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こじらせ負けず嫌い

 私は子どものころから周りから「優しい人」と言われてきた。
 一般的に、おばさん、と呼ばれる年齢になった今でも言われる。
 あなたは優しい人だ、と。

 優しい人。人を憂える、人。

 ああ、確かに私は優しい人に見えるかもしれない。昔から人が泣いているのも怒っているのも、そのまま放ってはおかないタイプではあったから。
 だから仲たがいをしている人を見たら仲裁しようとしてきたし、飲み会でひとりぽつねんとしている人を見たらその人の隣に座っていた。

 だが、自分が優しくなどないことは自分が一番知っていた。
 私は、ただ負けたくなかっただけだ。
 は? 優しい云々の話でしょう? と疑問の声が聞こえてきそうだ。そう! まさにその通り。
 その理由を説明するために少し、私の子ども時代の話をさせてほしい。

 私は昔から目が弱かった。
 弱視、というやつだ。眼鏡やコンタクトレンズといった矯正器具を使っても視力が上がらない。視神経の方の病気だそうで一生このままか、ある日突然悪くなるか、それは誰にもわからない、と子どものころに医者から言われた。
 視覚障がい(この言い方は好きではないが一般的とされる言い方なのでこう言っておく)を持つ人が通う学校、今でいうところの特別支援学校に通った方がいいと言う人もいたそうだ。しかし父が、
「見えてはいる。だから普通の学校へ通わせる」と宣言し、私は視覚に障がいを持たぬ子どもたちとともに学校生活を送ることとなった。

 正直に言う。私は、父を恨んだ。

 皆が当たり前に持っているものを私は持っていない。いいや、完全に持っていないわけではない。けれど皆が当たり前にできることが私にはできず、そのことでからかいを受けることも少なくなかったからだ。

 私には、皆と同じスピードでボールを奪い合うような球技ができない。
 私には、針に糸が通せない。
 私には、定規の細かいメモリが読み取れない。
 私には。

 もしも晴眼者しかいないここでなければこんな思いを抱かなくて済んだろうに、と何度も何度も思った。
 とはいえ、どれだけ嘆いても子どもの力で現状を変えることはできない。だとしたら少しでも自分で自分を認められるように努力すべきだし、誇れるなにかがあれば、周りから馬鹿にされることも減る。
 そう考えた私は自分になにができるか検討し始めた。
 運動となると制限も多い。ならば勉強だ!と勉強に照準を絞ろうとしたのだが、すぐに挫折した。いかんせん、私は飽きっぽく、勉強が嫌いだったのだ。
 もう視力云々の話ではない。完全に性格の問題である。
 それがわかるだけに言い訳もできず、逃げ場も見いだせず、私は悩んだ。悩んで悩んで。
 ひとつの結論に達した。

 わかりやすいスキルがないならせめて性格美人になって周りに負けないようにしよう、と。

 もうこの発想がそもそも性格美人ではない。
 しかし、私は大真面目だった。
 ただ周りに負けたくなかった。こちらを馬鹿にしてくるようなそんな人間に膝を折りたくなかった。

 以来、私は優しい言葉を、優しい笑顔を心掛けるようになった。

 部活で悔しい思いをした子がいたらその背中を撫でた。
 先生に叱られて怒りが冷めやらない友達がいれば、愚痴に耳を傾けた。
 風邪を引いた級友のためにノートを必死に取ったこともあった。
 その結果、私は「優しい人」になった。

 自分で書いていてもどうなんだ、お前、と言いたくなる話である。
 これを私の友達が、私を知る人が読んだらどう思うのだろう。
 だが、こんな状態だからこそ、私には願ってやまないことがあった。

 できることなら、私の好きなところを「優しいところ」と言わない人と付き合えたら、と。

 だってそうだろう。私の優しいは「負けたくない」から生まれた歪んだものだ。そんなもの、簡単に剥がれ落ちる。本当の私はどんな勝負にだって絶対に負けたくないと思うような闘争心ばりばりの人間なのだから。

 事実、学生時代から小説を書いていてコンテストにも応募を続けていた私は、落選するたびに激しく落ち込み、粘ついた憤りを覚えていたものだった。

 なぜ、負けたのか、と。
 なぜ、私は勝てないのか、と。

 悔しくて悔しくて呼吸ができなくなりそうになるくらいに。
 視界が狭まって目の前が暗く淀むくらいに。
 もうやめたい。戦いたくない。でも挑戦しなければ願いは叶わない。
 アンバランスな心が自分自身の胸を抉り続ける。

 生粋の負けず嫌いをなめちゃいけない。コンテストだろうと、出世競争だろうと、はたまた恋のデットヒートだろうと、負けたてほやほやの私は劇物さながらの危険さを持つ、と自負している。

 けれど、この劇物並みの感情は優しいの対極にあるものだ。

 だから私は極力その感情を見せないようにしてきた。

 自分ではなく、同期が出世しても。
 ひそかにいいなと思っていた彼が、私が友達と思っていた女の子と付き合い始めても。

 絶対に「負けて悔しい」を見せないように歯を食いしばって耐えた。笑顔で「おめでとう」と笑った。

 負けたくない。
 せめて性格では負けたくない。

 その一心だった。

 でも自分でもわかっていた。そんな無理を一生続けることなんて絶対にできないと。
 結婚できるかどうかはわからないけれど、共に歩く人には私の本当の姿を知っていてほしい、と。

 しかしここまで読まれた方なら思われるのではないか。
 なにも自分から語らず、自分をわかってもらおうなど虫がよすぎる、なんでもお見通しのエスパーみたいな男などそうそう現れない、と。 
 本当にその通りだった。

 大人になってそう多くはないが恋人というものができたことはある。
 だが、そのすべての恋人が言った。
「君の優しいところが好き」と。

 そう言われる度に、ちがーう! と心の中で悶えていた。
 もっとも、私だって相手のことを好きだと思ったから付き合っていたわけで、理解してくれないからと言って即座に別れようとは思わなかった。結果、一度付き合えばそれなりに長く付き合うことになったが、その間に私はどんどん疲弊していった。

 一番身近な人から優しいを求められることが苦痛で仕方なかった。

 けれど自分からは皮を脱げぬまま、心がぼろ雑巾のようになったころ恋は終わる。その繰り返しだった。

 一生結婚はしないだろうし、心から気を許せる相手にも会えまい、そう思っていた私の前に現れたのが今の夫だった。

 夫は……一言で言って顔面が怖すぎる人だった。
 とあるIT企業で総務をしていた私の当時の手帳を見ると、社員の顔を覚えようと特徴を記したメモ書きが残っている。
 同じ会社でSEとして働いていた夫の欄には「殺し屋」と書いてあった。

 まったく、失礼極まりない。

 まあ、実際、細い目、ソフトモヒカン、がっちりとした肩幅、ゆったりとした話し方、どれをとっても恐ろしくて、殺し屋と書きたくなった当時の自分の気持ちがわからなくはないが。
 そんな外見こそおっかない夫ではあったが、接するうち内面は実に細かやかで穏やかな人であるとわかった。
 そう、彼は私のような張りぼてではない本物の「優しい人」だった。
 こんな優しい人に嫌われるのもきつい。私は彼の前ではより一層「優しい人」を演じるようになった。

 そんなある日だった。彼に食事に誘われた。
 ふたりで食事をしたことはなかったけれど、ほぼ同期であった彼のことを私も憎からず思っていたし、見た目と中身のギャップに萌えるものもあったため、気軽な気持ちで誘いに応じた。

 行こうと言ってくれた店が安さで有名な居酒屋であったことも、なんだか好感が持てた。
 高級料理なんて肩がこるばっかりだし、安いビールをなめながらだらっと話すくらいの方が気が楽だったから。

 居酒屋で簡単に乾杯した後は他愛ない話をしていた。
 好きなお笑い芸人の話、最近話題の映画の話、休日なにをしているのか、とかとか。
 中身なんてないかっすかすの会話だったけれど、彼とはそれほど気を張らずに話せて、リラックスできていた。
 その一瞬の隙を突くように彼が言った。

「緒川さんってさ、変な角度から人を見るよね」

 意味がわからなくて、私はいつも通り曖昧に笑った。

「変な角度? ごめん、意味が……」

 そう尋ねた私に、彼は強面の顔に薄く笑みを浮かべて言った。

「なんていうか、世の中、そんな敵ばっかりじゃねえよって緒川さんを見てると思う」

 驚いた。
 彼の言うことは……正しかったからだ。

 私は思っていた。世の中は基本敵ばかりだと。
 もちろん敵ではない人だっている。だがそれはかなり希少で多くの人は皆、気を抜いたらあっと言う間に食い殺しにかかってくる、獰猛な狼みたいなものだと感じていた。
 いや、本当に失礼な話である。けれどずっと私はそう思っていた。
 だから、食いつかれないように優しさで武装しようと目論見続けていた。
 簡単に噛みつく奴らになんて負けない。そんな思いで優しさという鎧を私は纏い続けていた。
 さすがに武装方法が「優しさ」だとまでは彼も見抜いてはいなかっただろうが、私が漫然と感じていた息苦しさを彼は正確に言い当てた。

──見抜いたうえで、それを口にして私に伝えてくれた。

 殺し屋みたいな顔のくせに。
 それなのにこの人は私に刃を振り下ろさないどころか、私を理解し、笑ってくれる。
 そう思ったらこの人が好きでたまらなくなった。

 この時点では、彼は私に恋心までは持っていなかっただろう。
 わかっていたけれど、私は彼にアプローチし続けた。
 好き、とまでは言えなかったものの、飲みに行こう、と機会を見ては誘うようになった。
 彼の方からも誘ってくれることが多くなった。

 そうして二年ほど経ったころ、彼から「付き合おう」と言われた。
 頻繁に飲みにも行っていて、メールもしょっちゅうやり取りしていて今さら感も若干あったけれど、私は嬉しかった。

 その彼に、どうして私と付き合ったの? と聞いてみたことがある。
 彼はこともなげにこう答えた。

「面白い性格してるから」

 優しい人、と言われなかったことがたまらなく有り難く、なんだか泣けてきた。
 必死に涙をこらえる私に、顔は相変わらず怖いままで、でもどうしようもなく優しい声で、彼はこう付け足してくれた。

「それと、目のことで仕事も大変そうだったのに、全然平気ですけど何か? って顔してさ、負けるかって頑張ってるところがすごいと思ったから」

 負けず嫌いという厄介すぎる感情に随分苦しめられてきた。
 負けたっていいじゃないか、そう自分に言い聞かせても、素直に頷けない自分が面倒で大嫌いだった。
 優しさを装う自分のことだって、本当に醜くて反吐が出そうだった。

 でも、そうやって負けまいとしてきたことを評価してくれる人もいるのだ。
 負けたくないが決して醜い感情ではないと思わせてくれる人もいるのだ。

 優しさがどんなものか、明言することは難しい。
 だがこのときふと思った。
 優しさとは、固定概念にとらわれず、自分の心の目だけでまっすぐに人を見ること、なのかもしれないと。

 大切なことをたくさん教えてくれた夫のことを、私は本当に本当に尊敬している。
 私の持つ偽りの優しさではなく、本物の優しさを持つこの人に憧れ、この人のようになりたいと思う。
 この人を越えたいじゃなく、この人に認められるようになりたい、と思う。

 そうした視点で人を見られたのは、もしかしたら夫が初めてだったかもしれない。

・・・なんて言っているが、夫と同じ資格試験を受けた際、夫だけ受かって私が落ちたと知ったときは、なぜあんただけ受かる! どぶにはまれ! と呪いをかけたくなるほど心が暗雲に閉ざされてどうしようもなかったのだけれども(笑)

 まあ、筋金入りの負けず嫌いがそんな簡単に直るものではないし、直すものでもないのかもしれない。
 なんといっても負けず嫌いのおかげで縁が結べたし、本当の優しさがどういうものかもわかってきたのだから。

 と言いつつも現在のところ、優しさは奧が深すぎて全容解明にはほど遠く、私はまだまだ優しさ初心者である。
 しかし、負けず嫌いに関しては少しずつ価値も感じられるようになってきた。もしや上級者へ昇格したのでは、と密かに喜んでいる。

 マイナスの感情に振れてしまいやすい負けず嫌い。これをプラスの方向に維持し続けるのは生半可なことではないだろう。けれど、負けず嫌いの私も私であり、好きだなあと思えてきたことだけは良しとしたいと思う。

・・・というかなりアレな内容が最初の投稿でいいのかと悩みつつ。。どうぞ皆様、よろしくお願いいたします!
 
 
#創作大賞2023 #エッセイ部門

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