心の余裕
自粛生活もあと1週間で終わりを告げようとしています。
2月終わりから(途中3週間の再開を挟みつつ)の休業も5月いっぱいで終わる予定。予想はしていたものの、このステイホームが自分としてはとても性に合うものでした。
私はふたり兄妹なのですが、歳も離れ性別も違っているせいか、それぞれ一人っ子のように育ってしまい、思えば子どもの頃からひとり遊びのほうが得意だったりもしました。
本を読み、音楽を聴いたり演奏したり、動物のお世話をして…と、自分が今好きなことの根幹はまったく子どもの頃から変わっていないのです。そのことがこの自粛生活でより一層はっきりとしました(そのことは前回も触れました)。
音楽教室で子ども達に教えることを仕事としているのですが、普段のレッスンプラス発表会やコンクールに年中追われたり、研修、講習、講演などであちこち出張の多い生活のため、どうしてもひとつ終わればまた次の準備という、エンドレスに忙しい生活を30年近く(!)続けてきました。
その為に、いつも心にはどこか余裕がなく、家に居ても仕事との境目のない生活を送る日々でもありました。
それが、この降って湧いた休暇のおかげで、さきほども書いたような読書、音楽、動物の世話といった自分の大好きなことを、仕事のことを頭の中から出した状態でゆっくりと楽しみ味わうことができたのです。
また、家事をすることがわりと好きなので、今までゆっくりと手をかけてできていなかったことに注力もでき、ますます家が居心地がよくなる…という循環にもなっていました。
仕事に夢中で突っ走ってきた30年の間に「自分はこうやって走り続けるのが性に合ってるんだ」とどこかで思い込んでいたのかもしれません。ゆっくりと心にゆとりを持って丁寧にできるような仕事のやりかたにシフトチェンジする時期がとっくに来ていたのでしょう。そもそも器用ではないわけだし。
ギリギリいっぱいの力でなし得る仕事は、何かの拍子に一気に崩壊する危険があります。これからは余力を少し残しながらできるような仕事のやりかたを探っていこうと思います。
収入はダウンすることは必至です。そのことと支出のバランスについてもこの休暇中にたくさん考えたので、また別の記事で書きたいと思っています。
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