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【エッセイ】ベルンのミルフィーユ
私にとって、ベルンのミルフィーユは東京の象徴だった。
子どものころ、父がスーツで飛行機に乗って出かけるとミルフィーユというお菓子を買ってきてくれた。銀の包装紙に小花の柄が散ったパッケージで、棒状のパイ生地のミルフィーユにチョコレートがかかっている。紐をひくと、包装を横切るように裂け目ができて、半分だけ包装をはぐことができる。
かわいくて上品で、少し食べづらいけどおいしいその食べ物が、私が初めて出会った「ミルフィーユ」だった。ピンク色の缶に三色のミルフィーユが並んでいて、どれを選ぶか迷ったものだった。
その後、ミルフィーユがあのお菓子だけの固有名詞ではなく、お菓子の種類のことなのだと知った。
自分で自由に飛行機に乗れるようになって、そのお菓子を羽田空港で見つけたときにはかなり興奮した。ベルンという店のお菓子で、しかもミルフィーユでなくて「ミルフィユ」という名前だった。レトロで都会的だ。
父が買ってきてくれたころとはパッケージのデザインが変わったし、季節によって限定の味が出たりもしている。それでも基本の味も形も変わらず、かわいらしく、おいしい。
東京に強いあこがれがあったわけではない。東京がどのようなところかも知らず、子ども心に東京に一生用などないだろうと思っていた。それが、自分でこのミルフィーユを手にすることができるとは、大人になったものだと感動すら覚えた。
今でも、羽田空港に行くと必ずと言っていいほどベルンのミルフィユを買って帰る。東京駅で買えることも覚えた。自分用にしても、お土産にしても、間違いない。
そして、ベルンのミルフィユを手にすると、懐かしいような、嬉しいような、寂しいような、複雑な気持ちになる。色々な出来事や気持ちをいっぺんに思い出してしまうからかもしれない。
特別な思い出はないのに、なぜか特別なお菓子なのだ。
そういえば、しばらく食べてない。次はいつ食べられるものか、今から楽しみにしている。
私にとってベルンのミルフィーユは、やっぱり今でも東京の象徴なのだ。
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