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つまらない人

過去と繋がっていた現在

 過去、私にとって音楽とは趣味の一つでした。それは単に自己満足でしかなく、でも夢のあるもので楽しくて、そしてやりがいを感じられるものでした。

 音楽以外もそうでした。今もですが、絵画を描くことが好きで絵画教室にも通っていました。県内の大会で最優秀賞を取った時は、本当に嬉しかったですし、やってて良かったと思えたものです。

 続けることは大切です。継続は力なり。この言葉は本当なんだろう、とつくづく思わされます。続かない人はある種、その物事においてセンスがないんだろうなと思います。

 私の持論ではありますが、『センス』というのは2種類あると思っています。
 一つ目は先天的なセンスです。いわゆる『ギフト』の類です。
音楽で言えば、絶対音感。勉強で言えば瞬間記憶。
 二つ目は後天的なセンスです。これは「センスを磨く」というよりも「自分を磨き続けれるセンス」だと思います。

 人には得意不得意がありますし、好き嫌いも必ず生じると思います。だから全員が全員、音楽や絵画を好きになれるとは微塵も思っていませんが…。ですが、必ず好きになれるような、熱中できるようなことが世の中あると思うんです。

趣味や寄り道がもたらす事

 中高生の時、散々言われた言葉があります。「勉強は、いつか必ず役に立つから。」きっと皆さんも散々浴びせられたと思います。
あの時は「なんで僕が数学のベクトルなんかを将来使うんだ?」と毎度不思議に思ってはイヤイヤながらやっていました。

 ですが、少し成長してやっと気がつきました。恐らく、あの言葉はベクトルや数学の分野に何か将来を見据えられる人に手向けられた言葉なのかな、と。勉強の仕方を勉強している、とよく言われますがそれは大雑把で、抽象的すぎる説明だと思ってしまいました。

 何かについて勉強したり、何かについて考えたりすることは、『それ』に対して先が見えているからなのでしょう。何かに対して好きになれたり、興味がわくのは『それ』に対して何か理想を見るからなのでしょう。

 当然、興味関心には起伏があると思います。私自身も、作曲においてスランプとも言われるような状態に陥った時には、音楽から離れたくなるような気持ちでした。ですが、音楽を絶えず続けてきた結果(続けすぎた結果)、音楽から離れようとしてもギターを持ち続けていました。ピアノを弾き続けていました。

 私には万物が音楽に聞こえる『絶対音感』もありませんし、幼少期から音楽に恵まれた環境で育っていたわけではありません。ですが、中途半端は悔しくて、出来ないわけがないと諦められずに、ずっと続けてきました。

 私は私以外ではないので、なぜ相手に趣味が少ないのか、なぜ相手に続けられるセンスがないのか、その原因は分かり兼ねます。でもそんな寄り道も相手を形成する今、という人生であり、何かしらの未来に繋がっているんだなと、ふと感じました。

 もっとたくさん、自分の好きに気付けますように!

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