【エッセイ】地球は英語でなんと言う

 高校のころ、私と友人Sの席は前と後ろだった。出席番号がひとつ違いだったのだ。
 彼女とは、漫画や本の貸し借りをしたり、家に遊びに行ったり、一緒に勉強したりした。
 ある日の英語の時間、教師が問うた。
「地球は英語でなんと言う」
 高校生である。みんな答えは分かっていた。分かっているが、あえて口には出さない。そんな空気が流れていた。
 いっこうに声が上がらないので、教師は私の後ろの席を差し、友人の名前を呼んだ。
「地球は英語で?」
 友人は立ち上がり、少しのあいだ黙っていた。
 その沈黙に、私はとても嫌な予感がした。何かが起こりそうな予感。なんだか、答えさせちゃいけないような。
「地球……。 えーっと」
「地球は英語で?」
 もう一度問われて、彼女は自信ありげに(しかもとても良い発音で)答えた。
「地球はテラ、です」
 やっちまった! と私はひとり、顔を伏せた。たしかに、私(たち)が先日読んだ漫画では、「地球」に「テラ」とルビが振ってあったのだ。でも違う。あれは多分造語なんだよ。地球は英語でアースだってことは、あんただってわかってるはずだ……。
 私はいたたまれない気持ちで後ろを振り返ったが、当の彼女は気にする様子もなく
「間違っちゃった」
 などと言いながら席についた。
 その落ち着いた態度に、私は自分の心の乱しようを恥じた。そして幸いなことに、私の動揺も、彼女のテラ発言の元ネタも、教師やクラスメイトに勘づかれることはなかった。
 その後の休み時間に、二人で反省会をしたのは言うまでもない。
 この一件以来、私は授業中の発言には細心の注意を払うこと、答えがわかっていても大事をとって自分からは発言しないことを徹底した。なにかが起こっても、ソルジャーは迎えに来てはくれない。
 そんな思い出も含めて、「地球へ・・・」は私の人生のバイブルのひとつである。
 
 のちに調べた結果、テラは造語ではなく、ラテン語で地球のことだということがわかった。英語とラテン語の違いであれば、授業中の発言として許容範囲だろう。

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