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日本ではなく海外で韓国の市長をやってみた。ウソのようだけど本当の話。

実は韓国の光州広域市の市長を経験したことがあります。

2017年5月18日 市長に同行し公務を「市民市長として1日体験」

生きていると、このようなこともあるものです。

 なぜ、市民市長になったかというと光州広域市で「市の発展のために、市長になったら何をしたいか」について公募していました。

 以前から「福祉に関心」があったので、その件について書いたり、見学をしたい福祉施設を書いたりしました。以前から光州広域市の発展のために考えていたことを綴りました。

 まさかと思ったのですが選ばれ、それも光州事件(民主化運動)の記念日に「1日市民市長」をすることになりました。

 朝一番にしたことは、市長にご挨拶をして、部署の責任者たちとの会議です。副市長よりも上座に座らせていただき、公務員の前でお話をさせていただきました。もちろん韓国語で。とても緊張した一瞬です。

 その後は光州事件で犠牲になった息子さんたちのお母さん方の施設です。息子を亡くした母の悲しみ、それは言葉にできない悲しみであり、その時から時計が止まってしまっているのです。

「5月お母さんの家」

息子がいる私には、なんともいえない悲しみでした。

 最後に光州広域市にある「模範的な老人のための施設」を見学させていただきました。1階には病気の方のための診察室とリハビリ室、そして健康を維持するための施設、楽しみながら好きなことをして昼食も食べて、1日過ごせる施設です。

 その中でも生き生きとダンスをされている姿、趣味を楽しんでいらっしゃる姿はとても心が和みます。

 この日は、1日かけて3か所でいろんなことを感じ、考えさせられました。

 私は韓国に1993年から住んでいます。いつも日本と韓国の発展のために努力してきました。旅行社で10年間勤務した時も韓国の発展のために日本に視察団を送るお手伝いをしました。民間の関係ではとてもよい関係を築けます。忘れられない思い出もたくさんあります。

 その後「おヘソ呼吸セラピー」の健康教室を開業して、韓国の公務員、地域の発展のための健康博覧会などのお手伝いをしてきました。その中でずっと思ってきたのは、日韓の交流と発展でした。

 私は日本人です。外国に住んでいても日本を愛しています。それと同時に韓国も同じように愛しています。私の中には国境がありません。国境は争いを生み、自分の国はと自己中心的に考えがちです。これからの時代は世界の一員として考えていくことが求められていると思います。

 今回は2017年5月18に体験した「1日市民市長」は忘れられない貴重な思い出を綴ってみました。



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