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美味しく飲んで、意識せずいつの間にか健康に。カテゴリー・クリエイターへの挑戦 Vol.64
2018年5月16日、私は、JR高田馬場駅のホームの発車音楽が『鉄腕アトム』のテーマソングであったことに改めて気が付いた。
昔々、西武新宿線沿いに住んでいた頃に、しょっちゅう乗り換えで使っていた駅だったというのに気付かなかったとは、時と次第で人間の感じ方も違ってくるものだ。
そう、酒の場で思い付いたグッドアイデアが、翌朝になってみると非道く陳腐に思えたりとか。いや、ちょっと違うかな。
あれー? そもそもその昔はアトムの歌は使っていなかったのかも・・・良く判んなくなってきたので、まぁいいか。
その様にして、高田馬場駅を降りて向かった目的地の建物の壁には、こんな判り易いマーキングが施されていた。
![手塚プロダクション壁](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65708014/picture_pc_8028bd0e675c16dd585c433dad95b6a6.jpg?width=800)
初訪門した株式会社手塚プロダクション。
玄関入り口では、等身大のアトムの石像がお出迎えだ。
ドアを開けるとロビーであるが、今度は等身大アトムのフィギュアの大群がぞろぞろ。そしてその背後には御大、手塚治虫の大判の写真が飾られており、歓迎の意を表してくれている。
一階待合室で暫く待たされた私は、ロビーから待合室まで一杯に展示されている、これまでに作られて来たキャラクター商品群の数々を見て廻ったのだった。
やはり圧倒的に多いのは鉄腕アトム。それに続くのはと、ブラック・ジャック、ジャングル大帝かな。
飲み物系はどうだろう? これについてはアトム印のサイダーくらいしか見当たらなかった。
![お客様紹介](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65709120/picture_pc_d80806c0203a1048e0c94540ccb568e0.jpg?width=800)
私は、サプリメント in ウォーター MCMのめぐみには、どういったキャラクターが合致するのだろかと、朧げながら既に思いを巡らせ始めていた。
ネームバリュー、認知度を優先するならばやはりアトムということになるのであろうが、これだけアトムグッズが溢れ返えっているのでは目立ちはすまい。新規性には乏しかろうと思われた。
おむかえでごんす。
やがて、二階に移動を促された。
そう、こんな風に。
![スパイダーおむかえでごんす](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65708078/picture_pc_6a6c4ace2cdd623d12a7ca7223cd71c5.jpg?width=800)
建物内部の壁には、手塚キャラクターたちが描かれている。皆さん勢ぞろいの図だ。
二階会議室で面談した相手は、展示会の時の方々とは別だが、部署は同じくライセンスビジネス担当で、その責任者であろう部長さん、契約関係、手続関係、そういった担当分けが為されている御三方だった。
私は、サプリメント in ウォーター MCMのめぐみの商品説明と、これまでの500mlでコラボ商品を作ってきた経緯や、ライセンスを供与いただけれるのであれば、一過性のものではなく永く続く商品にしたい等の、商品化に関する考え方を述べに述べた。
存外にも、先方は好意的な態度であった。聞けば、ただいま現在手塚プロダクションでは、手塚治虫生誕90周年事業の真っ最中であり、普段にも増してコラボ事業に力を入れているのだと言う。
なるほど、それはもっけの幸いと言うもの。ホッケの西京焼きとはまるでワケが違う。
俄然張り切って、私は、少年時代の手塚漫画、手塚アニメに関しての想い出も出来るだけ語った。そりゃあ、相手に好印象を与える為ではあるが、おべっかと言うまでのものではない。素直に偉大な漫画家への賛辞を述べさせていただいたのだ。
そりゃそうだろう。子供の頃に読んでいた、遠い存在の筈の手塚作品と関わりが持てるなんて、それこそワクワクする様なことではないか。浮かれずにいる方がどうかしている。
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65709149/picture_pc_39ae9f529097cb6a67c02d719ce3b418.jpg?width=800)
そういう私に、部長さんは、当時の想い出話を苦笑いを浮かべながら幾つか披露してくれた。
それこそオタキング岡田斗司夫であれば、YouTubeで嬉々として解説動画をアップする様な類いだ。
どうやら、手塚プロダクションには、生前の手塚治虫に師事した人や苦労を共にした人など、当時からの人々が多くそのまま残り続けているらしい。
ライセンシングエキスポジャパン2018のブースで感じた、ギラギラ感の無さの理由が判った。
1989年2月9日午前10時50分、60歳の若さで没した天才。
その遺産であるキャラクターたちを守りながら、忘れ去られることなくこの世に生かし続けようとしてきた会社。
決してビジネスオンリーでは納まらない。
それが手塚プロダクションなのだ。
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