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海をうけとったなら ~北海道からの沖縄移住記 2021年7月~

沖縄在住の教育学者・上間陽子さんのエッセイ『海をあげる』を読んだ。軍用機の爆音の下で娘さんを育てる日々や、戦時中を生きたご祖父母のこと、そして辺野古に建設中の基地に思うことなどが、丁寧でやさしく、静かな文体で描かれている。

上間さんのご祖父母が長年住んだ今帰仁村は、私が頻繁に通う大好きな水辺がある場所だ。また、上間さんが戦争中の話を聞かせてもらった女性が、かつて一時的に連れていかれた捕虜収容所のひとつは、私の住む名護市の東側の嘉陽という地区にあったという。建設中の辺野古新基地に至っては、私は毎日、そこで反対運動をする人々の前を通って通勤している。

私は愚かだ。キャンプや釣りというあそびによって、その自然により深く入っていくようになった沖縄の、具体的な地名が文中に出てきて、その場所の景色をくっきり描けるようになった三年目にやっと、ここがかつて戦場であったことや、辺野古に土砂が投入されて生き物たちが棲み処を追われる様をイメージできた。時間がかかりすぎた。そう思うと同時に、とうとうこの時が来たんだと思った。沖縄の人々にとって、あまりに生活に根差しすぎて、語ることの方が非日常になってしまった基地のある景色に、そして現在進行形で建設が進んでいくさまに、私の心が動くときが。

もう三年もたつのに、いつまでも私の胸は熱い。沖縄の海が、緑が、風の匂いが大好きで、この大好きな沖縄の自然と深くつながれるあそびを見つけ、そのあそびによってまた人と繋がり、私はとても幸福だった。一方で「きれい!」「大好き!」と絶賛するのが白々しくなるほど、圧倒的な暴力によって、在来の自然が息をか細くしている。愛しくて、申し訳なくて、ずっとここに居たくて、でもこのままここに居てはいけない気がして。いつもこの土地に、人に焦がれて心が落ち着かない。

上間さんは、一人では抱えられないと言って、読者に「海をあげ」た。私は一読者として、そして海辺であそぶものとして、それをいらないと突き返せるはずがない。これは、自分のことなんだと知ってしまったから。


あさひかわ新聞2021/7/120号「沖縄移住記33  果報(カフー)を探して」掲載

※画像は紙面掲載写真とは異なります。

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