「ノルウェイの森」村上春樹
男と女があるく湿原を、どうにも知っていた。
私は、ふたりのうしろを歩いている。数メートルうしろを、しずかに、気が付かれないように、ゆっくりと歩いている。心地好い、夢のなか。
こんな記憶があった。
「ノルウェイの森」冒頭、僕の記憶。私はいつのまに、僕と直子を見つめる視点を手に入れていて、その景色を覚えていた。
幼い頃に読んだことがあったのだと思う。あまり理解できないまま冒頭だけ読んで、すぐに閉じて、そのまま忘れていたのだと思うのに、私の中には、その記憶だけ鮮明にあった。
村上春樹が好きではなかった。独特な語り口調や、村上の書く女の不自然さや、その生々しさが、私には馴染まない。
デビュー作「風の歌を聴け」を読んだのが、ちょうど今年の春あたり。短いお話だったから30分くらいで通読できたのだけど、あまり好みではなくて、内容はもうほとんど覚えていない。
けれども、「ノルウェイの森」をふたたび手にしたきっかけはたぶん、その読後感がひたすらに続いていたからだった。好きではないと思っていたはずなのに、不安定な読後感にずっと引っ張られていて、7月、知らぬまに手に取っていた。
痺れた。
読書観が変わってしまう、とすこし恐れた。
いままで読んだ中で、いちばん完全体な一人称視点の物語だと思った。
僕の実体が見えない。姿かたちが分からない。幽霊のように、ふよふよと漂うのみに感じる。かつての私小説というには(これが私小説なのか定かでは無いけれど)、あまりに肉体性が足りないような気がした。
そして、そんな実体の無さが、私にとって完全だった。
自分の実体をじっくり見つめることのできる人はどれだけいるだろうか。
私は私の見つけ方が分からない。
ぼーっとしている時間、思考が動き続けているという人がいる。その人は、思考が肉体を追い越してぐんぐんと先に行ってしまうから、疲れるのだと言った。
考えようと思わなければ思考は動かない。私はそれが当たり前だと思っていたのだけど、絶えず思考が回り続け、そうやって自分について知っていくのだと聞いて、心底羨ましかった。
自分について考え続けることができるのなら、疲れても良いから、そうなりたかった。
主人公ワタナベの思考は、いつも外側を向いていて、あまり自分に向いていない。斜め上から物事を見て、スカしている、嫌なやつ。都合の良い人たちだけを見つめていて、自分はどこにいるのか分からない。
読みながらそんなふうに思っていたから、ラストシーンにはほんとうに、核心を突かれたような気がした。
ワタナベと私の思考の方向が、よく似ている。
私にとって、これが完全な一人称小説なのだと思った。
この小説は、「100%の恋愛小説」らしい。
村上春樹自身が付けたキャッチコピーなのだけど、これが好きでたまらない。ほんとうは「100%のリアリズム小説」と付けたかったらしいけれど、こんなのリアリズムでもなんでもない自己陶酔だ、なんてひねくれた私は思ってしまうから、恋愛小説で良かったと思う。
この小説を作者が恋愛小説だと認識していることが、心地が良かった。
私はふだん、恋愛小説はほとんど読まない。人生の主軸は恋愛だと言われているように感じるし、そんな人生の主軸を簡単にエンタメ化してしまうような物語が、好みではない。
恋愛は、恋愛だけでは成立せず、人生の一部として、生死と同じような立ち位置で存在していてほしい。恋愛を主題に置いたとき、その恋愛のみを描いても、それはつくりもののようにしか思えなかった。
「ノルウェイの森」は、人生の停滞、成長、死、もちろん恋愛も、生に伴うすべてを描いている。それを恋愛小説だと謳うことに、とてもしっくりきたのだ。
司書課程の授業でビブリオバトルをしたときに、テーマが「中高生に勧める本」で、ちょうど読んだばかりのこの本を紹介した。
「大学生になってから読んだとのことだけど、どうして中高生に勧めようと思ったの?」
質問をされて、一瞬、なんて応えたら良いか分からなくなった。
「読んでみて面白くないと思ったとしても、どこかひとつでも、忘れられない描写やシーンがあると思うから」
結局、こう答えたとおもう。
私の場合、幼い頃に読んだ冒頭の部分をずっと覚えていて、今回こうして通読して答え合わせをした気持ちでいる。
読書体験とはこういうことだと思う。
好きな描写をずっと覚えていて、ある日ふと思い出したり、再会したりする。頭の中の引き出しを素敵な記憶で埋めていけることが読書の醍醐味だと思うのだ。
良い本に出会った。
7月17日読了
読了後1ヶ月程経ったので、感想をまとめてみました。
すぐに感想を書いても感情の昂りだけが文章に乗ってしまうと思ったので、期間を空けて、じっくり思い返しています。
そうは言っても、1時間くらいで勢いで書いてしまったから、全然まとまってないかも。
読みづらくても許して〜〜。
明日の朝、起きたら読み返して、軽く整えて、
夜にでも投稿しよう。
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