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SDGsが自分ごとになるまで⑦ - 海って尊い。 初めて環境問題を考える。

夏といえば「海」!

海に行って泳いだり、
美しい夕日を見たり、
友達や家族と笑い合ったり、
海って楽しいことがいっぱいある。

そして何と言ってもお魚や海苔、
美味しい食べ物も我々に与えてくれる。

海って尊い。
そう思う。

脱プラスチックを心がけるようになってから、
ふと一つの疑問が頭をよぎった。

「海の魚ってプラスチックを摂取しているのだろうか?
海に行けばゴミをチラホラ見かける。
プラスチックのゴミを食べてしまってる?」

インターネットで検索をした。
「魚 プラスチック」

最初に目に飛び込んできたのは

「2050年、海洋プラスチックごみは魚の量を上回る」

という文字だった。

え?

「魚の量を上回る」?

どういうこと?
頭が混乱した。

どういうことかというと、

  • 世界で年間800万トンのプラスチックゴミが海へ流出している

  • プラスチックは土に還るまで450年ほどかかる

→つまり、
 毎年800万トンのプラスチックが、
 海で分解されることなく蓄積されていく

この莫大な量が蓄積されれば、
当然どこかのタイミングで魚の量をプラスチックが超えてしまう。
そのタイミングが2050年ということだ。

では、プラスチックが海を漂うと何が問題なのか。

  1. 魚がプラスチックを誤飲する
    →食物連鎖のため、我々人間がプラスチックを食べた魚を食べる

  2. プラスチックが海の底に沈み、蓄積する
    →酸素不足で海底の生物窒息
     光合成を妨げ海藻減る
     プランクトンが減る
    →魚の餌が減り、魚自体も減る

プラスチック問題だけでなく、温暖化、海産物の乱獲も考慮すると
「2048年には海から食用魚がいなくなる」
という説が2006年のアメリカのScience誌では記載されている。

つまりは、
我々が今の生活を改めなければ
最終的に「天然の魚が食べられなくなる」ということになる。

そんなの、いやだ!
そう率直に思った。

そして考えてみた。

魚がいなくなった海を。
プラスチックだらけの海を。

その海を見て
「綺麗だね」
「また来たいね」
「海に入ろう」
「泳ごう」
と私たちは思うだろうか。

きっとその時の海は
人間の「ゴミ箱」状態と言っても過言ではないと思う。

涙が出てきた。
自分の無知さが許せなかった。


どうしてこんな事態になっていることを
私は今まで知らなかったんだろう。

いや、どこかできっと、なんとなくはわかっていた。
わかっていたけど、きちんと見ようとしなかったんだ。


なんだか悔しかった。

でも、今気づけてよかった。
今からでも、
現実を直視できるようになってよかった。

ここで、初めて大切なことに気付いた。

「全ては巡り廻っているんだ」


ここでわかった。

私たちがゴミをポイ捨てし続ければ、
それは巡り廻って私たちの食卓に並ぶ。
そしてそれは巡り廻ることさえできなくなって、
食卓にさえ並ばなくなるかもしれない。

私たちが地球のエネルギーを搾取し続ければ
どこかでひずみを起こし、それは気候変動となり、
それは自然災害となり、私たちに巡ってくる。

よく考えてみれば当たり前のこと。

小さい頃、お母さんが言っていた。

「良いことをしなさい。
良いことをすれば、その分自分に返ってくるよ。
悪いことをすれば、それも自分に返ってくるよ。」
因果応報だ。

こんなにも当たり前で誰でもわかっていることを
私たち大人は忘れてしまう。

「情けは人のためならず」
という言葉は誰でも知っているだろう。

「人に対して情けを掛けておけば,
巡り巡って自分に良い報いが返ってくる」
という意味だが、
私はこの日から、この言葉が一番好きな言葉になった。

この言葉は、人に対してだけではないと思う。
動物も、自然も、エネルギーも、なんでもそうだ。

見返りを求めてはいない。

でも、
情を持って、何事にも向き合う
そうするだけで、
自分の気持ちが楽になる。
なんだか幸せな気持ちになる。

何かできた、このちっぽけな私でも、
もしかしたら1ミリでも、
何かができたかもしれない。

こう感じれることが幸せになった。

現代の競争社会、グローバル化し世界が大きくなり、
コミュニケーションの減った社会では、
自分の存在意義を深く感じることは少ないと思う。

私はこの「全ては巡り廻っているんだ」という気づきと
「情を持って、何事にも向き合う」ことで、
自分の小さな存在意義を感じるようになった。

毎日ほんの少しだけ、
情を持って、何事にも向き合う。
それによって、もしかしたら誰かを、何かを、
少しだけ良い方向に助けることができたかもしれない。

そう感じれるって幸せだ。
そう感じれるように生きていきたい。
みんながそう感じれたらどれだけいいだろう。

そう強く思った。

この日から、初めて私は環境問題を気にするようになった。

私にとっては未知でいっぱいの環境問題。
でも、「私にも、何かできるかもしれない」という
ワクワクでいっぱいの日々がはじまった。


<主な参考資料>

・日本財団ジャーナル
https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2019/20107

・PLASTIC FIGHTERS
 https://plasticfs.jp/2019/11/27/plastic_pollution_5_minute_guide/



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