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少年は例外なく全員狂っている。「少年ノート」に残された“恥ずかしさ”と“美しさ”が突きつける喪失【映画監督・石井裕也連載】

第6回「少年ノート」

 少年は例外なく全員狂っている。僕はそう確信している。

 中学時代の同級生は狂った連中ばかりだった。好きな女の子と目が合う度に、必ず彼女の足めがけてヘッドスライディングする者がいた。それをする理由など誰にも分からなかった。きっと彼本人にも分からなかったのだろうが、彼は何度も何度も意中の女子の足下にヘッドスライディングし続けた。

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 陰毛を切っては箱に入れ、「この箱が一杯になったら願いが叶う」と本気で言っていた者もいた。授業中に水槽の金魚を釣っていた者などマシなほうで、ノートに「大日本帝国万歳」とびっしり書き続けていた者もいた。もちろん噓は書いていない、むしろ「AERA」に載せられる程度のことを選別しかなり忖度して書いている。

 僕も例に違わず狂っていて、当時は自分を律し、制御するのがとても困難だった。

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 特に13歳から18歳ぐらいの期間は壮絶で、まさに暗黒時代であった。当時はこう思ったものだ。「青春時代とは最低なもので、もし後年それを忘れ、青春時代が素晴らしかったなどと懐古し始めたら俺は人間として終わりだ」と。恐らく、いずれ忘却していくだろうという予感があったのだと思う。

 そして、これほどまでに狂った頭の中身を後年の自分へ伝えようという気になった。こんなに狂っていて大変な思いをしているのだから、後年是非それを面白おかしく表現し、カネに換えてくれと。

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 だから現在僕の手元には、当時書き溜めたノートがどっさりと残されている。過去からの痛切なる願いを込めたタイムカプセルだ。大学ノートが数十冊、スケッチブックも二十冊以上ある。今となっては全く笑えないグロテスクな絵を描いていたり、詩のようなものもあれば、映画や小説のアイデアもある。

 だが、残念ながら当然ほとんどのアイデアは使えない。「いつも鼻クソをほじっていて馬鹿にされていた少年が、大人になって恐るべきフィンガーテクニックを発揮する物語」なんて使えるわけがない。くだらなすぎるし、下ネタだ。「顔を赤で滅茶苦茶にペイントしたロックシンガーの話。なぜそんな顔にしているのかインタビュアーに訊かれたら彼はこう答える。彼女が死んだ時、ちょうどこんな感じだったんですと」、これも使えるわけがない。趣味が悪すぎる。

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 青春時代など、ただ恥ずかしいだけのものだ。多くの人はそれを忘れ、あろうことか記憶を改訂し美化し懐かしむ。

 ただし、一方ではこんな疑問が頭から離れないのだ。好きな女の子めがけたヘッドスライディング以上に価値のあることを、大人になってからの僕たちは果たして見つけられただろうか。

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 ワックスで磨かれた床の上を異常なほど真っ直ぐに滑っていく彼の爛々とした目を、僕はよく覚えている。あの時の彼はきっと、人生の意味を寸分違わず知っていた。

 滑稽なほど剝むき出しの状態で生きることに美しさが伴わないわけはない。

(連載第31回 AERA 2018年12月10日号)

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