ネパールの安宿で客引きをしていた30代の男が見せた醜悪な絶叫に感じた「人間の本質」【映画監督・石井裕也連載】
第2回「ネパールの男」
19歳の時、映画学生だった僕はいくつかの外国を旅した。自分は一体どんな映画を作ればいいのか、当時大いに悩んでいたから、知らないことが知りたかったし、命が脅かされるような強烈な刺激を求めていた。
つまり、ただ若かったのだ。
ネパールのカトマンズで泊まった安宿には、特異な客引きの男がいた。30代半ばで、ボロボロのサングラスをかけ、犬を蹴飛ばし、幼い弟を怒鳴りつけ、つまりは弱い者をいじめて自らの優位性を示し、粋がり、その代わり自分の雇い主である宿の主人には異常なほどへりくだる背の低い男だった。
どこで覚えたのか、彼は簡単な日本語と韓国語を話したし、英語は特に上手かった。外国人の客を取り込むため、独学で学んだのだろう。生きるための語学だ。
夜は、いつも蹴飛ばしている犬と幼い弟と共に宿の玄関で一緒に寝る。地べたに毛布1枚、2人と1匹で並んで寝ていた。ボロボロのサングラスだけが彼の虚栄心を満たしているものの、それだってきっとどこかで拾ってきたか盗んできたものだろう。彼は、明らかに貧しかった。
「俺はこんなところでは終わらない」
既にボロボロになった野心の残骸が彼の中にまだ残っているから、客引きをしている時も笑っているようで、実は目の奥は決して笑っていない。
ある日の散歩の途中、宿から少し離れた目抜き通りで客引きをする彼を見かけた。
ある西洋人旅行客に噓臭い笑顔で話しかけていた。見事なまでにへりくだっていた。
歯牙にもかけない客に対して、彼の笑顔はどんどん大きく、つまりはどんどん噓臭くなっていった。結局、客は彼を振り切って行ってしまった。客引きにとってはそんなこと日常茶飯事のはずだが、1人取り残された彼はその場にしゃがみ込み、頭を抱え込んでしまった。胸ポケットからシケモクを出し、疲れきった指で何とか小さな火をつけた。
僕は彼に近づいて声をかけた。すると彼は「ビールが飲みたい。おごってくれ」と言い出した。「いやだ」と断ると、彼はあろうことか何度も何度も地面を足で力強く踏みつけ始めた。人生で初めて目の当たりにしたのだが、それは地団駄というやつだった。とどまるところを知らない彼は、あろうことか涙を流し、絶叫し始めた。 僕は俄にわかに眼前の光景を信じられなかったのだが、30代半ばの彼は人が大勢行き交う目抜き通りで、背中を地面にこすりつけ、あたりを転がり回り、幼い子どものようにゴネ倒した。「お前は日本人でカネを持っているはずだ! それなのに何でビールをおごってくれないんだ!」と、19歳の僕に向かって大声で泣き叫んだ。それは達者な英語だった。
彼は目抜き通りの真ん中で、恐らく人間の本質というものを完全に、見事なまでに晒し切ったのだ。その光景は、言葉にならぬ程に圧巻だった。彼の醜悪な絶叫がカトマンズの深い青の空に溶け合いながら、同時に僕は、みっともない人間の凄まじい愛おしさをそこに見つけた。
その時、「彼のような」映画を作ることに決めた。
僕の人生を大きく変えた彼の名は、ついぞ聞かずじまいだった。つまり、あれは僕の中で起こった名のなき変革だった。
(連載第23回 AERA 2018年10月15日号)
第1回「新鑑真号」 / はじめに / 第3回「左ひじの手術痕」
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