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芥川龍之介『羅生門』を読んで


 岩手に引っ越す前に、東京の大塚に住んでいる伯母と散歩をしようと計画をし、細い道をつらつらと歩いて巣鴨のとげ抜き地蔵通りに着いた。初めてとげ抜き地蔵で有名な高岩寺にお参りをし、桜はもう散ってしまっているだろうが、駒込染井まで足を延ばしてみた。染井霊園近くのお寺さんに芥川龍之介と谷崎潤一郎の分骨墓があったと記憶していたからである。伯母は東京のあちこちを散歩するクラブに入っているので、染井までの道も慣れたものであった。

 後日、ざっと芥川の掌編や谷崎の『春琴抄』でも読み直しておこうと思い、新潮文庫の芥川七冊を眺めてみた。久しく読んでいない『羅生門』を眺めてみる。

 中学生か高校生かどっちかは忘れてしまったが、羅生門は教科書でまず読んだ。その後、文庫本でも読んだ。ご存じの方も多いであろうが、黒澤明監督の『羅生門』は初めの舞台を芥川の『羅生門』から取り、映画の内容は同じく芥川の『藪の中』から取っている。

 芥川の『羅生門』を読んで、改めて驚いたのは、小説としての短さである。おそらく400字詰め原稿用紙15枚程度ではなかろうか。しかし、その掌編が問いかける問題は切実である。切実だからこそ教科書にも取り上げられるのであろう。芥川が読者に対して問うたものは【極限状態下での悪は必要悪であるか】である。

 主人に暇を出され、雨に降りこめられた下人が、行き所がなくて、朱雀大路の入口である羅生門で途方に暮れている。そこで下人が見たものは女の死骸から髪を抜いている檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆であった。老婆から話を聞くと、この今や死人となった女は、生きているときには蛇を四寸ばかりずつに切って干したものを、干魚だと云うて、太帯刀の陣へ売りに行っていたような女だと言う。続けて、この女のしたことが悪いとは思うていぬ。せねば、餓死をするのじゃて、仕方なくしたことであろ。されば、今又、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、餓死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。

 下人は丹塗の剥げ、いまや死体置き場と化している都の入り口にて、老婆が髪の毛を抜いているのを見ることにより、激しい憎悪が、すこしずつ動いて来ていた。盗人になるくらいなら、何の未練もなく、餓死を選んだ事であろうと下人は思っていたが、髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そして老婆の言い訳を聞くに及んで、下人の心には、或勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。

「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、餓死をする体なのだ」と言い、すばやく老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を手荒く屍骸の上へ蹴倒した。

 この下人を自分に置き換えたらどうか。老婆の着物を剥ぎ取って、今夜過ごせる銭を得るか。それとも、雨の寒さに凍えながら餓死を選ぶか。中世の平安京での出来事。想像力がなく思いつかないならば、設定を現代にしてみよう。私(あなた)の家庭に突然ナイフを手にした強盗犯が入ってくる。私(あなた)はどういう行動をとるであろうか。運良く向かってくる強盗犯の手からナイフを蹴落としたとする。私(あなた)はナイフを拾う。強盗犯は怒りに駆られて素手でも襲ってくる。私(あなた)はナイフを使うであろうか。場面設定を戦争に置き換えても良い。とにかく極限状態下である。

 私はその時、私に体力と気力があれば、老婆の着物を剥ぎ、ナイフを握り自分や家族を守り、銃を敵に向けて撃つであろう。現代では正当防衛や法が私の行為を咎めることはないと脳裏に走るであろう。中世ならば法は曖昧であるために、生きるためと下人と同じように考えるであろう。

 芥川の『羅生門』の最後の行にはこう書かれている。「下人の行方は、誰もしらない。」と。もう少し想像力を働かしてみよう。下人は闇市に行き檜皮色の着物を売って、晩飯を食らいながら、あの老婆のその後を考えたであろうか? 私(あなた)はナイフで刺した強盗犯や銃で撃たれ死んだ敵兵の事を考えるであろうか。ひょっとしたらその強盗犯にも敵兵にも家族がいるかも知れない。私が『羅生門』の下人ならば自らの行為におののき後悔をしながら、また明日、一晩の飯を求めて自分よりも弱い者を探しに行くかもしれない。ひょっとしたら、不安に駆られ、さまよいつつ餓死や自死を選ぶかもしれない。

 このわずか原稿用紙15枚程度の掌編から、そこまで考えさせる芥川の筆力には恐ろしいものがある。また文章の構成についても緻密な計算がされているように感じる。例を挙げてみよう。

「餓死をするか盗人になるかと云う問題を、改めて持ち出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、餓死を選んだであろう。」とある。しかしその数行後には「自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れているのである。」と対比の形式となる。その後も「現在、わしが今、髪を抜いていた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太帯刀の陣へ売りに往んだわ。」→「されば、今又、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、餓死をするのじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。」ここでは蛇を魚と偽って売った女と自分がやっているのは同じ、いや〈仕方がない〉という理由で対比をする。そして極めつけが「しかし、これを聞いている中に、下人の心には、或勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。」→「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、餓死をする体なのだ」。勇気! 芥川はここで完全に盗人になることを肯定している。芥川はこれを書いているときにどのような心境であったのだろう。下人の行為を〈生きるため〉という名の下に肯定をしたが、最後の行の前に、こう応答するのである。「老婆は、つぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。」→「外には、唯、黒洞々たる夜があるばかりである。」

 私は上記例の文体を緻密な計算によると書いた。これは意図したものだと私は思っている。〈餓死〉→〈盗人〉、〈女の悪行〉→〈老婆自身の悪行〉、〈欠けていた勇気〉→〈生まれ出た勇気〉。例文の最後は〈火の光をたよりに〉→〈唯、黒洞々たる夜があるばかりである〉

 芥川がこの『羅生門』を書くにあたり、どれだけのテロップを作り、考えたかは芥川研究の専門家ではないし、この小説の基となった今昔物語を読んだことがないのでわからないが、原稿用紙に万年筆を滑らしながら、「下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった……」あたりで〈光〉という言葉を使いたくなったのではないかと思ってしまう。それは芥川の良心として。しかし、小説家芥川龍之介は対比で文を作って終わらすために「黒洞々たる夜」を書かなければならなかったのではないか。

その後、老婆が自ら門の下に落ちたかは、誰もしらない。


#読書感想文 #書評 #芥川龍之介

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