見出し画像

中学時代に誓った「人を見た目で判断するのはやめよう」という思いと、人を見た目で判断しまくる職業の話【映画監督・石井裕也連載】

第7回「顔面」

 誰が言い出したのか分からないが、僕が中学生の時分、流行歌手や俳優の何人かは僕のクラスメートたちによって「元AV男優」だと勝手に決めつけられていた。

 失礼な話だ。根拠なんてまるでないにもかかわらず「あいつは今売れてるだけで、元々はAV男優だから」などと学校中で噂になっていたし、それどころか蔑まれ、見下されていた。

 別にAV男優をかつてやっていたとしても現在進行形でやっていてもまるで構わないのだが、子どもというのはほぼ例外なく差別的な生き物で、当時は「元AV男優」という噂だけで簡単にひとりの人間を完全否定することができたのだ。

 そのことを事前に弁解した上で、話を先に進めたい。

 面白いもので、あの人は元AV男優なのだと言われると、確かにそう見えてくる。やってそうだ、いやあの顔は間違いなくやっている顔だ、ひどくスケベな顔をしている、しかも結構なベテラン男優に違いないと頭の中で勝手に結論づけられていく。

 だが、やがて僕はこれがただの先入観だという事実に気づいた。14歳にして、生まれて初めて先入観というものの存在を悟ったのだ。担任の先生が偶然色黒のオジサンで、彼のてらてらと黒光りする顔をじっと見ていたら少しずつ「あれ、元AV男優っぽいぞ」と思えてきたことがヒントとなった。そして、「この人は元AV男優だ」と思い込んで人を見ると、次第に誰もが元AV男優に見えてくるという真理を発見してしまった。老いも若きも色白も給食のオジサンも、「この人は元AV男優だった」と思い込んで見れば、不思議とそう見えてくる。人を見た目で判断するのはやめようと、だから中学生の僕は固く誓ったのだ。

画像1

 あれから20年。何の因果か僕は今、人を見た目で判断しまくる仕事をしている。

 およそ人間の顔面は、人格やそれまでの人生の痕跡がくっきりと刻み込まれるものだ。顔面とは「取り返しのつかない露出」。そう言ったのは誰だったか。「取り返しのつかない内面の露出」だったか。

 特に俳優において、僕は個人的にただのイケメンや美人にはほとんど興味を持てない。整った顔に何の魅力があるのだろうか。それだったらタージマハルやエッフェル塔を眺めているほうがよっぽどいい。新車のボディみたいにツルツルの顔をした人が美しいという感覚は、僕には到底理解できない。

 むしろ欠陥にこそ人間の美しさ、魅力がある。いたらなさ、不完全さ、整っていないもの、ちぐはぐなもの。人間的な愛おしさは、そういったものの中にこそあるに決まっている。

 加えて、負の感情とされているもの。怒りや悲しみ、虚しさ。これらがまるで見えない顔面の持ち主は、はなから信用しないことに決めている。噓つきに決まっているからだ。

(連載第36回 AERA 2019年1月21日号)

第6回「少年ノート」 / はじめに / 第8回「責任を取る人」

↓↓↓記事一覧はこちら↓↓↓


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!