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【お悩み相談】不登校について~ココロノマルシェ~

アラフォーからの豊かな人生をガイドする
女性専門カウンセラー 朝比奈 卵です

本日はオンラインカウンセリングココロノマルシェへ回答いたします

本日のご相談はこちらです

不登校
はじめまして。子育てについての質問ですが、私の子ではありません。再婚した主人の連れ子ちゃんで、私は実際は母でもなんでもありません。
ですが、家族として悩んでいるので相談させてください。

連れ子ちゃんは16歳の女の子です。3歳の時に生みの母は置いて出ていったそうです。
今、高校1年生です。家では至って元気ですが学校に行くとなるとプレッシャーに負けるそうで行けなくなります。学校が嫌なら、フリースクールなど然るべきところへ方向転換すればいいと思いますが、本人はそんなことは受け入れられず進級したいようです。

そしてこの方は中身が小学生のような子です。課題やテスト勉強などを計画して進めることや、出かける際の支度など、逆算して自分の時間で考える力がほぼありません。

課題が終わっていなくてもゲームをして過ごしたり、遊びに行こうとしたりします。でも学校に行くとなると、課題が終わっていないと登校しなくなります。言っていることとやっているとが一致しません。これは小さい頃からこのようです。
不登校問題はきっと多くあるかと思いますが、もし良ければ本人もしくは保護者の立場として何か考え方などアドバイスいただきたいです。よろしくお願いいたします。
ととろさん

ととろさん初めまして
アラフォーからの豊かな人生をガイドする
女性専門カウンセラー朝比奈卵
と申します。

不登校当事者だった者として何か少しでもお役に立てればと思い、先輩方の後に大変僭越ながら筆を取らせて頂きます。

不登校ってガソリンの入っていない
エンジンに例えられることがありますが、
私もまさにそんな状態でした。

頑張りたいという(思考)と、
頑張ることができないという(感情)
の間で葛藤し、右にも左にも進めない。

その状況が更に心を疲弊させ葛藤を大きくして行く。

もしかしたら、ととろさんの連れ子さんが感じている「プレッシャー」というのも、そのような事が関係しているのではないかな?
と個人的には感じました…

私の話になり恐縮ですが、私は14歳(中2)から不登校になり、卒業まで登校することはありませんでした。
(現在アラフォー2人の子持ちです)

その後、夜間高校に進学するも通えたのは2、3ヶ月ほどでまたもや不登校。
結局退学し、ほとんど学校に通っていない人生です。

そして、先に両カウンセラーが仰っている通り
【何らかの理由で心が傷ついている】そして
【そんな自分を責めている】という状況でした。いづれも表面上はそう見えなかったと思います^^;

10代は社会経験も少なく当然ながら視野も狭いため、
「学校」=「社会」であることが多いです。 ですので、そこにうまく属せない自分は
表社会からドロップアウトしてしまうのではないか。

「不登校の私はダメな人間なんだ」というような極論に陥りやすく、学校以外の場所に通うことに、なんとなく後ろめたさを感じることがあります。

そしてここからはあくまで私個人の場合ですが…
そんな気持ちと平行するかたちで
「ダメな自分を誰かに受け止めてもらいたい」
という思いも強くあったように思います。

なにそんな甘えたこと言ってんの!と思われるのが当然だと思いますが要は甘えの変形バージョンだったと思います。

これについては、実際ととろさんの連れ子さんは何らかの支援、対策で解決可能なケースかもしれませんし、ここは本当になんとも言えないのですが、とにかく私の場合はそんな具合でした(この点については実に色々なケースがありますので「ふーん」という位のあくまで参考程度に見て頂ければと思います)

最近、多様性を受け入れるという言葉をよく耳にしますが、
自分の中の多様性を受け入れるには十代は
まだ心が伴っていないかもしれません。

ですので、今回ととろさんの書いて下さっている

学校が嫌なら、フリースクールなど然るべきところへ方向転換すればいいと思います。

というこの柔軟な発想や思いにきっと連れ子さんはこれから沢山救われていくのではないかなと感じています。うまくいかない物事を柔軟に受け止めてくれる家族が近くにいることは、とても大きな財産です。

また、最初に述べましたところの
「ガソリンが入っていないエンジン」について、じゃあそのガソリンとなり得るものはなにかと考えましたが、やはりこちらも先輩方が書かれている通り安心感(受容と共感)であると私も思います。

不登校について「治そう」とするより「分かろう」とする人が側に居てくれることが何よりの励みとなり、心の栄養となり、その後自分の足で一歩を踏み出すための大きなエネルギーに繋がるように思います。


「私のことは誰にも分かってもらえない」


そう思うとき、心は弱り

「分かってもらえた」

と感じるとき、心は癒され、挑戦心にも繋がると思うからです。

普段の何気ない会話でも
「今日はなにが食べたい?」
「その洋服かわいいね。どこで買ったの?」
「最近どんなことが流行ってるの?」

そんな他愛ないことでも
「自分のことを分かろうとしてくれている」
という気持ちに繋がるのではないかと思います。

そして恐らくととろさんもう既に、そのような受容と共感ができていらっしゃる方なのではないかと感じました。

程よい距離感を保ちながらも、お相手のお話を聞くのがお上手ではないですか?文面を拝見し、なんとなくですがそんな気がしていまして、もし、ととろさんとお話することができたら、そんな事をお伺いしてみたいなぁと思いました。

家では至って元気ということは、
ご家族の前では安心しているという証拠です。

その事から、
ととろさんは一体どれほどの愛情と忍耐力をもって生活されて来られたのかと本当に凄いことをされていると感動しました。
どうかご自分のことを大絶賛して頂きたいです。

最後に

心の栄養が溜まるのは一滴づつという側面があるように思います。
即効性はないですし、時間が読めない以上、とても地道なことで、日々関わる家族は本当にしんどい思いをされると思います。
嫌になったり、うんざりしたり、ぶつかることもあるのが
当然ではないかと思います。
そんな時は可能な限り、ととろさんの胸の内を味方になってくれる誰かに話してみて下さい。

言えることは癒えること
話すことは放すこと

もちろんカウンセリングもお勧めです^^

どうかご主人様や関係各所を頼って頂きながら、ととろさんのストレス発散、好きなこと、心地よく居られることを欲張りなほどにして頂ければと思います。

連れ子さんにとって自分のことで悩み考えてくれる家族がいること、そんなととろさんに出会えたこと自体とても幸せな事だと私は感じました。

またいつでもお話聞かせて下さい。
ご相談下さりありがとうございました。

アラフォーからの豊かな人生をガイドする
女性専門カウンセラー 朝比奈 卵

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