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営みとしての出版社 【1000文字で続ける日記のようなもの】

こんにちは。あさま社の坂口です。

今週、第二弾となる『じぶん時間を生きる』が校了になった。ゲラが完全に手離れして、印刷所に渡っていくと、グッと心のスペースに余裕ができる。PCU の空き容量が大きくなったみたいになる。それくらい入稿直前は、そこのことばかりに心を砕く。

あさま社は創業の1年目は1冊。2年目となる今年は3冊は出せるかなぁというくらいのゆっくりとしたペースだ。会社員時代は年間ノルマ12冊という年もあったくらいだが、果たしてどうやってつくっていたのか。同じことをやれ、と言われても今となってはむずかしいかもしれない。

「出版」を生業として考えると、どうしても本の売れ行きに経営(あるいは自身の生計)が左右される。一方で、本は「製造品」ではない。短い期間でつくれるものもあるかもしれないが、やはり熟成させ、時間をおいたほうが良いものになる。本づくりは時間がかかるのだ。

大きな母体の会社経営を考えると、今の本が売れない時代に成り立たせるのであれば、やはり冊数は必要になるのだと思う。出して売れない本は、返品として返ってくるのだから。

であれば、行き着くところはシンプルで、少ない冊数で経営を成り立たせるには、母体を小さくしないとならない。数学は滅法苦手だったが、そんな考え方から、一人で出版社を始めることになった。

出版は「生業」なのかもしれないけれど、もう少し「営み」に近いものにしたかった。工場での時間労働的な収入源としてではなく、田んぼや畑のような「農」に近いものにできないか。

分業は、効率化を高める上では非常に効果的だ。だから、分業はやめて、効率化を求めずにぜんぶ一人でやる。外の人に任せることももちろんがあるが、人を雇うのではなく、ゆるやかなネットワークの中で出版というプロジェクトを完結させる。企業は社会の公器というのはほんとうだろうか。そんな疑問もわいてくる。法人という発想を信じきらずに、出版社をもっと「場」のようなものとしてとらえる。

でもやっぱり気になるんです。

売り上げ数字や、刊行点数。

ゆっくりでいいんだっけ?
もっと社会にインパクトを残さないといけないんじゃないんだっけ?

そんな気持ちがもたげてくる時には、「となりのトトロ」で出てきた、大きな「楠の木」のもとに参る。樹齢は人の命よりも長い。自分が生きてる間に次の世代にどんなことが残せるか。少し時間軸の長い思考ができるのは、おそらく太い年輪のせいだけではないはずだ。

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