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#18 再認識

ある晴れた日の昼下がり、ふとそういう気分になって、外に出てあてもなく散歩してみる。空は晴れ渡っていて、緑も風にそよがれていて綺麗。リスやウサギがそこら中にいて、いつもなら煩わしい蝉の鳴き声も程よく心地良い。

空の写真を撮ってSNSにあげる人の気持ちが理解できなかったけど、その気持ちが少しわかったような、そんな気分。

そういえば、目的のない散歩って気持ちいいものだったなあ、としみじみ考える。元々インドア派で、用もなく外を出歩くとか考えられなかった。日本にいるときは授業、課題、バイトで完結する日々を過ごしていたし、留学を始めてからも課題しやなとか、危ないからとか、色々理由をつけて外に出ることはほとんどなかった。

でも今特にすることもなく、何に追われることもなく生活する中で急に外に出たくなって、散歩してみた。すると自分が案外楽しんでいる、リラックスしていることに気づいた。何も考えず、行ったことのない道を進んでみる。ゴールはない、やめたいと思ったときにやめられる、そんな縛りのない散歩。こんなに素敵なものだったんだ。

こんな感じで、夏休みだからこそ有り余る時間の中で、自分の趣味だったり自分が好きなことについて改めて考え直すことが増えた。

一番大きな気づきは、語学。自分でもよくわからないけど、元々は"言語"というものが好きで、文構造を紐解くのとか翻訳のされ方について考えたりとかが好きだった。コミュニケーションをするため、というよりは、ただただ「言語を学ぶ」という行為自体が好きだった。

でも最近はもっぱら「英語は使うもの」という意識が増えてきたせいか、英語を「語学」として捉えることはなくなってきてしまって、英語を楽しむことも無くなってしまっていたことに最近気がついた。

普段話す言語も英語、論文を読む言語も英語、そんな感じで英語は「コミュニケーションをするため」とか「新しく知識を得るため」の手段でしか無くなって、「英語の文章自体をきっちり細かく分析する」ことはほとんどなくなった。英語が、「それを通して何か違うものを得る」という段階になってしまったがゆえに、英語に対して真摯に向き合うことが少なくなった。

詳しくいうと、英語を話すときに聞こえてくる単語単語でなんとなく相手の言いたいことを推測する癖がついてしまったがゆえに、話しているときに相手の英語に注意を払って聞くことが減ってしまったり、論文を読むときも、単語の意味がはっきりわかっていなくても「まあ読んでたらなんとなくわかるやろ」くらいの軽い気持ちで飛ばしてしまうことが増えた。論文の方に関しては深刻で、一文丸々わからないときも、文の位置とか的に多分重要じゃないやろうなって飛ばしちゃうことも増えた。悪い意味で賢くなってしまったのだろう。

いちいち文法を気にして話したり、文構造を理解しながら、プラス知らん単語を全部調べながら論文を読んでたりしたらキリないし、「英語はただのツールでしかない」っていうことが最近の当たり前で、自分の今の傾向はまあある意味では英語学習の極地としては間違ってはないのかな、なんて思うことで、英語をあまり深く考えないで使うという方向に逃げてしまっていた気がする。

でも最近その考えに正直嫌気がさしてきた。きっかけは、卒論のためのリテラチャーレビュー。

最近、卒論のために自分のリサーチトピックに関連する論文を読み漁り始めた。いつもペーパーを書くためのリファレンスを探すとき、abstractをちょろっと読んで自分のテーマに合うか合わんかサラッと見て深く読むかどうかを決めてたんやけど、今回は夏休みで時間もあるし、ということで、タイトル見て良さそうと思ったものは最初から最後まで、わからへん単語とかも調べながらきっちり読んでみることにした。

そうするとなんとびっくり、タイトルでビビッときたものは、abstractに書かれてなくても、参考になるような文言が結構至る所に散りばめられている。また、わからない単語を調べてきっちり読むことで、細かなニュアンスとか、あ、そういうことか、って考え直す場面もすっごく多くて、今まで自分がいかに適当にリーディングをしていたかを思い知らされた。

カフェで勉強してみたときの。そういえばこういうところで勉強するの苦手だったなと気づいて三十分くらいでやめた(笑)

で、一番重要なのが、読んでて楽しい!となったこと。もちろんめんどくさいし、リーディングしてたら問答無用で眠たくなってしまう私だけど、課題とかで適当に流し読みしてた頃に比べたら格段に楽しく読めていることに気づいた。

わからない文章を何回も繰り返し、どれが主語だろうとか、この単語はほんまにこの意味なんかな、とか、そういうのを考えるのが楽しかった。そうだ、私が英語を好きになったのってこういう部分だよな、とここで再認識する。「英語は学ぶものじゃなくて使うもの」って何回も聞かされて、そうだよなって流されてたけどきっと自分みたいな、「英語を学ぶこと自体が好き」っていうのもあってもいいよなってちょっとだけ自分を受け入れることができた。

あと、もう一つエピソードがあるのだけど、それが単語の勉強をしていたとき。論文読んでる中で自分の単語力のなさに絶望して、ちょこちょこっと単語の勉強を始めた。ネットにあった単語力診断によると、私の単語レベルはまあまあだけど、ビジネス関係の単語はてんでだめだということだったので、ビジネス英語といえば、ということでTOEICの単語を中心にやることにした。

お金はかけたくなかったし、日本のTOEIC単語本をわざわざ取り寄せるほどでもないか、と思ってネットで「TOEIC 単語」と調べてみた。今の時代便利なものですね、無料でTOEIC頻出単語をピックアップしてくれているサイトがたくさん。正直信憑性に欠けるかな、と思ったのですが、単語の訳の信憑性に関しては自分で調べて確かめていけばいいか、と思い、ありがたく使わせてもらいました。頻出度に対する信憑性も多分そんなにないけど、そもそもTOEIC受けるかどうかわからんし、頻出度の信憑性なんか、単語本とかであっても絶対なんてものはないよな、と思うタイプの人間だったので、ネットのサイトを使いました。

そんな感じで始めた単語学習なのですが、そりゃあまあ自分の単語力のなさの現実を突きつけられる日々。知らん単語が出てくる出てくる。私は正直、単語勉強っていうのをあんまりしてこなかった。大学受験レベルの単語やったら長文やってたら自然といろんな単語出てくるし、一つの文章で出てきた知らん単語は一回調べて、それが違う文章でまた使われてたらそういえばなんとなくこんな訳やったな、ってボヤッと思い出せて、それでなんか共通テストとかは問題なく解けてたから適当になってた。

絶望の知らない単語たち。やだね、英語点数取れるしいいやってほっといたら後からこの始末になるのがオチなのである。
(英語上級者の皆様、すみません、私はこの程度の単語もわからないほどの英語力なのです、、)

こんな感じで単語勉強を始めていって数日経ったとき、私は思ったわけです。「こんな単語いつ使うねん。」と。「こんな単語見たこともないわ」と、今まで長文を読むことで単語勉強を済ませていた私は思うわけです。

でもこれがなんとびっくり、意外とここで自分があげて覚えようとした単語たちがいろんなところで使われているんですよね。多分、勉強する前は知らない単語に対して大したアプローチをすることもなく無視していたから、自分のボキャブラリー以外の単語に気を払うこともなく、「こんな単語いつ出てくるん?」という思想になったのだと今から思えば反省。

実際、リテラチャーレビューのための論文を読んでいる中で、validate curb feasible attest amend promptly contend provision parliamentが出てきたんです!ここにこうやって具体例としてあげているのでわかるかと思うのですが、一回単語として勉強した!っていう気持ちがあるから、実際論文で出てきたときに、「あ、これは!」ってなってより強く記憶に刻み込まれた感覚がありました。特に'curb'が出てきた時は痺れました。というのも、これが単語リストに載ってたときに正直いつ使うねんって一番強く思ったからです。なんですが、inclusionに関するpaperを読んでいたときに、身体的障がい者に対してinclusiveになることは赤ちゃん連れのお母さんへのinclusionに繋がるという趣旨のものがありました。その例として挙げられていた、「車椅子の人が突っかからないように歩道の'curb'を取り除くことは、ベビーカーを押す親たちへのinclusive designでもある」という文章で'curb'が使われていました。ここで、私のシナプスは繋がりまくり、興奮しまくりでした。「ほんまに使われてるやん!!!」と。

他にもこういう経験があったのですが、それが、detour(迂回路)という単語。これもリストされていて、「いつ使うねん」という思いが強かったものです。でもこの前、それこそ冒頭で書いた、好きを再発見した目的のない散歩をしていたときに、なんと実際detourが使われている標識がありました。それがこちら。

うわ、detourやん!と、一人で感動。車通りも多く、隣には信号待ちの車がたくさんいるにも関わらず、感動のあまり'detour'を連写。さぞ頭のおかしい外国人だと思われたことでしょう。

普段ならしなかった散歩、普段なら行かなかったであろう道で、普段なら特に何も感じなかったであろう'detour'の標識を見つけて、、一人で興奮冷めやらずの日を過ごしました。

こんな感じで、久しぶりに「英語を学ぶ楽しさ」みたいなものに触れて、感動した。最近は英語圏以外に留学しているみんなが英語以外の言語を身につけて帰ってくるであろうことに恐怖を抱いたり、せっかくの休みなのに他の人みたいに活発に活動せず、ましてやみんながもうマスターしている「英語の学習」なんてものに手を出し始めてしまって、劣等感し感じてなかった。けど、自分の英語力が不足しているのは事実で、それを楽しみながら学ぶ時間が取れたのってなんだか素敵なのでは?!とポジティブに捉えようと思うきっかけになりました。

めーっちゃ長くなっちゃった。語学はただのセクションに過ぎず、まだまだ好きを再確認した趣味について色々書こうと思ってたのに、語学について書きたいこと多すぎて4500字も書いてしまった。他の趣味については今度書こうかな。こんな自己満でしかない面白みのない投稿をここまで読んでくださってありがとうございました、、。