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言葉に操られて捻くれてしまった者

言霊っていうのは本当にあるのだろうなと思う。
「もうだめだ」って言えばだめになる。
無意識のうちに自分で自分を操っている、言葉を発することによって。

十数年続けてきたブログ(noteとは別の)の記事のほとんどは、いわゆる「もうだめだ」系の内容だった。
自分や周りを責めて責めて責めて、どんどん思考が捻くれていったのを感じる。
ブログ以外にも、父から教えられた考え方がずっと染みついていて、それだけでも思考がかなり偏っていると思う。

長年自分で書いたり身近な人から言われたりしてきたことって、もう肌の一部のように馴染んでしまっていて、そのシミを消そうともがいても後の祭りってことが多い。
30年間で築き上げてしまったこの捻くれた思考は、あと30年かけて矯正するくらいの覚悟がないとなかなか変えられないのではと思う。
それくらい言葉の力は強い。

頭の中に「もうだめだ」が浮かんでいたとしても、外に出さなければまだ現実じゃない、って気がする。
私はあまりにも外に出しすぎた。
口に出したり書いたりした時点で言霊候補になるのだ。

明るい言葉を発信して自分の意識をミリ単位ででも変えていったほうがいいのかもしれない。
このままずっと「もうだめだ」と発していたら、やっぱりだめなままだと思う。
弱音の捌け口として書くという行為を利用していた。
私には楽しい文章は書けない。
何か明るいことを無理して書こうとすると、言葉が浮かんでこない、語彙が少ない。

しかし言葉によって思考が操られてきたのは事実。
どうすれば自分の納得いく形で発信ができるのだろうか。
公に発信しなくとも、アナログで書いている手帳にも同じような「もうだめだ」系のことを書いてしまう。
今までそれが私のストレス発散方法で、救いでもあったのだ。

誰にいくらアドバイスされようとも、最終的に自分が変わろうとしなければずっと変わらずそのままだ。
それは、わかっている。

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