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第9回

 紘が高校一年生のころ、役場の人たちが島の役場の公式サイトに載せるPR用の動画を撮ることを決めた。ふるさと納税、離島への移住やダイビングブームなど様々な要因が重なり、公式サイトへのアクセス数が伸びたもののユーザーを引きつけるコンテンツがないことがきっかけだった。ただ、役場の人間には、編集はもちろん満足に動画を撮影できる者すらいない。かといって本州の映像制作会社に外注してしまうと、スタッフの渡航費や宿泊費などがかさみ、予算が膨らむ。そんなときに白羽の矢が立ったのが、中学生のころからカメラを構えて島じゅうをうろうろしていた紘だった。

 学校の先生という立場上、子を持つ島民全員とほぼ顔見知りという状態だった父の存在は、動画を制作するうえでとても大きかった。津森商店、同級生の吉田の実家である居酒屋、桑原の実家である民宿は勿論、島を支える様々な職種の人たちが無料で撮影に協力してくれたのだ。漁師をしているという父の同級生が船に乗せてくれ、朝から晩までカメラを回したときのことは今でも忘れられない。

 美しいものが、眼前に、たった二つの目では捉えきれないほど広がっている。それを小さく収めることしかできないカメラのことをやはり憎らしく思いながらも、紘は、どんな編集もいらないな、と感じた。そして、これはいいものだと、自信を持って言えるな、とも。

 撮影を終えるたび、協力してくれた人々は口を揃えて「完成したら見せてなあ」と言ってくれた。紘は、勿論ですと答えながら、映画みたいに、みんなで大きなスクリーンで一斉に観られたらいいのに、なんて思っていた。そのころ自分の父親が、公私混同ここに極まれりといった行動に出ていることも露知らず、島には映画館もないし無理だろうな、でもそんなことができたらいいな、と、殊勝な態度で密(ひそ)かに天に願いを飛ばしていた。

「あんとき、島におる人全員来たっじゃなかかってくらい集まったよな」

「そぎゃんわけなかやろ」

「いや、マジでそんくらいやったやろあれは」

 フェンスの向こう側に遠ざかっていく体育館を見つめながら、紘はこっそり、マジでそれくらいだったかもな、と思う。

 紘の撮影と編集により、PR動画は無事完成した。役場の人たちが完成品をいたく気に入ってくれたことは嬉しかったが、想定外だったのは、父親がその出来に異様に舞い上がってしまったことだった。「これは、協力してくれた人たちにちゃんとお披露目せんばいかん」と鼻の穴を膨らます父の姿を、紘は、嫌な予感を抱きながらも静観していた。余計なことするなよ、と思いつつ、だけどこの人が余計なことをしてくれないと撮影もうまくいかなかったんだよな、とも思っていた。

 案の定、父は、「特別上映会、体育館のスクリーンでできることになったけん」とさらに想定外の宣言をした。紘からすると、親バカすぎて恥ずかしいからやめてくれ、といった気持ちも勿論あったのだが、自分の映像を島じゅうの人に観てもらえるというのは、SNSやネットにこっそり写真や動画をアップするのとは違う興奮があった。特別上映会の日、スクリーンから放たれる光を打ち返すほど瞳を輝かせて「すごかねえ」「かっこよく撮ってもろてラッキーばい!」と笑う島民たちの姿を見ながら、紘は、この光景をカメラに収めたいと思った。同時に、レンズを通して捉えた景色がどうしたって現実より見劣りするのは、その景色を見た気持ちを一緒に収めておけないからかもしれないと思った。

 完成したPR動画は十分にも満たない作品だったが、その日は特別に、完成版には使うことができなかった様々な映像もたくさん上映した。

 特別上映会。

 ふと、意識が東京に飛ぶ。

 ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞した『身体』は、東京の名画座である中央シネマタウンで上映された。丸野内支配人が「ここは名作映画しかかけない歴史ある場所だけど、特別に」と奮発してくれたのだ。

 たった一回の無料上映。特別に開放された、百名を超える観客を収容できる場所。条件だけ抽出すれば、島の体育館での特別上映会と変わらない。むしろ、島の何倍、何百倍もの人がいる東京での開催、さらに無名の高校生が作った動画ではなく歴史ある映画祭でグランプリを受賞した作品が上映されるということで、中央シネマタウンのほうが遥(はる)かに好条件だった。

 尚吾はせっせと同級生などに連絡をしながらも、祖父用に、と一つ座席を絶対に空けておくよう何度も支配人に確認していた。だけど、そんなことしなくたって、全く問題はなかった。

 空席ばかりだったのだ。

「紘は、もう撮らんと?」

 運転席から、昭の声がする。

 素人の高校生が撮り、無料のソフトで編集した十分足らずのPR動画の特別上映会は、当然だがすぐに終わった。だが、アンコールが何度も湧き上がり、結果、確か五回は上映したはずだ。

「わからん」

 車が、スピードを落とす。

「ボクサーのやつで、なんか、大きか賞とったやろ?」

 昭がゆっくりとハンドルを回す。車が左折し、かつて万雷の拍手が鳴り響いた特別上映会の会場が見えなくなる。

「賞とかすごかねー。俺もそん映画観たかったー」

 昭は優しい。東京から島に戻ってきた、という物珍しさがなくなっても紘のことを気にかけ続けてくれているし、島を出て好きに生きている弟のことも、絶対に悪く言わない。

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