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生きなくていい、でラクになることもある

「死にたいってお母さんに言ったら、私も笑われたことがある」
私の映画のセリフに、こうつぶやいてくれた人がいた。
とても嬉しかったのを覚えている。

私は、死にたい、消えたいという希死念慮と長い付き合いだ。

一番ひどかったのは、中高生の時。
学校まで1時間かかる満員電車の中。車窓をみながら、毎日死ぬことだけを考えていた。
学校では、呼吸を消すみたいに、全ての時間割を机に突っ伏して眠った。
死にたいといっても、具体的にはなにも行動に起こせなかった。だけど、頭のなかで何度も自分という存在が消えることを願った。

死にたいという私に、あらゆるところから言葉が飛んできた。
申し訳ないけれど、そのどれもが私に刺さらなかった。

「あなたは恵まれているのに、死にたいと言うのはわがままだ。世界には戦争や飢餓で生きれない人もいるんだよ」
「めぐまれている」ってどの視点なんだ?私が本当にめぐまれているって誰が知っているんだ?
それに、生きたくても生きれない人の命と交換できるなら、私が一番そうしたかった。だけどそんなことは魔法でもない限り無理だった。
「君の命は君だけのものじゃない。君の家族や友達が悲しむって思わないのか?」
他の人が悲しむから、生きなくちゃいけないなんてことあるだろうか?その命を持っている当人が生きているだけで悲しいのに。
「死にたいんなら、勝手に死ね」
これだけが唯一その通りだと思った。
本当に、死ねればいい。だけど死ぬ勇気が無いのも、甘えてるのも事実だった。死ねなくてごめんなさい、と思った。

唯一私がラクになれたのは音楽を聴いているときだった。
NirvanaやMY  bloody Valentaine、ElliotoSmith、syrup16gなどの海外や日本の暗い音楽をたくさん聴いた。
それらの音楽が共通して感じさせてくれたのは、
「生きることは最悪で、君の人生に価値なんてない」
ということだった。生きる価値がないと、誰かが伝えてくれることがこんなにも、自分をラクにしてくれるのかと、思った。
30歳くらいで自殺したアーティストも多かった。
「生きなくてもいい」
そう思えたとき、救われた。
そして、私もいつか彼らみたいに死のうと思った。絶対に死ぬんだと思っていた。

いま私は29歳だ。予定ならもうそろそろ死んでいるはずなのに、30歳を迎えてしまいそうだ。
死にたいと思わないといえば嘘になるけど、希死念慮との付き合い方が少しわかった。
脳みそをシャットダウンして、眠ること。
そういう日もあるのだと諦めること。
だけどなによりも、本当に嫌なことをしなくてもいい選択をもてるようになったことが大きい。

死にたかったのは、ただ学校がイヤだからというわけではなかった。
多分、生まれつきの漠然と浮かぶものだった。
これは経験からわかったことだけど、希死念慮の芽を持つ人間は、自分が苦しいと思う選択肢しかない場所にいるとどんどん死にたくなる。
いじめ、悪口、露骨に人を落とす競争、苦手な人とも関わらないといけないイベント、満員電車、他人との間隔のない狭い教室…。
私にとって学校は、私が苦しいと感じるものであふれていた。

あのとき、生きることは意味がないと、音楽が教えてくれたことが、皮肉だけど、私が生き延びることにつながった。
私は世間から評価されたどんな音楽も、文学も、映画も、生きる価値があるのよと、大手をふって語りかけるものは、どうしても受け入れることができない。
生きることは最悪で、君が生きる価値なんてない、その言葉がどれだけあたたたかかったか。

私は、死にたいまま生きる必要はないと思う。
だけど、死ぬことを選べないまま死にたい気持ちと向き合い続ける苦しさもわかる。
だから、もしそうやって生きている人がいるのなら、私がほんのちょっとでもラクになったように、生きなくてもいい、生きることに価値はないよと言いつづけたい。

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