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私の治したいところ

私は、人よりも恐怖を感じやすい。
この点において、私は明確に人と違う。

特に、人が少し語気を強めるシーン等で、必要以上に恐怖を感じてしまう。

「女性はだいたいそうだ」と言う人もいるが、経験的に、性差の問題ではないことを確信している。他の多くの女性と比べても、明らかに私は人よりも恐怖を感じやすい。

私は、この特性に長年悩まされている。

「なんでだろう?」と思って、20代後半の私は、脳神経学の本を読み漁った。その時、原因(というか起きている現象)が何かがわかった。

どうやら、脳の扁桃体という部位の働きが、私は人よりも活発であるようだ。そのせいで、他の人が日常と捉える特定の状況に対して、私は無意識かつ瞬時に脅威を感じ取ってしまっており、カテコールアミンというホルモンの働きによって身体に「回避せよ」という指令を出てしまっているようだ。

でも、原因がわかったところで、私には治す方法まではわからなかった。海外ですごく非現実で特別な治療法を試した事例は存在するようであったが、それ以外に根本的な解決方法は、(少なくとも私が独学で調べた範囲では)見つけることができなかった。

今も、どうやったらこの、私の「脳神経の癖」が治るのかは、わからないままだ。

「あさこは繊細だから」
よく人は、そうやって励まして(?)くれる。

確かに、私は繊細なのかもしれないし、色々なテストなどを受けると繊細という結果は出る。例えば、少し前に日本でも流行った(?)HSPテストは、日本で流行る前に留学時代に試しており、私は高い数値で該当していた。

でも、HSPだからといって、私が人よりも恐怖を感じやすいことを完全に説明出来るわけではない。ましてや、それを根本解決することには繋がらない。

人は、問題に直面したとき、その問題に名前を付けることで、対処能力を高めることができる生き物だ。人が占いや診断によってある種救われるのは、そのためだ。その意味で、「あなたはこういう人だから」と、人の特性をカテゴライズして、物事を合理的に進めようとすることの価値を否定するわけではない。

しかしながら、殊私のこの特定の悩みにおいては、名前を付けることは根本的な解決にはならない。私の言う「治したい」とは、対処することで副次的な問題を回避することではなく、その事象自体を起こらなくすることだ。対処なんて、とうに考え抜いて、やり尽くしている。

私は、「繊細」と自分にラベルを付けて、何かを諦めることはしたくない。自分の能力に、自分で限界を作りたくない。

だって、自分が自分のことを信じることを辞めてしまったら、誰が私のことを信じてくれるの?

自信も成算も、とうの昔に失ってしまっていたとしても、それでも人は自分を信じる努力を続けるしかないんだと思う。

そうしないと、人は自分を超えられない。

今までの人生において私は、私の有するこの特性によって、思うように評価されなくて、理解もしてもらえなくて、悔しい思いを沢山してきた。

不利なゲームで戦う必要性が、いつも私にはつきまとっている。そう感じている。

同じ高さのバーを越えることができる陸上選手が100人いたとして、彼らが皆等しい量の努力を要した訳ではないことと同じように、これは決して、「私だけが特別に他人よりも不利である」「私は特別に可哀想である」ということにはならない。そんなことはわかっている。この問題は相対論ではない。

ただ、この特性によって、日常生活で大切なことを諦めなければいけなかったり、大切な時に本来の能力が発揮できないことがあったり、短絡的に「弱い人」扱いされたりと言った機会損失があるということは、紛れもない事実だ。だから、私はこれを治したい。

変えたい。変わりたい。
もっと良い人間になりたい。


どうしたら、治せるのだろうか。
どうしたら、変われるのだろうか。

諦めてしまうほうが楽かもしれないけど、私は、まだ諦めたくない。生きる時間のほとんどは、葛藤するために与えられたのだろうかと錯覚してしまうほどに、私は諦めたくない。

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