何者でなくてもいい、ただ心地よく
岐阜空手サークル開始当初は、正直、野心がありました。
承認欲求であり、何者かでありたかったのです。
でもそうあれず、やり方に悩んだり、自分自身に対しても否定的になっていました。
軌道に乗ってきたのもありますが、肩の力が抜け、参加者が何人だろうがどんな人だろうが稽古を楽しむ余裕が出てきました。
そうしたら浮かんできたのは「なぜ私は何者かであろうとしていたのだろう」という思いでした。
プロジェクトの始動(すでに動き始めていますが)は考えていますが、なぜ肩書きなどほしかったのだろう