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石井裕也「映画演出・個人的研究課題」

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映画監督・石井裕也さん初エッセイ『映画演出・個人的研究課題』からの連載
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旅で出会った奇跡の猫よりも大切なものを持っている友人ミンヘイ君が思い出させてくれた「人生に必要なもの」【映画監督・石井裕也連載】

第10回「ミンヘイ」  初めて行ったベルリン国際映画祭でミンヘイ君という香港人の青年に出会った。当時僕は20代の半ばで、彼は少し年上だった。  雪に包まれたベルリンの街でたくさんの映画人たちと交流したのだが、ミンヘイ君は確か映画祭ボランティアの友達の友達、みたいなほとんど無関係の人だった。どうやって彼と知り合ったのかもよく覚えていないが、かっこいい欧州風の自転車に乗っていつもニコニコしていたのは覚えている。彼とはなぜか馬が合い、なぜか今でも友達なのだ。  彼はその後、自

5歳の子どもは知っているのに大人になると一笑に付されてしまう「約束」が世界を救う【映画監督・石井裕也連載】

第9回「約束」  子どもの頃、向かいの家に知的障害のある女の子が住んでいた。僕より2つぐらい年上だったのだが、体は小さかったし、真っ白な手足はとても細かった。彼女はたどたどしい足取りで歩き、いつもお菓子の入った大きな袋を持っていて、それを近所の子どもたちに配っていた。  僕の記憶の限りでは、たぶん彼女と会話はできなかったと思う。お菓子を貰う度にありがとうと言ったが、返事はなかった。彼女はいつも笑っているような、怒っているような表情をしていて、5歳の僕にとっては正直得体の知

誰も責任を取らない世界では「知らない、どうでもいい。ノータッチ」で生きていかなければならないらしい【映画監督・石井裕也連載】

第8回「責任を取る人」 「責任を取る人が少なくなった」  これは根拠のない僕の主観的な印象でしかないが、ここではそういうものを書いてみようと思う。今の素直な感覚を、忘れないうちに書いておく。  2011年の東日本大震災、原発事故以降、この国の空気はじわりじわりと薄気味悪いものになっている。これに関しては多くの方々も同じ感覚を抱いていると思う。  だが、よくよく思い返してみると、それ以前から「悪化」していたという感覚が僕にはある。震災前からかなり嫌な感じがあった。という

中学時代に誓った「人を見た目で判断するのはやめよう」という思いと、人を見た目で判断しまくる職業の話【映画監督・石井裕也連載】

第7回「顔面」  誰が言い出したのか分からないが、僕が中学生の時分、流行歌手や俳優の何人かは僕のクラスメートたちによって「元AV男優」だと勝手に決めつけられていた。  失礼な話だ。根拠なんてまるでないにもかかわらず「あいつは今売れてるだけで、元々はAV男優だから」などと学校中で噂になっていたし、それどころか蔑まれ、見下されていた。  別にAV男優をかつてやっていたとしても現在進行形でやっていてもまるで構わないのだが、子どもというのはほぼ例外なく差別的な生き物で、当時は「

少年は例外なく全員狂っている。「少年ノート」に残された“恥ずかしさ”と“美しさ”が突きつける喪失【映画監督・石井裕也連載】

第6回「少年ノート」  少年は例外なく全員狂っている。僕はそう確信している。  中学時代の同級生は狂った連中ばかりだった。好きな女の子と目が合う度に、必ず彼女の足めがけてヘッドスライディングする者がいた。それをする理由など誰にも分からなかった。きっと彼本人にも分からなかったのだろうが、彼は何度も何度も意中の女子の足下にヘッドスライディングし続けた。  陰毛を切っては箱に入れ、「この箱が一杯になったら願いが叶う」と本気で言っていた者もいた。授業中に水槽の金魚を釣っていた者

浦和レッズファン感謝祭で60人の顔を青ざめさせ、新聞に載った小学4年生のゴール【映画監督・石井裕也連載】

第5回「浦和レッズ」  今となってはサポーターにとっての聖地とされる、浦和レッズのホームスタジアムである駒場競技場のすぐそばに住んでいた。小学4年生の頃の話である。 「レッズフェスタ」なる浦和レッズのファン感謝祭のような催しに、近所のサッカー少年たちが僕を含めて50人集められた。なんでもプロのサッカー選手11人と対戦するのだという。  こんなことを書くのは憚られるのだが、試合は本当に苦痛だった。見ているほうは楽しいのかもしれない。何のために戦っているのかまるで理解してい

渋谷の中華料理屋では「モーガン・フリーマン」で時空が歪む。そして僕もそこから逃げられない【映画監督・石井裕也連載】

第4回「モーガン・フリーマン」  渋谷の道玄坂にある中華料理屋に入った瞬間、すぐに店内の異変に気がついた。  昼の12時少し前、5人組の男が泥酔している。皆一様にニッカボッカ姿で、目の据わり具合や声の大きさからいって恐らく前日から夜通し飲んでいた様子だ。店主らしき婆さんは「いい加減帰らなかったら警察を呼ぶぞ!」と男たちを罵っている。 「うるせぇババア殺すぞ!」と叫び返す男たちは、いやはや血の気が多そうだ。  人生においてこういう特殊な状況に立ち会ってしまうケースはまま

酒に酔うと赤く変色する左ひじの手術痕と19歳で死んだTとの思い出【映画監督・石井裕也連載】

第3回「左ひじの手術痕」  僕の左ひじには大きな手術痕がある。これまでずっと怪我に悩まされてきた歴戦のサウスポー投手みたいで、なかなかカッコイイ。  しかもこの手術痕、酒に酔ってくると赤く変色し、僕に帰宅を促すサインにもなるという優れものだ。皆に左ひじを見せ、「こういうことなんで、そろそろ帰ります」と酒席を中座するなんて、やっぱりなかなかカッコイイ。  この手術痕、今ではかなり気に入っているのだが、当然かなりひどい事故で刻み込まれたものだ。  幼稚園の時だった。ジャン

ネパールの安宿で客引きをしていた30代の男が見せた醜悪な絶叫に感じた「人間の本質」【映画監督・石井裕也連載】

第2回「ネパールの男」  19歳の時、映画学生だった僕はいくつかの外国を旅した。自分は一体どんな映画を作ればいいのか、当時大いに悩んでいたから、知らないことが知りたかったし、命が脅かされるような強烈な刺激を求めていた。  つまり、ただ若かったのだ。  ネパールのカトマンズで泊まった安宿には、特異な客引きの男がいた。30代半ばで、ボロボロのサングラスをかけ、犬を蹴飛ばし、幼い弟を怒鳴りつけ、つまりは弱い者をいじめて自らの優位性を示し、粋がり、その代わり自分の雇い主である宿

新鑑真号で出会ったKさんの10年以上に及ぶ放浪の終わりと「人生最後の笑顔」【映画監督・石井裕也連載】

第1回「新鑑真号」  新鑑真号をご存じだろうか。大阪、神戸と上海をつなぐ定期フェリーである。僕は19歳の時にこの船で中国大陸へと渡り、貧乏旅行をした経験がある。  飛行機ではなくあえて海路を選ぶのだから、乗客にはそれぞれの深いワケや特殊な事情がある。往路にも様々なドラマがあった。日本で生まれ育ち、初めて中国の地を踏まんとする中国人青年、「マツタケを(違法に)採りに行く」という90歳の老人、芸能事務所の社長(なぜ船に乗っているのだ!)、あらゆる人と話し込んだ。何しろ上海まで

「何よりも、読んでほしい」映画監督・石井裕也さんのエッセイ『映画演出・個人的研究課題』がともかく面白いということ

「これは絶対に文章を読んでほしい!」 好評発売中の映画監督・石井裕也さん初のエッセイ本『映画演出・個人的研究課題』。この本を手にとって最初に感じた感想が冒頭の言葉です。 2018年から19年に週刊誌「AERA」に掲載された連載エッセイに加えて、20年に入ってコロナ禍真っ只中の韓国で撮影した新作映画「アジアの天使」、撮影後に公開した映画「生きちゃった」の制作を通して考えた、自身の仕事やひとりの日本人としての思いについて綴った渾身の一冊。 「読めばわかる」の思いで、選りすぐ