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不動産の未来予測でみえた思考のアップデート ヒントは獣神サンダー・ライガーと寅さんに…

 新刊が出る度に、広告を作り、POPを作り、チラシを作る。宣伝課のしがないスタッフである築地川のくらげが、独断と偏見で選んだ本の感想文をつらつら書き散らす。おすすめしたい本、そうでもない本と、ひどく自由に展開する予定だ。今回は、牧野知弘著『不動産の未来 マイホーム大転換期に備えよ』(朝日新書)を嗜む。

 東京南部に位置する港湾エリアはかつて灰色だった。これがくらげの記憶だ。東京湾を囲む防波堤のような工場群、高いブロック塀が張り巡らされ、その向こうではどんなものが作られているのかわからない。街には作業着姿の男たち。色がない街だった。コンビニ1、2号店がこの街にあったのは、工場群の需要のおかげで、決して最先端ではなかった。どことなく暗く、記憶の中の空は垂れ込めるぶ厚い雲ばかり。一刻も早く、この街を出たかった。くらげには生まれ育った土地を思う、郷愁という言葉はない。

 あれから30年。色なき街はマンションの街に変わり、そこに住む人々はキャナリストと呼ばれ、一種のステータスを持つ。工場跡に建つマンション群は億ション、億単位の価格帯だという。幼稚園の送り迎えの時間には、くらげが遊んだ近所の公園に無数の大型のベビーカーが止められ、奥様たちが井戸端会議に夢中だ。色なき街は見事なまでに再生した。

 くらげが子どもだったころ、街に色はなかったものの、公園は子どもであふれかえった。遊具の奪い合い、野球をするための陣地の取り合いが日常の光景だった。50年ほど前に建てられた団地群に都心近くに生活拠点を作りたい団塊の世代が一斉に入居。それぞれ人生を刻んだ。そのため同級生がたくさんいた。

 それが20年経つと、公園から子どもの姿が消えた。みんな大人になり、この街を出た。くらげと同じだ。刺激の少ない色なき街は多感な若者には退屈すぎた。街は子育てが終わった団塊の世代ばかり。色なき街は子どもの声すら失い、沈黙した。高齢化社会の縮図だった。

 だが、その頃、工場が続々と海外に移転。広大な土地が都心からわずか20分のところに生まれた。そしてマンション開発。東京湾の眺望、都心へのアクセスに魅せられた人々がこの街に集まった。それはかつてここで育った人々ではない、昔の街を一切知らない人々だった。いま、近所の公園はこの街で育った遺伝子とは全くリンクのない子どもたちであふれている。再生というより、街は生まれ変わったのだ。

 朝日新書『不動産の未来 マイホーム大転換期に備えよ』(牧野知弘著)は、くらげの故郷でマンションを購入した人々のその先について予言している。それは世界の流れ、価値観の転換といった大きな視点をもとに事実を積み上げた上での言葉であり、説得力を感じる。あの巨大で美しいマンション群が永遠にあの姿のまま、東京湾の景色として維持できるだろうか。潮風にさらされるマンションの傷みは早い。そして、かつて色なき街が子どもの声すら失ったように、うまく代替わりして循環していけるかどうか、不動産は未来を見通す視座がなければ成功しない。

牧野知弘著『不動産の未来 マイホーム大転換期に備えよ』(朝日新書)
牧野知弘著『不動産の未来 マイホーム大転換期に備えよ』(朝日新書)

 そういった意味では、くらげが現在住む街は強い。ここは南にマンション群もあるが、基本的に戸建てが多い。南のマンション群はくらげが育った色なき街の20年前になりつつあるようだが、戸建ての多い地区でいま起こっているのは、建て替えラッシュだ。親がローンを組んで手に入れた家が古くなり、子どもがそれを自分でローンを組み、建て直している。くらげの近所でも二軒ほど建て替え工事が進む。この街で子どもの声が途絶えることはない。しかし、これも好循環と手放しに喜べない。マンションと同じように土地神話もこの先、安定するとはいえない。年々想定を越える災害に襲われる現代において、この土地が災害に遭わないという可能性は極めて低い。

 くらげの近所でいえば、新築アパートも目立つようになった。相続に備えたのか、相続したのかはっきりしないが、短期的な需要を見込んだ単身者向けアパートが次々と建てられた。著者は冷静に問う。若年層がしだいに減少する人口減少社会という未来が確実である以上、需要と供給のバランスが崩れ、賃料の引き下げは避けられない。その先にあるスラム化へのドミノ現象を鋭く指摘する。本当にそのアパート建ててもいいんですか? これまでのやり口を疑いもせずに踏襲する怖さは、不動産の世界だけの話ではない。出版業界とて同じだ。

 疑問も持たずに踏襲する背景には、人々の固定された価値観が見え隠れする。不動産でいえば土地神話だろう。それは古来より領地を奪い合って勢力拡大をしてきた日本人の歴史の名残り、いわば遺伝子に組み込まれた本能といっていい。

 くらげが貧乏劇団員だったころ、仲間に地元の山林を相続する予定だという男がいた。くらげは震えた。こいつは同じ貧乏劇団員のようでいて、そうではない。いざとなれば山林王になれるのだ。建設業者に開発させ、膨大な利益を得ることもできる、いや、自分の山林に引きこもり、自給自足、世捨て人にだってなれるのだ。自然と戯れ、自然の恵みひとつで生きる。汚い人間関係を断ち、森ともに生きる。その権利を持っている。そんな人生のスケールの差に震えた。

 だが、それはそれでこの先複雑な事態に陥るという。山林を所有することは、いまや価値あることとはいえない。震えるくらげこそ、土地神話に蝕まれた昭和平成の亡霊なのだと知る。この昭和平成脳からの脱却は本書のみならず、令和を生き抜くうえで重要になると説く。アップデートだ。自分が若いころに身につけたOSを未来永劫、使うわけにはいかない。思考回路のバージョンをアップデートできるかどうか。簡単なようでいて、難しい。アップデートすることでこれまでの経験を無にしてしまうのではないかとビビるからだ。否定されるのは誰だったイヤなのだ。まして自己否定は辛い。

 しかし、アップデートはゼロからの立ち上げではない。経験は自分のハードディスクに確実に残る。令和のアップデートおじさんこと、元プロレスラー獣神サンダー・ライガーがいい例だ。ライガーは自分が戦ってきた昭和平成の経験を大いに語り、かつ令和のプロレスを大いに楽しむ。「昔はよかった。でも、今もいいじゃん」というスタンスだ。退化ではなく、あくまで進化。ライガーが教えてくれるアップデートは、昭和平成世代の手本ともいえる。

 不動産に話を戻そう。円安とパンデミックによってこれから我々の人生は変化する。いや、もう変化した。毎日の通勤を念頭に置いたライフスタイルは崩壊した。会社は仕事をする場所ではなく、所属する企業になった。自粛要請にもとづく出社制限により、どこでもできる仕事が生まれた。その仕事に従事する人は、自宅やその周辺のワーキングスペースで会社のデスクに座るのと変わらない仕事をこなす。通勤という概念が消え、同時に拠点、ひとところに根を張る必要性を失った。

 著者はこれからの住居に対する価値観として、多拠点生活をあげる。人はこれから、好きな場所に行き、仕事をする。飽きたらまた別の場所に移動し、拠点にする。「観光・旅行」以上、「移住・定住」未満というライフスタイル。そう、これこそ昭和の名作「男はつらいよ」の主人公「フーテンの寅さん」だ。寅さんにとって、家は資産価値ではなく、利用価値のあるものにすぎない。これからの不動産は未来永劫続くと信じたい資産価値ではなく、利用価値を追求するようになる。

 かつて昭和の男のあこがれだった寅さん。いよいよ我々が寅さんに近づけるときがきた。ほら、令和版アップデートにちゃんと昭和が役立っているではないか。否定ばかりでもいけない。未来への見通しと柔らかな分析力がほしい。

(文・築地川のくらげ)


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