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温もり

人間

 段々と暑さも落ち着いてきてとうとう秋が来ましたね。夏の緑も次第に褪せてすっかり街も木々も紅葉に染まりました。私の地域では、遂に気温が氷点下まで落ちることもあり、あぐらをかいていたコートやニットの出番が増えてきました。来たる冬。今年はまた厳しい寒さになると考えるだけで背筋が冷えてきます……。

 そんな季節で人々は温もりを求めます。鍋料理だったり炬燵、カイロに冬着、また時には——人肌だったり。寒さや寂しさの目立つその季節に「人肌恋しい」という言葉をよく聞きます。「人肌恋しい」とは人との肌の触れ合いを求めている状態のことです。 下心というよりも「安心した気持ち」「ぬくもりに包まれたい」「満たされたい」などの感情を指します。

 冬に限らずとも人は一人では生きていけません。そんな人間の基本的な要素である人との関わりですが人間という漢字、実は『ひとあい』とも読みます。この『ひとあい』は人愛とも書き、人付き合いや人に対する愛想を指します。他にも「じんかん」と読めば仏教用語で人の住む世界のこと。「ひとま」と読めば人のいない時。どれも人との関わりを表す言葉です。人がいる時、いない時、関わりや繋がりについて。これは人によって様々な意見や立ち回り方がありますが、一切の人との関わりがない人などいません。それらを愛し、大切にできる人でありたいです。
人間=人愛とも言えるとても優しく柔らかい言葉の響きがまた心を温めますね。

弱くない

 人って 弱くはないが脆いというお話です。
些細なことで傷ついたり少しの気遣いで疲れたりと、何気ない日常の中で幾度もダメージを負う中でたくましく生きる人が必ずしも「強い人間」とは思わなくなってきました。というのも昔は彼らを「強い人間」だと思っていたからです。私は小さい頃、気にしないというより気付かないという阿呆っぷりを貫き通していたので自身のダメージについては気にもしなかったのですが、何度も挑戦してめげずに立ち向かう友人などを横目に見ていて勝手に「あの人は芯があって強い人なんだな。悩まず進む人なんだな」と勘違いしていました。
実際、人は悩みもあるし諦めたくもなる生き物です。大人になったからか、自分もそのような経験をしたからか、次第にわかってきました。はたから見れば楽しそうな人も、その溜まったダメージに耐えれなくなってしまいある日突然崩れ得るということ。またその脆さは人によっても違うこと。そしてもう一つわかったことは、それらに効く即効性の薬は存在しないことです。傷のようにできたそのダメージはゆっくり治すしかないのです。

「自分ですら治せないなら、紛らわすしかないのか」とも思ってます。結局正解は治ってみないとわからないのですが、きっと人の温もりも助けになると思っています。そんな脆くも助け合う人間(※読み方はお任せします)を私は愛しく感じます。

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