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ミニコラム

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雑多なミニコラムです。
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診断は降りないけど生きづらさをたしかに抱えて生きている

どうもネガティブです。
診断の話はね、ほぼたぶんないです。やってることや作業量からしてら大丈夫そうに見えるもの。
こないだ初めて心療内科というものにかかりました。
いや、今まであちこちで言われてたんですよね、
一度は病院行ったほうが良いとか、気軽に心療内科受診してもいいとか。
「あなたはちょっと様子がおかしいから病院いってこい」の類ではなくて「一回は行ってみてもがいいんじゃない?」っていうお誘いみ

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「創造・対話・寄り添い」へ

「創造・対話・寄り添い」へ

はじめまして、こんにちは、浅色デザインの浅色です。
普段はwebデザイナーとしてお仕事しています。
毒親アートフェスをやっています。虐待減少に貢献できればいいな。
最近ギャラリーつくりました。シェアアトリエ&ギャラリースペース「あとりえーる・ぎるど」です。
よくいろんなことやってて忙しそうな人みたいに思われてますが、
全部、自分から出ているものばかりなので、それほどいろんなことに手を出してるわけで

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だいぶ前に右目を手術した話

※若干、手術の話してるので想像してしまう人はご注意ください

若年性の白内障とかそんなこと言われた気がする。
2020年の秋冬頃にぼやーっとなんかずっと目が霞むなぁくらいで、しばらく目を凝らしたりしたら正常に見え方が戻りました。

だったのですが、
12月あたりから急に右目だけにずっとラップが張り付いた感じが広がったまま収まらず。
12月に名古屋のちんまりした眼科にかかって白内障だね、手術だね、な

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シェアアトリエってものを3ヶ月やってみたらしい

まだ実質、3ヶ月なんですよね。ぎるど始めてから。
厳密にはもう少し先ですけど誤差誤差。
シェアアトリエ&ギャラリースペース、として大々的にうたってますが、実のところみんなで集まってだべって楽しくものづくりしようぜっていうところなんじゃないかなって。
今のところ、とても優しい利用者さんばかりで、「居心地が良い」なんていってくださるほどに。
まじ皆さん大好き。
頑張って300円の座布団にしてよかった。

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どんなに正しい言葉や
ルールであっても
相手の感情をどうにかできるものではないし
どうにかしようとしてはいけない
その人はその人のルールで生きていて
その人の価値観で生きている
だからこそ家族であっても友人であっても
相手の思いや考えにまで責任を負う必要はない

これからやりたいこと

これからやりたいこと

ずーっと、ギャラリー&スペースの運営をやりたいと考えていました。

そのうちの一つの地元でやりたい、という願いは昨年熊本に引っ越ししたので叶いました。
あとはギャラリー&スペースの場所ですが、
熊本の市電から行けるくらいのあたりで、ということでいくつか候補に見当をつけています。

どのようなことをやるかというと、

・ギャラリー個展や企画展などに貸し展示として利用。

・作品の委託販売作品の代理販

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2017年はだいぶバタバタとしていたけれど、
2018年はなんだか良くなる予感しかない。
なんとなくなのだけど。

noteでミニコラムはじめました。
毎日できたらいいなと。

「忙しい」という言葉をあまり使いたくない。
たしかに精神的に余裕のないほどに忙しい時もある。
それでも「忙しい」という言葉は突き放す言葉だ。
だからどれだけ忙しかろうとも「忙しい」という言葉を言わないように気をつけている。

……それでも「忙しい」と言ってしまうことはあるけれど。

ゆっくりしたい。のかなぁ

のんびりやりたい、という気持ちはずっと変わってない。
ゆっくり、のんびりしていきたいし、生きていたい。
生まれたときからハードモードだったから少しは、と思ってしまう。
それでも時間が余るとなんだか持て余してしまう気がする。

たくさん寝ることはできても1時間2時間おきに起きたり、うまく寝付けなかったり。
近場の喫茶店などに一人でふらっと寄るにしても、どうしても仕事のことばかり頭にある。
どうしても

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思いの連鎖と交錯と

色んな人がいて、色んな思いがあって、色んな関係性があって。
当たり前でもちろん学校や家庭によっては「そういうふう」に教えられるのだけど、大人になって知るどこか歪んだ「ふつう」や「当たり前」。

十人十色って言葉は、色んな人が居ていいという素敵な言葉だと思うのです。
でも「普通は」という圧力の前ではあっけなく組み伏される。
去年から少しずつ動き始めた当事者会は、まず「日本一醜い親への手紙」を発刊する

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モノヅクリができる幸せってあると思う。
健康であること、道具があること、仲間がいること、目標があること、課題があること等、それらは人それぞれに異なって。
それなりに元気だし、それなりに創作欲求もあって、ずっと何かを作り続けていきたい。

そんな生き方をしたくて、しているはず。

「自分には何もないんだけど」って言う人ほど、周りに対しての気遣い、その人以上にその人のことを考えてるんだなーって思う人が何人も居てはります。
「自分と相手」の距離感を図れる人って、できない人からしたらものすごいスキルなのになーっても思った。
何にもないことなんか一つもないのにね。

否定される日々だったから思うことがあって

生まれてこのかた、ずっと誰かに否定され続けてきた、という記憶が多い。
子供の頃はいろんな自分になれるもんだと思っていた。
無敵の自分、何にでもなれる思春期。
小説家になりたかった。プログラマーになりたかった。声優になりたかった。弁護士になりたかった。宇宙飛行士になりたかった。
あとは…なんだっけ。

親と学校しか知らなかった頃、諦めた夢がいくつかある。
子供が夢を語れば、笑われてからの「むり、あれ

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醤油じゃなくてたまには塩、くらいの感覚で。

一人って空間はとても居心地がいい。
特に私の性格上なのだろうけど、一人の時間がないと逆にダメになる。
けど拒絶してるわけでもないし、物理的に一人であることが精神的にとても楽なのだ。
そんな私でもやっぱり一人は限界がある。
仕事の物量、専門分野外のこと、あるいは行き詰まったりした時はずっとその場で考えてても埒が明かない。
コンビニやスーパーがなければ…なんて話は野暮だからしないけど。

そんなときに

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