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私になるまで

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#身体の異変

私になるまで27

私になるまで27

アラフォーになり、少し自分のしたいことをしようと、以前から絵が描きたいという思いを持っていたが、中々手がだせないでいた。思いきって、小学生の時お世話になった恩師に手紙を書いた。その恩師は、地域の絵のサークルに入っていた。だから、私の手紙を送った後にすぐ返事が来て、「絵描くの賛成!一緒に描こう。」ととりあえず、道具を揃えるところから手伝ってくれた。油彩画を描くのは初めてだったが、「水彩画と同じ。ただ

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私になるまで25

私になるまで25

辛辣な思いはしたけれど、私は大切なものを授かった。2つの生命。しかしまぁ2度も出産したものだ。周囲の反論はあったが、「会いたかった。」ただその後にどんな苦労が待ち受けていたとしても、自分の遺伝子を持った我が子に会いたかった。上の子が5歳の時私に「なんで私を生んだん?って聞かれたことがある。横にいた私の母は、言い訳のように「あんたに色んな事させてあげよと思ったからやよ。」というも、なんか?って顔をし

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私になるまで28

43歳の誕生日が目前6月。母に付き添われて、クリニックの乳腺外科にあしを踏み入れる。受け付けが終わり、看護師の問診。私は何歳ですか?と聞かれ、まだ42なのに「43歳です。」と言ってしまう。若く鯖を読むならまだしも1つ歳を多めに言うなんて。余程緊張してたんだと思う。問診の後、「マンモグラフィ撮りますけどいいですか?」って言われ首を縦に振る。検査室で上半身裸にされ、検査機器の前に立たされ技師さんに「ち

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私になるまで29

朝日がビッグホエールの屋根を照らしている。そこは和歌山で1番大きいイベント会場だ。数年前ゆずもそこでライブした。病室の窓から見える風景だ。

その後中々和歌山には来てくれない。手術前日に入院しその翌日検査と手術、少しハードスケジュール。大部屋だったが、病院の配慮からか 広い部屋に私1人だけだった。脳性麻痺の乳がん患者は初めての受け入れらしい。看護師達も戸惑っている様子だった。しかししっかり受け答え

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私になるまで30

私になるまで30

ところで、ゆずライブのチケット先行予約は、どうなったか?退院したのが、エントリー目切りの2日前。ギリギリ間に合い、無事にチケットを取ることができた。

ライブ当日、ゆず友に会場で会う。私わぁーと思い切りハグされた。

元気になっての再会を喜ぶ。その後のライブはとても楽しかった。アリーナの真ん中より少し後ろ。ゆずは豆粒にしか見えなかったが、サプライズ!ゆずが後方に歩いて移動してきて2人で弾き語り。当

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私になるまで32

私になるまで32

日に日に肩と背中の痛みは、鈍痛と激痛の間隔を狭めていく。夜中激痛のため大声出してしまい、隣の部屋に寝ている娘が、飛んでくる。両親には「大人なんだから、ちょっと我慢しろ!」と言われ。私のせいで下の娘は寝不足気味になった。ほんとに申し訳ない気持ちはあるが、痛みとの闘いで、自分を見失いそうになる。いくつか病院を回ったが、筋緊張が強くて筋肉が痛いだけだ。という医師が大半だった。最終的に脳性麻痺の専門は神経

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私になるまで33

神経内科の主治医の先生は、あんまり脳性麻痺の事を知らないようだった。だから、戸惑いは大きかったはずだ。薬だけがどんどん増えていく。それでもなんとかしたいという思いはあった。先程は「匙を投げた」などと言ってしまったけれど、首の手術を引き受けてくれる病院を最後まで諦めずに探してくれた。何件か病院をあたってくれたが、障害児専門の病院だったり、以前はアテトーゼ型脳性麻痺の首の手術をしていたが今はする医師が

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