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記憶の扉をひらくとき(私の過去。トップシークレット)

私にはトップシークレットがありました。

過去の苦しかった体験のことです。

幼少期に両親から虐待を受けたこと

小学校高学年でクラスの男子から集団リンチを受けたこと。

中学校で学年全体からの無視というイジメを受けたこと。

思い出してはいけないことでした。

誰にも語ってはいけないことでした。

なので、全ての記憶を封印しました。

初めて、テープ式心理学の創立者仁先生のカウンセリングを受けた時にも、過去のことは何も話しませんでした。

覚えていなかったからです。

NAMIDAサポート協会カウンセラーあさみです。


記憶がない

子供の頃の記憶は途切れ途切れでした。

小さい頃(2歳~)から小学3年生までの記憶は、ほとんどありませんでした。

親から優しくしてもらったこと、親からしてもらって嬉しかったことが、片手で数えられる程度覚えているだけ。

あとの記憶は、すっぽりありませんでした。

小学校高学年で、クラスの男子全員から集団リンチというイジメを受けました。

イジメを受けた記憶はある。
リンチを受けていたこともわかる。

でも、それしかわかりませんでした。

教室の雰囲気、学校行事での思い出、何もありません。

小学校5年生の頃に宿泊研修がありました。
あとで、写真を見てわかりました。

どこに行ったのか?覚えていません。
何をしたのか?覚えていません。

小学校6年生の修学旅行。

全く記憶がありません。

私は北海道の人間なので、札幌に行ったことはわかる。

どこを見学したのか?
誰と一緒に過ごしたのか?
笑えていた瞬間はあったのか?

全く覚えていません。

中学校の教室の風景、同級生の顔、担任の先生。

なんとなくしかわかりません。

誰が同じクラスで、誰と話したことがあるのか?

3年間の記憶がありません。

記憶があるのは、小学校2年生の後半から小学6年生まで習い事でやっていたマーチングバンドのこと。
中学校での記憶は、学校の部活で吹奏楽をやっていたこと。
中学校から始めた、子供会リーダーの活動のこと。

学校外でやっていた活動のことは覚えています。

しかし、家での記憶がない。

どう過ごしていたのか?
家具の配置がどうなっている家で、私はどこに居て、何をしていたのか?

全く覚えていません。

最初にカウンセリングを受けた理由

私が最初にカウンセリングを受けたのは、仁先生です。

私はテープ式心理学のカウンセリングしか知りません。

その最初のカウンセリングを受けた理由も、息子の事でした。

当時、今小学6年生になった息子は5歳でした。

息子が1歳6ヶ月の頃に【重度知的障害を伴う、自閉スペクトラム症】という診断を受けました。

3年半不妊治療を頑張り、やっと授かった、命よりも大切な息子です。

当然、私はショックを受けました。

そして、義両親から毎日電話が来るようになりました。

『息子は一言でも話せるようになったか?』
『おままごとみたいな子育てをしているから、障害なんてあるんだ』
『赤ちゃんの頃から、あさみちゃんが話しかけないから、こうなったんだ』
『孫に障害があるなんて、我が家の恥だ』
『全部、母親の責任だ。責任を持って、息子の障害を治しなさい』
『家の息子(主人)は、仕事をしているのだから、全部母親である、あさみちゃんが悪いんだ』

とうとう、私は寝込みました。

動けない。
何も考えられない。
箸も持てない。
お風呂に入れない。
起き上がれない。
起き上がると意識を失って倒れる。
ほふく前進で、トイレに行く。

息子が1歳6ヶ月で障害がわかってから、4歳頃まで続きました。

自分の身体に起きている症状よりも、もっともっと辛いことがありました。

息子と遊んであげられない。
抱っこして絵本を読んであげられない。
息子を外に連れて行ってあげられない。
抱っこして、寝るまで歩いて、ユラユラしてあげられない。

私が今何もしてあげられないこの状況は、【息子にとって虐待になっているのではないか?】そう思いました。

そして、【虐待】というキーワードでYouTubeを検索していた時に出てきたのが、仁さんの『虐待を今すぐやめてください』という動画でした。

この人なら、私が今虐待になってしまっているかどうか?を教えてくれるかもしれない。

そして、虐待になってしまっていたのだとしたら、この先息子にどうしてあげたらいいのか?わかるかもしれない。

そう感じました。

そして、仁さんの公式LINEに連絡したのです。

そして、電話カウンセリングを受けることになりました。

私が苦しいから、カウンセリングしてください!

という流れではなかったのです。


全ては私の中にある


息子のことで相談しましたが、それに答えてくれながらも、仁さんの意識は私自身に向かっていたことは、電話でのやり取りで感じていました。

何度も、私の過去のこと、育ってきた家庭環境について聞かれるのですが、その時に私の記憶がなかったのです。

『私は両親の愛情を全身に受けて育ちました。両親はどちらかと言うと、親バカでした』

と答えていました。

何も覚えていなかったからです。

両親の虐待は、私のトップシークレットになっており、記憶も何もかも封印していたからです。

それでも、仁さんは私に何度も伝えてくれました。

『全てはあさみさんの中にあります。』

『あさみさんの幼少期に原因があります。』

『向き合うべきは、息子さんではなく、あさみさんの心です』

と。

そして、私は初めて【私の幼少期に何かある】ことを知ったのです。

記憶の扉

カウンセリングが終わったあと、何度も仁さんの言葉を噛み締めていました。

『問題は私の家庭環境』

『全ては私の中にある』

毎日ブツブツつぶやきながら、仁さんのYouTubeの動画を見漁っていました。

そして【白雪姫のお母さん】と言う動画を見た時にそれは訪れました。

この動画は、白雪姫のお母さんは、白雪姫にすごく酷いことをしていたけれど、お母さんにもネガティブがあった。そのネガティブと向き合えないから、娘である白雪姫に虐待をした。という内容です。

【母親のネガティブ】

という言葉に私は反応しました。

私の母は、1歳の頃に育てられない生みの親から、子供が出来ない祖父母に引き取られて育ちました。

9歳年上の兄もいますが、そのお兄さんも養子です。

つまり、母には【血の繋がった家族】がいない状態で育ってきたのです。

そんな母は、【血の繋がり】という言葉を異常に口にしていました。

その事を思い出したのです。

その途端、私の頭の中に吹き出すように小さい頃の虐待の記憶が映像として流れてきました。

いわゆる、【フラッシュバック】と呼ばれるものです。

感情封印をしていた私が涙が止まりませんでした。

第一印象は【壊れる…!!】でした。

記憶を言語化する

壊れる…!

全てが崩れ落ちてしまう…!

そう感じた私は、必死でした。

迷惑も何も考えずに、仁さんに連絡しました。

そして、仁さんと再度電話で話すことになりました。

ゆっくりと、私の様子を見ながら、話を進めてくれようとする仁さんに対して

私は必死に訴えました。

『お母さんの事です。お母さんのことを聞いてください。』

そして、人生で初めて

私は他人に【泣きながら】お母さんの虐待のことを話しました。

止まりませんでした。

もう、ウワー!!!っと話しました。

全てを聞いてくださった仁さんが、こう声をかけてくれました。

『はい。あなたは虐待を受けていました。』

『それも、尋常じゃない。』

『そして、あなたの息子ちゃんへの愛情は、話しているだけで凄く伝わってくる。あなたの息子ちゃんへの愛情は一環している』

【あなたは大丈夫。あなたは凄い人です。あなたは無価値のループを止めた人だから】

【無価値のループを止めた人です】

その言葉が忘れられませんでした。

そして、私は決断するのです。

『息子のために、私は私の過去と向き合って、ネガティブを解放する!』

と。

それが、今から6年半前になる、私のテープ式心理学との出会いです。

虐待の過去、イジメのことは、また記事にしたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

NAMIDAサポート協会カウンセラーあさみ

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