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散文「ペンネームの由来」

ぼくの名前は、朝霧レンです。

秋、明石へ行きました。


父と母が道を違えたのも十何年前、
今回は父と初めての遠出でした。

父の大きなバイクの後方にまたがり
初めて受ける刺激的な風の中、やはり沸々と考え事は湧いたのであります。

(先日の投稿で言及したように、)
わたくしはこの夏、目的がありました。
もう死のうという、目的がありました。
そして、同じくして出会った人物の訃報を聞いたのです。

あの人が車で乗っけてくれた道を、
奇しくもこのバイクで通ったわけです。
泣きながら、たまには笑いながら、同じ「消えたい」という気持ちを語り合った夏。
彼と私の道は違ったのでしょうか。
彼が『消える』選択をし
私が『生きる』選択をした
ただそれだけのことでしょうか?

私は彼の分も生きねばと、何故か思うわけであります。
みんな気付かないだけで、死はいつも生の背中にあるけれど、それを知っているからこそ、風を浴びながら『生きるって気持ちいいな』なんて、ふと思えるわけでもあります。

さて、親も人間。
これが分かったのは成人式を過ぎてからでしょうか。

それまではどうしても"親"としてしか見られなかった人を、"1人の人"として見られるようになりました。

それは子供ながらに、『許し』や『理解』をもたらすものと分かりました。

わたしが幼いころに父が別居した際、
みんなが『出ていった』と話す中
わたしは『置いてかれた』と表現したようです。
ここを発端に、注目を集めるリーダー格をやったり、人に嫌われないようにしちゃうんだろうねと言われました。とっても腑に落ちた。

傷つく言動をされながらも、再会まで時間がかかりながらも
紆余曲折、結局はいまキャッキャしながらツーリングしたり飯に行ったり。

帰り際に
『バイクに子供を乗せることが夢だったんだよ。叶えさせてくれて、ありがとう。』
そんな言葉を残してくれました。
うれしいね、子供って思ってくれてた。

明石の舞子公園は海が近く、
窓から吹く風は自然で『本物』でした。
いい所だった、また行こっと。

二〇二三年十月一日(インスタグラムより)



バイクで風を切り、曲がる線路にそって。
ぼくはその駅名標をみました。
『朝霧』
なによりも美しかった。
ふざているほどに。

ぼくの体は女です。
しかし、性別はよくわかりません。
両性であり、無性であり、とどのつまり、たかが人間です。
女手といわれた「かな文字」男手といわれた「漢字」
どちらでもないカタカナで
どちらでもあり(そうな)音で
『レン』

ぼくの名前は、朝霧レンなのです。

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