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◆あの夏、消えてしまった天国の父へ

21年前の、土砂降りの次の日の、よく晴れた朝だった。
その日わたしはすっきりと目覚めもよく、朝風呂あとには鼻歌混じりでドライヤーをかけ、コンビニで買ったおにぎりを2つも車中で貪り食いながら職場へ向かった。
しかし、いつもは入れっぱなしだった携帯電話の電源を、あの日に限ってオフにしていたのはどういうわけだったのか。未だに思い出せない。

職場に電話がかかってきたのは、まだ店舗のオープン前だったと思う。
事務員だったわたしはいつものように事務的に応対に出た。
相手が、父と同じ現場で働く従兄弟だった時も、嫌な予感なんて欠片もなかったのだ。

『あさー!いいかー!とにかく落ち着いて聞いてくれー!』

切羽詰まった声でそう言われた時も、あまりの勢いが滑稽で、わたしは半笑いだったのだ。
はー?兄ちゃん職場に電話とかやめてよー。なに?
そんな、具合に。

あのな。父さん、死んだから。
いや、まだはっきり判ったわけじゃないけど、助からないと思う。
父さん、重機の事故で、今救急車を待ってるけど、もう、脈がないんだ。
山奥で、救急車、2時間かかるって、だから──

途中までは、タチの悪いドッキリかと思って半笑いだった。
でも、冗談でそんなことを言う従兄弟じゃないって事実が話の内容とリンクしてから、記憶が途切れ途切れだ。

21年前の、土砂降りの次の日の、よく晴れた朝。
父は、2度と帰ってこない人になった。


 付け加えると、その電話をもらってからも、おそらくわたしは充分に動揺はしつつも、父の生還を強く信じていた。
と言うのも、平たく言うと父は『殺しても死なない』類の人物だと、一族郎党友人の果てまでが、多分信じて疑っていなかったのだ。

 齢54にして、筋骨隆々。
激昂して一言発すれば、雷鳴のごとく人を圧する。
夏の休日は釣り竿片手に渓流三昧。
冬はライフル片手に狩猟三昧。
そんな父を煙たく思いながらも慕っている様子で、週末ともなれば足繁く通ってくる仲間や弟子のような若者たちは、総勢両手の指でも足りなかった。
外面も厳しかったけれど、家族にはもっと厳しく、殴られたことも一度や二度ではない。
何なら思春期には『◯したい人ランキング15年連続1位』と、わたしが周囲に漏らすほどの猛父。

その父が、一言の遺言もなく、実にあっけなく、青空の向こうへと釣り竿担いで旅立ってしまった。

 最初に込み上げてきたものは、凄まじい怒りだったと記憶している。

どうして。
父さんが、どうして。
あれだけ口やかましくて、あれだけわたしたちに干渉してきたくせに、ひと言のことわりもなく、遺言もなく、文句も言わせずに死ぬとは。許せない。許せない許せない許せない許せない。
ていうか、まだ一度も勝ってない。
子どもの頃から、わたしたち姉妹を管理し、ぶん殴り、抑えつけてきたあの父を、いつか腕力か口喧嘩で完膚なきまでに負かすのが夢だった。
それなのに。
まだ勝ってない。何一つ。一度も。

そして、これからわたしは誰に助言を求めればいいのか。
母は、とっくの昔に男を作って出ていってしまっていた。
あれだけ喧しく頼んでもいないアドバイスや議論をしょっちゅう仕掛けてきていたくせに。
何も残さず、本当に何も遺さずわたしを置き去りにするのか。


 立ち直るには、2年ほどかかった。
父の葬儀の席では、何度も『あれ…?もうすぐお葬式が始まるのに、父さんどこに行ったんだろう?』と父を探した。

土砂降りの次の日は、今でも少し怖い。
死ぬ前の日、父から電話がかかってきていたのだが、彼氏のためにカレーを作って待っていたので、目と鼻の先にある実家には帰らなかった。
結局彼氏は他の女と浮気していて帰ってこなかったので、あのカレーを最後にどうして父さんに食べさせてあげられなかったのか。悔やんで悔やんで悔やんだために、4年以上カレーを作ることができなかった。
あの日、父さんは釣り仲間と一緒に出前の冷やし中華を食べたらしく、父さんが死んだあとの実家のテーブルに置いてあった出前を食べ終わったあとの皿と、現場から戻されてきた冷凍食品だらけの弁当を見て、延々と号泣した。


 まぁ、ここまでで解る通り、わたしは重度のファザコンである。
だから父さんの釣り仲間やお弟子さんたちには再三言われてきたことだが、『おまえ、お父ちゃんと自分の男を絶対比較すんなよ。いいか、父ちゃんみたいに男気があって、頭も切れて、腕っぷしもあるような男はそうそういねえんだからな。そんな奴と比べられる男はたまったもんじゃねぇぞ。わかったか』という言葉も、聞いている時は『はぁ〜?兄ちゃんたちみたいな信者と一緒にしないでくれる〜?そんなわけないべさ!』と応じていたものの、無意識にやらかしていたことは否定できない。
おかげさまで、結婚するには父が他界してから15年もかかった。
 死ぬまで婚期が遅れていたわたしの心配をしていた父だったから、結婚報告をしたときはさぞかしホッとしていたことだろう。

 あれから、20年の時が流れた。
わたしもあと10年もすれば、父の年齢を軽々と追い越す。

本日、命日。
伝えたいことや思い出に残しておきたいことをつらつらと書いてきたが、どうやら伝えたいことはそれほど多くはないらしい。


父さん。
今、わたしはあなたのように頭が良く、腕っ節もよく、それでいてあなたほどには厳しくない、とても優しい愛されキャラの旦那さまと、とても幸せに過ごしています。
先にそちらへ行った愛犬は、元気に過ごしていますか?
父さんは、どうですか?
くれぐれも、三途の川で魚釣りなどしませんように。
そこは多分禁漁区なので。
それと、どうか仮に地獄にいたとしても、鬼には喧嘩を売ったり謀を持ちかけたりしませんように。
天国にいるとしたら、どうかそのまま大人しく大好きな和菓子と緑茶をすすっていてください。
くれぐれも『あー!暇だなー!』なんて狩りに出かけませんように。

とにかく、わたしは幸せで、元気です。
いつかそちらに行く日が来たら、話したいことがたくさんです。
それまで、ちっと生まれ変わるのはお待ちくださいませ。
今度は、前よりだいぶ上手になったわたしのカレーを一緒に食べましょう。


それでは。

令和6年7月27日
父の本命日に寄せて。




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