人を嫌いになれる能力が欲しい
唐突だが、自己分析の結果、私には「人を嫌いになる能力」が無いことに気が付いた。
かつて境界性人格障害を患っていた頃は容易にそれができていたのだが、治癒した現在、私には「対象人物について深く知ってしまうと嫌いになることができなくなる」という少し厄介な性質がある。
境界性人格障害について、そしてそれを患っていた頃のことについてはいずれきちんと記事にするつもりなので今回は省略する。
人を嫌いになれないとはどういうことか
人を嫌いになる能力が無いと一言で書いたが、これはいったいどういうことか説明していく。
簡単に言えば、どんなにひどい仕打ちを受けても、社会的に見て明らかに悪いことをしていたとしても、あるいは違法なことを堂々としていたとしても。
その行動そのものを非難することはできてもその本人を嫌いになることができないのだ。
かつて私はいじめにあっていた。家庭環境もよくはない。パワハラ、セクハラで悩んだこともある。結婚前提で付き合っていた彼氏に浮気されて別れた時ですら。
それらについて、その人達の行動そのものを悪と叫ぶことはできても、彼ら彼女らを嫌いになることができない自分がひどく憎かった。
「いっそ嫌いになれたらどんなに楽だろう」そう何度考えても、脳内でその人物を擁護してしまう自分がいるのだ。
何故人を嫌いになれないのか
私は「人間」という存在は非常に興味深いものだと考えている。人間というものは、受精・着床後細胞分裂を繰り返しヒトの形となり最終的に母体から出生し地上に降り立つ。
物理的に地上と接触するのはもう少し後になるが、ここではまぁそういったことはサラッと流して書いていこう。
そして人間は脳という途方もなく複雑な臓器を有している。未だにその活動内容は完全には解明されていない。ソース提示をすると本題から逸れるため今回は省く。
この脳は人間が生命活動を続ける中で常に変化をし続け、その人物の思考その他諸々の根幹となっていく。
その人物の思考その他諸々は、対象を取り巻く環境、実際に起こした行動等によって常に変化していくと私は考えている。
私はこの「人間」という存在そのものが好きなのだ。きっと。
興味深くてたまらない。特に日々変化していく人間は大好きだ。逆にあまり変化のない人間やこれまでの人生で変化をしてこなかったと思われる人間には興味をそそられない。
私は誰かと交流するとき、その人の話す内容は勿論、仕草、身なり、表情など様々な部分に着目している。これは意識してのことではなく、おそらくHSPという気質からくるものなのではないだろうか。
そしてその人物のこれまで歩んできた人生を想像する。実際に本人が話してくれることも多いのだが、とにかく私は「今ここで私の前にいるこの人物には幾年もの歴史があり、それが複雑に絡まりあってイマここにいる人間を作り上げている」ことに興味を持つのだ。
その過程で、私は何故かその対象の人生を追体験してしまい、まるでその人物が自分自身かのように感情が揺さぶられる。
重要なのはこの追体験だ。これによって私は、相手を知れば知るほど、その人物の思考や行動理由がわかってしまうため、どうしても嫌いになれなくなる。
人それぞれに正義がある
私は、正義というものはひとつではないと考えている。
大学で政治哲学を専攻していたからこそ余計にそう感じるのかもしれない。大学時代の話はいずれ沢山書きたいことがある。
いまアメリカでは大統領選で大きな正義のぶつかり合いが起きているが、どちらの言い分もそれぞれの立場からすれば紛れもなく正義、相手は悪だろう。
まぁ暴力はよくないと思うんだけどね。よくないよ、暴力。
私は水みたいな人間だ
少し前の就活で「あなたを生活必需品に例えるなら何ですか?」などというクソ質問を投げかける面接が流行っていただろう。
その質問に答えるとしたら、私はきっと「水」だ。
生活必需品の定義はさておき、そのままの私は無味無色で、まるで自分が無い。しかし環境によって、交流する人間によって簡単に色を変え、性質を変え、時には異物が加わり酷く濁ったりする。
そういえば「水」って回答すると結構内定貰いやすいみたいなことを聞いた記憶があるのだが、私でも貰えたのだろうか。どうでもいいけど。
人を嫌いになるコツを教えてほしい
以上書いた通り、どうやら私には「人を嫌いになる能力」が無いようだ。
だからこの記事を読んでいる人の中にもし「すぐ人を嫌いになる」という方がいたら是非とも連絡してほしい。
どうやったら人を嫌いになれるのか。そのコツを教えてほしい。
会社から散々酷い仕打ちを受けた挙句、ついに「邪魔だから辞めてくれ」と遠回しに伝えられてしまった鬱病休職者がお送りしました。
ほんと、嫌いになれたらどれだけ楽なんだろうね。
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