしい。
私たち家族も、同じような症状の方が書かれた本やブログを読んだり
主治医の先生に質問したりして、幻視について理解しようとしてきたつもりだ。
ただ、見えないものは見えないのであって
母がどれほど怖い思いをしているのかは体感できない。
現実世界に幻が合成された、いわゆるAR(拡張現実)のようなことなのか?
レビー小体型認知症の方々の脳内で起こっている出来事を、仮想空間で展示するイベント
『ようこそまぼろしの世界〜みんなの幻視〜』
みたいなのがあれば、ゴーグルをかけて母と出かけたいと思う。
可視化された幻を一緒に見て「きれいやなぁ」とか「おそろしいね」とか感想が言えたら、不安な気持ちも少しは和らぐのではなかろうか。
現実でも幻でも、その間でもなんでもいい。
遠野物語とベルリン国際映画祭とバーニングマンの世界観が入り混じったような
そんな不思議なお祭りに、ぜひ参加してみたい。
2022年夏ごろに思ったこと。
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