龍の棲む水槽(ショートショート ファンタジー)

近所の中華料理屋へ飲みに行った。
最近TVで、町中華で一杯やる番組を見て、自分もぜひやってみたいと思ったからだ。

酒を飲むから店まで歩いていった。たったの15分ほどの距離だが、途中小雨が降り出した。傘は持っていなかったので、急ぎ足で歩いた。
信号待ちのとき、2階にあるパスタ屋でもいいかなあという誘惑に負けそうになったが、幸か不幸か休みだったので、予定通り中華料理屋へ入る。
週刊誌やら古い少年漫画やらが置いてあったが、特に読みたいものもなく、何も取らずに窓際の席につく。
「いらしゃませ」
中国人?台湾人?と思しき店員が、水と紙のお絞りを持ってきた。少し片言のような訛があった。
お誂え向きに生ビールセットがあったので、それを注文した。つまみは、定番ではあるが唐揚げと餃子である。唐揚げは三個と書いてあるので、一人前よりは少なめだろうか。
注文した料理が来るのを待つまで、ぼんやりと店内を眺めた。窓を背にして座ったので、店内の様子がよく見える。
左手の壁には色あせたビールのポスターがあり、少し古いファッションの女性が微笑んでいる。右手には福の字を逆さまにした中国のお守りと、赤い紐を結んだようなこれもお守りらしきものが飾ってある。奥の頭上にはTVがあり、ドラマがついているようだった。そしてその下に空になった大きな水槽があった。
その水槽はとても大きく、私の身長より少し短いくらい幅があるようだ。奥行きは60センチほど、高さもそれぐらいだろうか。イメージ的にはピラルクーなんか入っていると丁度いい。
そうこうしているうちに、生ビールとお通しのピーナツが出てきた。うまい。生ビールをうまいと思う季節がまたやってきたなあ。小雨で少し冷える夜だったが、十分に冷えた生ビールを楽しめる気温だった。
ゴクリゴクリといきたいところだが、まだ料理が来ないので、ちびりちびりと飲んでいたら、まず餃子がきた。餃子は、形がいびつになるくらい中身がぎっしりと詰まっていたが、おいしかった。さすが餃子はビールが進む。幸せだ。
餃子を半分食べたところで唐揚げがきた。確かに3つしか入っていなかったが、大きな大きな3つだった。十分に一人前である。大きいが、中までしっかり上がって、カリッとジューシーである。それで出てくるまで時間がかかったんだな。大きいと揚がるまでに時間がかかる。これまたビールが進む進む。進みすぎて、ツマミを食べ終わる前になくなったので、紹興酒を頼むことにした。そろそろシメも食べたい。ここはやはりラーメンである。ごく普通のラーメンが食べたい。
紹興酒がきた。ロックグラスいっぱいの紹興酒が400円は、お得な気がした。黒糖のような黒酢のようなコクがある。
ラーメンが来た。これこれ。茶色いスープにチャーシューにメンマ、ナルトまでのっている。お、麺も玉子麺か、例のTV番組で食べていて、無性に食べたかったのだ。
ラーメンと紹興酒。これまた絶妙だった。さすがは台湾料理店。ラーメンはあっというまになくなった。
ちびりちびりと紹興酒を呑みながら、もう一品食べようかと、ぼうっとTVを眺めていた。
考えているうちに、いい感じに酔っ払ってしまったので、今日はもう帰ることにした。
「2000円ね」
レジのところへ行くと、さっきの女性が言った。安い。アルコール二杯飲んで三品食べてこの安さ。ありがたい。
そういえば、と思い出し、何気なく聞いてみる。
「あの水槽、何飼ってたの?ピラルクーとか?」
「龍ね。龍、神様だから」
「え?リュー?リューってどんな魚?中国?台湾にいるの?」
「龍は龍ね、あれね」
掛け軸を指差す。そこには、天へ昇る龍が描かれていた。
「え?龍って、お姉さん、またぁ。からかってる?酔っ払いだからってさあ」
酔っぱらいジョークと受け留めた俺に、彼女は笑って言った。
「本当に龍ね。龍、水に棲む。神様、ここだけじゃないね、次のところいったね」
ポカーンとしている俺に、彼女は飴と割引券をくれた。俺はポカーンとしたまま受け取った。
彼女はアリガトござましたー、オヤスミナサーイ、と言った。
俺は、ありがとう、とだけ、なんとか答え、店を出た。

雨は上がっていた。
彼女の片言を思い出して要約してみると、どうやら龍は守り神としてお店に来てくれるらしい。龍は店にいる間、水槽に祀られるらしい。そしてやがて別の場所へ行くらしい。
…そんなことが…あるのか?龍は架空の生き物じゃないのか?それを水槽で飼うなんて。しかも突然どこかへ移動するなんて。魔法の国じゃないんだぞ、ここは。きっと酔っぱらいをかついだのだろう。
なんだかもやもやしたが、そう思ってやり過ごすことにした。

今日は良い天気だ。散歩日和だが、花粉症がつらいので、マスクだけはしている。
そういえば。ふとこないだ行った中華料理屋を思い出した。
龍ね…いや、いやいや、かつがれただけだろう。…だけどまあ、見に行くだけなら…。
散歩コースを変更して、中華料理屋のほうへ向かう。
「いらしゃませー」
外からでは見えなかったため、店に入った。
水槽には…水が張ってある!一体何が…?きっと大型魚を飼ったのに違いない。そう思いながら水槽へ近づいた。
……龍だ。そこには本物の龍がいた。掛け軸に書かれているのと同じ龍がいた。二本の角があって、火を吹きそうな大きな口、長い髭、長い体には蛇と違いちゃんと手足がある。極めつけは、手に何か水晶玉のようなものを持っていた。
「本物なのか?」
店員に尋ねる。
「龍もどたよ。お祀りするね」
「‥本当だったんだ」
「ホントだよ」
彼女はにこっと笑った。
俺は散歩をする気が削がれて、一杯やっていくことにした。
「ビールセットで餃子、唐揚げくれ」
座って龍を眺める。ときどきゆらゆらと動いている。やっぱり魚とは全然違う。これは龍だ。
ビールを一気にのんだ。なくなったので紹興酒もたのんだ。
気持ちよくなってきた。ああ、キレイだな、龍。
気づいたら、龍の水槽にへばりついていた。
「お客さん、龍きれいでしょ」
「ああ、きれいだ、こんなの見たことない」
紹興酒をあおった。
「夢じゃなかったんだなあ」
水槽の脇にグラスを置いて、パンパンと、なんとなく神社に参るように手を叩いた。

それから、なんとなく閉塞していた生活が、風通しがよくなった気がする。龍にお参りしたおかげなのか?いや、自分の心持ちが変わったんだろう。
毎日、当たり前の時間にうちを出て会社へ行き、帰ってきたら明日のために体を整える。そんな会社中心のつまらない生活しかないと思っていたのが、それではない世界もあるんじゃないかと、見方が変わったのだ。
それからは、酒を飲む量も減ったし、笑顔が増えたと思う。
肝心なのは、龍がいる世界もあるってことを、心のどこかに置いておくことなんだ。

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