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『自己紹介は苦手です』自己紹介を通り越して自叙伝的な。

本来なら一番初めの投稿に持ってくるのが筋なのですが、初手から王道を打つっていうことができないへそ曲がり。今更ですが改めまして遅れて自己紹介と参りましょう。

僕自身の生い立ちから行きましょうか?

え?
誰も知りたくないって?
(これ読んでくれる人の大半はむしろ知ってるって?)

本来なら
割愛します!って
かっこいい日本語の出番なんだろうけど

かつあい

【割愛】

《名・ス他》惜しいと思うものを、思いきって手放したり省略したりすること。

本当に惜しいと思うものは
絶対に割愛なんてしないと思う。  


写真の彼。
昭和57年1月18日に誕生。
古臭く見えますが、現在38歳。

仙台市宮城野区に生まれ
幼少期は
高砂、多賀城と移り住み
多賀城小学校に入学。

夏を迎え
福島県いわき市へ。
みまや小学校へと移り
穏やかな日々を過ごす。

4年生の時に
古川市へ。
古川第四小学校へ

古川中学校
古川高校へと進学

ここまでは
父親の仕事の都合で
転校、を重ねる転勤族の息子として
様々な土地に降り立つものの
宮城の北の陸の孤島“古川”で青春時代を過ごすわけです。

ここで僕の多くが育まれました

宮城県の県北地域ではまずまず進学校に部類され、文武両道質実剛健で知られる男子校

懐かしの母校の校舎。

1日入学の時に
内心
『どこかに可愛い子いないかな?』って
キョロキョロして
ドキドキして

同級生と待ち合わせて校門をくぐって
その先に
むさ苦しい男どもしかいない事実を突きつけられて、自分が選んだ男子校の三年間を憂うところからスタートしたのは良い思い出。

願書出したときは
男子校に男子しか居ない現実を理解してなかった (笑)

けど、今は男女共学が当たり前になってきて
同性しかいないからこそ、一致団結したり、かっこいいことも、かっこわるいことも、みんなで分かち合えて、な三年間。

やっぱり男友達の大切さを学びました。

卒業後は
東北学院大学の経済学部へ

二年生の時に
中退。

できちゃった結婚。
今で言う授かり婚。
息子を授かるという縁に恵まれて。

当時まだ19歳。  

よく決断したな〜って
今の自分でも思うけど
やはりそうなる宿命のもと
子供を授かり、育てることで
自分自身の気持ちも引き締まり、責任を背負う覚悟を持って生きてこれたなと思っています。

20歳の誕生日を迎えルール直前に
未熟すぎる年齢で
父となり親となり夫となり

言ってしまえば
まだ何者でもなく
道も定かではなかった未成年の父親。

さてさて
そんな中、家族を養うため
大学を中退し選んだ道が今のこの仕事。

高校は質実剛健、文武両道の進学校とはいえ

仙台のナンバースクール
一高、二高、三高、に続く伝統校
宮城の男子校の伝統に倣って
私服高校だったこともあり

もともと
ファッション、洋服が好きで
バイトに明け暮れた学生時代はそのほとんどを洋服に費やしてきました。

人生をかけて
家族を背負う以上

好きなことに情熱を燃やしたい!

その一心で選んだこの仕事。

当時の仙台のファッションビルといえば
フォーラスとシャル。
(少なくとも僕らが高校生の頃は人気を二分すること存在感だった)

そのシャルにあった

noise

というセレクトショップ。
当時絶大な人気を誇っていた原宿の雄
MILKBOYの取り扱いが有名で
そこの看板スタッフだった山口さんに憧れて

一念発起して面接を受けました。

ぶっちゃけると
大学中退だから

中途採用の面接を15社以上受けて

やはり
10代で大学も中退
できちゃった結婚で
となると
条件の良さそうな職場は壊滅的。

大手企業の面接は
枝にも棒にもかからず。

本当にもうね、ダメだと思った。
お腹に子供いるから、はやく仕事決めなきゃいけなかったし、不安で不安で毎日何かに追い詰められていくような感覚で

そんな時に
社員募集の案内を見て

ビビッときて

これがダメなら
土方でもなんでもやる覚悟で
最後に好きなことが出来る仕事を受けてみよう。

洋服屋さんの販売員になるなら
あの人みたいになれるように
身近なところでやってみたい!

結構な覚悟で臨んだ面接。
かっこつけるわけじゃないけど
背水の陣ってことばの意味がわかった気がしました。

そんなこんなで始めた洋服屋、販売員の仕事

縁があって
19歳で出会ったこの仕事

先日38歳を迎えたので
人生の半分がこの仕事をしています。

noiseのあった一番町四丁目のファッションビル。SHALLシャル。知ってる?シャル?
今35歳の人たちまではギリギリ知ってる人も多いかな?長崎屋が母体のファッション業態のビルで、当時の仙台市はフォーラスと二強を成す存在。けど

長崎屋の経営破綻を受けてシャルも閉館に。

当時の上司だった山口さんが独立。
フォーラスに移って新会社を立ち上げスタート。皆さんもご存知ONEanotherの誕生です。

noise・BABY PINK MOONとして
この頃に出会ったお客さん
今もお付き合いあるかたたくさんいらっしゃいます。本当に感謝ですね。

そして

2006年5月5日に国分町にICONSオープン。

clean&modern
長年お洒落を楽しんできた方にも安心して買い物を楽しんでいただける上質な洋服をセレクト。

アーケードから大町、肴町公園方向に左折。
ロイヤルホストのところ。

メガネ屋さんポーカーフェイスさんの向かい側。当時は角にカニ八さんがあったり、肴町公園の手前には旧BEAMSがあったりと
賑わいのある通りでした。

当時25歳

今考えたらまだまだひよっこだったと思うけど
僕なりに日々プロフェッショナルとはなんぞや!と考えながら過ごしていた日々。

店名のICONSの由来も話しちゃいますかね。

(このエントリーの着地点がどんどん見えなくなってるのは内緒です笑)

ICONS イコンズ

英語よみだとアイコン。
象、偶像

1 肖像;《東方教》イコン,聖像(◆ikon ともつづる)
2a (信仰などで)偶像視される人,アイドル
3 《記号学・言語学》イコン,図像,類似記号

キリスト教の中でも偶像崇拝を禁止されている、キリスト教のオーソドックス派、ロシア正教会では、イコンと呼ばれる、四角い絵。キリスト(アイコン)の描かれたもの。
神様の世界につながる窓として崇拝され、祈りの対象とされて来ました

これです!
今の店舗でも神棚に掲げていますが。
当時のお店は入り口から入店して、顔をあげたら見える位置にありました。まさにアイコンであり、シンボルとして。

僕の師匠であり、当時は上司であり社長
山口さんが、このイコンを見つけて、お店の顔として用意してくれました。

ICONSに込められた意味。

イコンに倣い。
神様(作り手であるブランド、デザイナー)と
人々(お客様)を繋ぐ窓、繋ぐ架け橋として
セレクトショップとして
多くのブランドと、多くの人々を繫ぐ存在となれるように。

そんな願いを込めて

ICONの複数形であるICONSと名づけられました。

たくさんのブランドを
たくさんのお客様にご紹介して
繋げて行けるように。

さらに
先ほど出てきた僕の古巣であり、原点のお店。

**noise **

SHALLにあった当時から、憧れていたお店。

Milokboyを着ていた藤井フミヤ。後にはムラジュンこと村上淳さんとか。僕の憧れの原点の一つ。

noiseのお店の語源は
ザワザワとした会話の途切れない賑やかなお店。

その名の通りたくさんのお客様が通うお店で、常に楽しいワクワク感と、いろんなカルチャーが行き交うそんなお店でした。

そんなnoiseから派生して生まれるお店にぴったりなお店の名前にしたい!

(当時は一介の店長だったので命名権は社長である山口さんにありましたので、よほどの理由じゃないとgoは出ないだろうと思ってめちゃくちゃ考えてました。)

この当時、キリスト教関連の本とか、もともと大好きなフリーメイソン、イルミナティ関連のワード。さらにはそこから派生してシオン修道会とか、レオナルドダヴィンチとかに凝り出しまして。アナグラムなるワードを知ることになります。英語の文字を入れ替えて別な意味の言葉にする。アナグラム。暗号の一種なのですが、英語圏とくにはキリスト教の秘密にまつわる書物などではよく使用されていたようです。(ダヴィンチコードなんかでお馴染みですね。)

そうだ!これを使おう!ってことで
n o i s e
i e o n s

e

この文字の横棒を一つ取り外すと

C

並べ替えて

ICONS

noiseのもつ良い意味での勢いを継承して、けどもっと大人でシンプルな洋服も提案したいし、長く洋服を楽しんでもらえるお店にしたい。
そんな願いを込めて。

noiseの余分な物、余計なものを省いて。
(eの文字の横棒を省いて、cにすることで)

より洗練されたお店にしていきたいという想いを載せて。

ダブルミーニング

二面性とか
二つの意味を持たせたくて。

セレクトショップとしての意味とか意義と
自分たちなりのこうなりたいっていう目標を込めた名前。

今となってはすごく良いネーミングだったと思います。長く愛されるお店になってきました。

2012年5月22日現店舗本町に移転

時が経つのは早いもので
あっという間に
この場所での営業がいちばん長くなってしまいました。

そして
2017年3月16日に有限会社ONEanotherより独立し株式会社Connectionを設立。

Connection=繋がり

ずっとこの仕事を続ける上で
人と人の縁、繋がりに救われてきました。お客様はもちろんだし、師匠である山口さんとの出会いもそうだし、取引させていただいているブランドの皆様。きっと、ICONSって名前が引き寄せてくれたのだと思っています。

なので、このBlogに何かしらの縁を持ってたどり着いたはじめましてな皆様も、どうぞよろしくお願いします。

仕事の話はまた今度ね
(何日にも分けて書いてたら恥ずかしくなってきてトーンダウン)

may the force be with you !!!

浅野


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