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番外編 ペナンハウスオブミュージックで、ペナンの音楽史を知る。(2022 マレーシア旅行)
ペナン島のジョージタウン中央にある「KOMTAR(コムタ)」。バスターミナルとなっていて、ペナン島内外にアクセスできる要衝として機能しています。
今回はそんなコムタの4階にある「ペナンハウスオブミュージック(Penang House of Music)」という音楽ギャラリーにふと立ち寄ったのですが、とても有意義な時間となったので、今回noteに記したいと思います。
訪問のきっかけは、たまたまマップを見ていてだった
ペナン観光にあたって、街の至るところにあるストリートアートをウォーキングしながら見ようと考えていました。
ただ、ネックになるのが暑さと紫外線。気温は日本とそこまで変わらないものの、直射日光、紫外線は明らかに強く、屋外散策を数時間も日中に行うのは厳しいと感じていました。
室内のアクティビティでなにか鑑賞できるものはないかと、Googleマップで探していたところ「ペナンハウスオブミュージック」というギャラリーをたまたま発見。
施設が入っている「KOMTAR(コムタ)」というタワービルへ興味本位で向かってみたのでした。
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コムタ周辺のビルとストリートの商店のコントラストが大きい
![](https://assets.st-note.com/img/1671329998666-6hAGw2ClGN.jpg?width=800)
この時の気温は30℃でしたが、陽射しは日本の比ではないくらい強い。
ペナンハウスオブミュージックってどんなところ?
一言でいうと「ペナンの音楽にまつわるギャラリー」でしょうか。
ペナンにおける過去の音楽の変遷の紹介。
ペナン音楽をアーカイブ、保存する活動。
ペナンの音楽コミュニティのサポート。ライブ会場も併設。
ペナン音楽の過去、現在、未来の活動が1ヶ所に凝縮されたところとなっています。
スタッフによるガイドが付いたツアーは約45分、お値段は日本円で約1,200円程度だったかと記憶しています。
スタッフの方の解説はマレー語もしくは英語ということでしたが、簡単な英語でお願いして快く対応してくれました。
ギャラリーについて
以降はネタバレにならない程度に紹介します。ざっくりまとめたものであることをご承知おきください。
ギャラリー内ではペナンと音楽、アーティスト、一般市民の音楽の関わりという視点から、以下のセクションに分かれて紹介されていました。
19世紀〜20世紀前半:当時のペナンの楽器と音楽のかかわり
1940〜1950年代:第2次世界大戦と音楽コミュニティ
1960〜1970年代:ラジオ、そしてテレビの普及、ペナンのポップミュージック
19世紀〜20世紀前半:当時のペナンの楽器と音楽のかかわり
もとは中国から伝来した「二胡」「笛子」「木魚」などが主に用いられ、お祭り等で用いるものだったそう。
iPadを用いた楽曲試聴コーナーもあったのですが、中国系の楽器を使いながらもどこかハワイアンなテイストが含まれた音楽。
インド系、欧米系、中華系、マレー系という多様な文化から生み出される音楽は、非常に興味深かったです。
その後は、欧米からのバイオリン、アコーディオン、ハーモニカといった楽器も伝来。19世紀後半からは、インドの劇場文化が入ってきて、ボリアという劇場でき、ミュージシャンが演奏する場も整備されていったとのことでした。
1940〜1950年代:第2次世界大戦と音楽コミュニティ
個人的にとても考えさせられるものがありました。
第2次世界大戦で日本がマレー半島を占領したことで、当時西洋音楽を公に出すことが制限されていたのです。ペナンの音楽コミュニティでは、音楽を絶やさないように大変な努力をされていたことが印象に残りました。
1960〜1970年代:ラジオ、そしてテレビの普及、ペナンのポップミュージック。
コンテンツとしては最も現代に近い (4) がメインで紹介されています。
ペナン島出身のアーティストであり俳優、映画監督業もこなす、マレーシア音楽の父とも称されるレジェンド「P. Ramlee(P.ラムリー)」さんについても多く触れられていました。
私は存じ上げなかったのですが、知れば知るほど多彩な方でびっくり。
1960年代に入るとレコードやラジオが一般家庭にも普及し、音楽がより世間に浸透する時代。
それまではレコードプレーヤーやラジオというものは欧米製の非常に高価なものしかなく、喫茶店で聴くものだったそうです。
安価なラジオができて家庭に普及していったのは、日本製のラジオが大きく貢献していたことを知りました。
リソースセンター
この「ペナンハウスオブミュージック」ですが、過去の音楽史を紹介が中心となっていますが、「未来へ向けて音楽を保存、発展する」という目的も担っています。
リソースセンターという施設が中に併設されており、ペナンにゆかりのあるアーティストのレコード、楽曲をデジタルアーカイブする取り組みをなされていました。ただレコードをデジタル化して残すにとどまらず、当時の情勢や音楽が世間に与えた影響も記録するため、新聞の切り抜きも保存されていました。
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150年スパンで俯瞰すると、とんでもなく進化していることに気付かされる
その他、当時のラジオ放送スタジオ、映画館を再現したブースがあり、当時の当時の楽曲のみならず、一般市民の音楽の楽しみ方まで知ることができました。
またVRを駆使したP.ラムリーさんのライブを拝聴することができたのには驚きました。日本でVRはこれからという印象が強いですが、こういった施設でVRが活用されているのはとても良い取り組みと感じました。
本線から逸れますが、マレーシアではVR系のミュージアムもいくつかありましたね。新しいものから体験を提供する取り組みと受容度が日本よりも断然高いように感じられました。
訪問してみて
かなり思いつきで訪問しましたが、訪問してみてとても良い刺激になりました。普段生活していてマレーシア、ペナンの音楽について知る機会などほとんどない中で、当時の市民の生活や音楽との関わり方、著名なアーティストについて知れたのは良い経験でした。
ガイドスタッフの方もとても気さくで、楽器を触らせてもらったり、理解が追いつかないところは補足してくださいました。
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楽器については実際に触ることもできる
ギャラリー自体は、解説付きで50分程度で一巡できるものなので、ちょっと時間ができて立ち寄るのにもちょうど良いと思います。
「ペナンハウスオブミュージック」は、「KOMTAR(コムタ)」というペナン島内で最も高いタワービルの中の4階に入っており、3階フロアからエスカレーターでアクセスできます。
もしペナン島観光のスキマ時間ができたら、是非立ち寄ってみてください。
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