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物語がきっかけをくれる—北海道/沖縄の物語【毎日note】#87

(読みかけの小説のレビューを含みます)

私は北海道出身で、今は沖縄本島に住んでいる。

という話をすると、端っこから端っこへすごいねー!というような反応をされるけど、なにもじゃあ北から南を知り尽くしているってわけじゃない。北海道と沖縄しか、住んだことがない。

日本の首都・東京だって、記憶があるのは修学旅行と、高校の文芸部のコンクールで行った時のことくらい(しかもコンクールの時は、引率してくれた顧問のO先生の粋な計らいにより、コンクールの開催地・東京は早々と切り上げ、横浜のみなとみらいや元町観光を楽しんだ記憶ばかり)。

北の端と、南の端しか知らない上に、せめてその2か所のことには精通しているかというと、そうとも言えなくて。

北海道は約28年間、今のところ人生の9割を過ごした場所だし、私の感性を育んでくれた土地だ。両親が自営で農業やら作物の加工製造やらコーヒー焙煎やら、自給自足を目指しつつ商売していたので、住んでいた上川地域の産業などには多少詳しくもなり興味もあったけれど、北海道の歴史に関してはてんでダメで。

特に父が幕末頃の英雄たちの話をし出すと止まらなくなりいつも捕まってしまうというトラウマ(笑)があり、若干の苦手意識すらあった。大人になればなるほど、歴史を知ることは大事なのだろうと、ふんわり思ってはいたのだけど、興味を持って調べようとはしなかった。

アイヌのことを実感を持って知った『熱源』(著:川越宗一)

あの場所は。あの川は。

そんな場所だったのかとひしひしとした実感を得ながら読み進めた『熱源』。今見てみても、「熱」という言葉が入っているのに表紙は寒々しい北海道の原野と冬の薄い色の空。この絵と題名の対比がすごいなと改めて思った。

「文明」の名のもとに「大和」になることを強いられたアイヌの歴史を、初めて知り、たまたまAmazonプライムで当時見放題で見れたアニメ『ゴールデンカムイ』でも、2倍楽しみ学んだ(読んだのがだいぶ前でちょっとうろ覚えでスミマセン)。

そして、「大和」になることを強いられた歴史って…あれ、どこかで聞いたことありません??

アメリカとヤマトの間で…『宝島』(著:真藤順丈)

書きながら気づいた(そうとう鈍いです私)。私は、舞台は違えど、同じような立場の人たちの、似通った歴史を持つ人たちの物語をここに、ふたつ並べていた。

沖縄も、琉球王国→日本→アメリカ→日本と、統治・支配体制がくるくる変わりながら、あらゆる理不尽に耐え日々の生活を営んできた人たちだった。自分たちはいったい何人なのかと、問うヒマもないほどに。

この『宝島』は今読み始めたところで、起承転結なら今「承」の部分。嘉手納基地から物資の強奪を計画し、街の英雄であり親友が行方知れずになった事件から数年がたち、主人公たちが「アメリカ世(ゆー)」のコザ(今の沖縄市)で大人になって…コザの夜の街と、米軍司令部(ライカム!)と、琉球警察と、市民…それぞれの立場で新しい章が始まったところだ。

沖縄でライカムと言えば、イオンの複合型商業施設を思い浮かべる人の方がもう、多いのだろうか?行ってみればわかるが、ライカムはショッピングセンターの固有名詞というだけでなく、道路に住所として標識があるのが分かる。沖縄には、意味はなく音だけで漢字があてられた地名は山のようにあるが、ライカムは漢字はなく、響きもほかの地名とは違う。

ライカムは、Ryukyu Command headquartersの略だったのだ。

そんな、ある世代以上の方たちからすれば当たり前のことを、私はこの物語を通して、ひとつひとつ学んでいた。

冬は釣りのかわりに歴史散歩しよう

沖縄には南部・中部・北部のほか、西海岸・東海岸という分け方があり、私は北部の西海岸側に住んでいて、西海岸側には、国道58号線が走っている。通称ゴーパチをひたすら南下すれば那覇に行けるという分かりやすい道があるせいか、ゴーパチ沿いにはない街のことにはとても疎かった。そして、コザはどちらかというと、東海岸側にある。こちらには高速道路が走っているけど、用がなければ通り過ぎてしまうのだ。

物語を読み進めるにつれ、それぞれの思いをもって登場人物たちが暮らし駆け抜けた(架空の人物だろうけど)コザの街を、私も歩いて回りたくなった。


もうこれは、読書感想文でも何でもないかもしれないけれど、私の生まれ故郷・北海道と、今住ませてもらっている沖縄の歴史に、目を開くきっかけをくれたこのふたつの小説『熱源』『宝島』(どちらも直木賞!笑)を、おすすめします。特に北海道と沖縄に住んでいる人に。

土地の歴史を知ると、見る目が変わります。



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