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支えてくれよ、涙のどんぶり。

残業で生気を失った夜。理不尽に怒られた帰り道。頑張り切れなかった後悔を胸に抱えた休日。
そんな日に求めるものは、
「安くて、早くて、美味しい」
そんなごはんだ。

我が家の最寄り駅には大手牛丼チェーン、吉野家がある。数年前に(わたし的に)待望のオープンを果たした。

「やりきれない日」には、自分の価値はぼやけて霞む。こんな自分のために料理を作るなんて、重い腰は永遠に上がらない。

でも、おなかはすくし。食べないわけにはいかないし。

そんなときに活躍してくれるのが、神様、仏様、「吉野家」様である。

言わずと知れた、その安さ。このご時世にうまい牛丼(牛肉!!!)をワンコインで食べられるお店はどれくらいあるだろうか。(税込みなんと448円!)

しかもめっちゃ美味しいし。さらにほとんど待たされない。

「やりきれない日」、わたしはいつも吉野家に入る。疲れ果てて働かない頭で、まるで吸い込まれるように。
あつあつですぐにおなかを満たすこともあれば、テイクアウトで思う存分だらけながら食べることもある。
頑張るわたしたちの味方、吉野家。われわれ夫婦はいつも助けられている。

ある日の昼間、病院で働くわたしは患者さんの前で目に涙をためていた。
わたしの仕事は、「食べるリハビリ」をすること。その時は、まだ口から十分な栄養を取ることができない患者さんの食べるリハビリをしていた。

その日はなんだか、開始時からいつもと雰囲気が違っていた。いつもは饒舌な方なのに、口数が少ない。担当の患者さんとは、わたしが出勤の日は毎日一緒にリハビリをするようになっている。

安全な食材で、できるだけ危険がないように。慎重にリハビリをすすめる。口から入れた食べ物は、肺に入ると肺炎を引き起こし命に関わる危険性がある。

「今日、2日前よりとっても上手に食べれてますね」
笑顔でそう伝え、少しずつ食べる量を増やしていく。
いつもなら「そうか?」と嬉しそうにされるはずなのに、その日は表情をかえないまま。

どうしたのだろう。気になるけれども、リハビリはすすめなければならない。「しばらくしたら話してくれるかな」、そう思いながらリハビリを再開した。

リハビリが終盤にさしかかった頃。
「いつも同じ食材で、いつも同じことばかり。」
口を開いた患者さんの表情はいつになくするどかった。
「少しずつ、量も内容も変えてますよ。2日前は30ccだったのに、きょうは50cc飲めてます」
「昨日来てくれた人は、もっと食べさせてくれた。」
昨日来てくれた人、というのは、わたしの上司。この道長いベテランだ。シフト制のこの仕事、自分が休みの日には別のスタッフがリハビリに入ってくれる。

「あなたのやっていることは、いつも同じ。僕はよくなっているのに、リハビリは何も変わらない。あなたのやっていることは、何の意味もない。」
患者さんからのことばが、ガツンと胸に響く。

変わっていないことはないんです、少しずつ量を増やしています、リスクを考えた上でのわたしの判断なんです。
そんなことばを頭に浮かべながらも、鋭いことばの衝撃で反射的に涙がでる。震える声で、わたしがリハビリについて考えていることを話した。

その日は結局、その患者さんに自分の考えをうまく伝えきれず、早足で病院をでた。
確かにわたしは目的と理由をもってリハビリをしていた。でもいつも思う。「先輩たちだったら、もう少しうまく進められるんだろうか」
「あの人だったら、もっとこの人は早く良くなるのだろうか」
そんな思いを胸にかかえつつ患者さんに向き合ってきた。経験が足りない分、知識だけでもと勉強にはげみながら。


「あなたのやっていることは、何の意味もない」
そのことばは、ある意味わたしの悩みのど真ん中をついていた。
何の意味もない――ことはないのだけれど、患者さんから言われてしまうと、「わたしって、なんてだめなんだろう」、そんな気持ちになっていた。

最寄り駅につき、帰路を急ぐ人たちを後目に吉野家へはいる。こんな日は「牛丼 並み つゆだく」だ。涙の跡が残る顔でマスクは外したくない。まだ仕事中の夫の分も合わせて、テイクアウトを頼んだ。

家につき、こたつで牛丼の蓋を開ける。たっぷりのつゆでしみたご飯と、美味しそうな牛肉。そのいい香りに、今まで止まっていた涙がまた溢れ出す。

正直、涙であんまり味はわからない。でも、牛丼に助けられてきた今までの過去により、味は覚えている。とっても美味しい牛丼だ。

頭の中をリピートする昼間の出来事をかき消すように、次々とスプーンを口へと運ぶ。運んで、運んで、食べ終わったころには、おなかは十分満たされていた。心までは救われないけれど、おなかを満たしたおかげでタイミングよく睡魔がくる。

そのままこたつで横になり、夫の帰宅まで、わたしは夢の中へと落ちていった。

やりきれない日の、牛丼。それはわたしが不甲斐ない思いをしたときの、”悲しみと希望の象徴”。そんな大げさな、と思われるだろうか。

「食事」には、自分にも周囲の人にもかなわない、心の奥の部分を癒す力があると思っている。物理的に体も癒されているわけで、体と影響しあう心にもいい効果があるのは、不思議なことではない。

今日も、明日も、美味しいごはんを食べよう。
安心してね、未来の自分。
もしもまた「やりきれない日」がきても、わたしには「牛丼」という強い味方がいるのだから。

願うのは、多くの患者さんが、ごはんを安全に美味しく食べられるようになりますように。その力に、少しでもなれますように。


#元気をもらったあの食事

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