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恋愛→結婚→出産のルートが"正規ルート"なわけではない

今日のテーマは、「ロマンティックラブ・イデオロギー」について。
一言でいうと、これは「恋に落ちた男女が結婚し、子どもを産む」という考え方です。

多様性の時代といわれてやや経ちますが、それでもまだ今日の日本では、「好きになった人と結婚して子どもをもつ」という考え方が一般的というか、多数派の考え方なのかなと思います。

このイデオロギーのミソは、愛と結婚と生殖が一体化していることにあります。愛するもの同士ならば結婚し、結婚したならば生殖活動もする、ということですね。


先に、そもそもイデオロギーとは何ぞや、と辞書をひくと、「観念形態」などと出てきます。

社会集団や社会的立場(国家・階級・党派・性別など)において思想・行動や生活の仕方を根底的に制約している観念・信条の体系。歴史的・社会的立場を反映した思想・意識の体系。観念体系。
三省堂 大辞林 第三版

私なりに噛み砕くと、「その人が属している文化社会の中で、無意識のうちに前提としている思想や観念」みたいなものかなぁ、と思っています。


話を戻して冒頭の、「恋に落ちた男女が結婚し、子どもを産む」という考え方について。
実は、ロマンスの起源においては、愛と結婚はつながっていなかったようなのです。
「ロマンティックラブ」の起源は、中世の宮廷恋愛にあるといわれています。騎士と貴婦人の間での恋愛のことを指していました。しかしそもそも、貴婦人は既婚者。すでに結婚している者との熱愛を、ロマンスといっていたのですね。つまり、結婚とロマンスは、はじまりは両立していなかったのです。

もちろん、言葉も文化も時代とともに変わっていくものだと思っていますので、原義に立ち返れ、と言いたいわけではありません。
けれども、そもそも違うものだったのか、と知ってみると、ちょっとだけ世界が違って見えませんか?

モンテーニュが著した『随想録』でも、恋愛と結婚は分けられるべき、との記述があったそうです。
結婚は家柄や財産を維持するためのものだから、恋愛とは質が違うと思われていたのかもしれません。
日本においても、中世の時代では、結婚して妻となる女性は特権層。独身者はたくさんいたといいます。これもきっと、恋愛と結婚が別物だったからではないでしょうか……。


「みないつかは結婚するものだ」みたいな風潮は、実は近代に入ってからの文化。
とはいえ、自分が幸せになるために結婚を望むなら、そのための努力や行動は必要だと思います。

ただ、もし、そういう社会の潮流みたいなものに苦しんでいる人がいるのなら、実は昔はそんなことなかったのよー、ってわかったら、ちょっとは楽になれるかもしれない。

社会が昔に戻ることはなくても、自分の中で、少し違う見方ができればいいと思うのです。

イデオロギーに、押しつぶされてしまわないように。

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