見出し画像

◆怖い体験 備忘録/第24話 愛犬は父と共に

まだまだ、父の死をめぐる不思議な話は続きます。
今回は、当時飼っていた犬のお話。
父の死に纏わる前記事はこちらからどうぞ⏬⏬

さて、父が事故で他界した当時、実家には老犬がいました。
黒くて小さな雑種で、汚い鍋に入れられて工事現場に棄てられていたところを、父が見兼ねて拾ってきて以来、19年も共に暮らしてきた愛犬でした。
ニックと名付けられた彼は、父が「この犬が死んだら他の犬は飼うなよ。こんなに賢い犬はなかなか居ないから、どんなのを飼っても絶対にガッカリする」と、生まれた時から数々の猟犬と暮らしてきた父に言わしめるほど賢い子で、お手・おかわりは勿論のこと、父が帰宅すれば鍵を咥えて母に持ってくる、朝は新聞を運んでくる、手を挙げて敬礼の真似事、鉄砲の形にした手で「バーン!」と撃つ真似をすればお腹を見せてひっくり返ってやられたフリをし、十数種類のおもちゃ全てにつけた名前を把握していて「◯◯を持っておいで!」と言うと、ちゃんとそれを持ってくるというかしこぶりでした。

最後はわたしが家を出てしまったせいで、父と二人暮らしになってしまった。
きっと寂しい想いもしたことでしょう。
一度はわたしが彼を自分のアパートに引き取ろうとしたのですが、引っ越しから丸2日、絶対に餌を食べようとせず、水も必死に飲ませてやっと飲む状態で、わたしが根負けして実家に戻したのです。
彼にとっては、父が一番の主人であることは疑いようがありませんでした。

父が死んだ時、彼は19歳。
人間で言うと、110歳も超えていたでしょうか?
とにかく目もほとんど見えず、耳もあまり聞こえず、歩くのもやっとで、よくヨタヨタと徘徊しては部屋の隅っこで動かなくなっている、という状態でした。

さて、そんな彼にとって、主人である父が突然帰ってこなくなった状況というのはどういうものだったか。
わたしには推し量る術もありませんが、とにかく、入れ替わり立ち替わりでたくさんのお客さんが訪れる中、彼は「いつもより少し元気ないかな?」くらいの様子で、時々小さく唸ったり文句を言ったりする以外は特に変わりなく過ごしていました。

異変が起きたのは、初七日を過ぎたある日のことです。
朝起きてニックがいつも寝ていたベッドを見ると、そこに姿はありませんでした。
それなら、外に出たくなったのかな?と思いベランダと玄関を見ても、いない。
起きてすぐ目に入ったキッチンには見当たらなかったし、わたしの部屋に戻ってみても、やはり姿はありません。
我が家は、平屋の一戸建てですが、当然のごとくそこまで広くはありません。
思いつく場所はあっという間に探し終わり、わたしは蒼白になりました。
一体どこへ??

すると、微かにですが確かに、遠くから誰かを呼ぶような「クーン」という小さな声が聞こえました。
それは何度も過去に脱走を図ったニックが、近隣の庭の池にハマったり、植え込みに鎖ごと絡まったりした時に出す、困ったような切ないような、あの声です。
すっかり高齢になったにも関わらず、今度は家の中でどこにハマっているのかと思い、わたしは必死で耳を欹てました。
しばらくすると、またどこからか「クーン」と聞こえます。
その方向にゆっくりと近づきながら、わたしは心の中で「え?何で…?」という言葉を噛み殺していました。

声の方向にあったのは、仏間です。
初七日まではそこに父を拝むための祭壇が設置されていましたが、その時はすっかり元通りの仏間になり、ただ、夥しい数の花だけが誰かの葬儀があったことを裏付けていました。

普段は絶対にそんなところに立ち入ることのなかった愛犬。
そーっと中を覗き込むと、お坊さん用のふかふかの座布団の上には、ちょこんとお行儀よくお座りをして、仏壇に向かってクーンクーンと鳴き続けるニックの姿があったのでした。

その、小さな後ろ姿を見た瞬間、わたしは声を上げてまた泣いてしまいました。

そうだよね。ニックだって、寂しかったよね。
いつまで待っても、お父しゃんは帰ってこない。
てか、どうして仏壇?
そこにお父しゃんは居るの?
今までお坊さんの袈裟に吠えかかることはあっても、一度だって座布団になんか座ったことはなかったのに。
どうしてまるでお参りする人みたいに、仏壇を見上げてるの?

疑問は尽きませんでしたが、とにかくニックを抱きしめて、いっぱい泣きました。
その頃から少しずつ、ニックは衰弱していったのです。

結局、彼は父の四十九日の3日前に、眠るように息を引き取りました。
火葬場の人に19歳!?最高記録だよ!と驚かれたところを見ると、大往生と言っていい歳だったのでしょうね。

その日の夜、わたしは夢を見ました。
燃えるような夕焼けを反射して、キラキラ輝く夕暮れの川原の風景です。
川は向こう岸が見えないほど大きく、それを眺めるようにしてしゃがんでいる、ふたつの黒いシルエットが見えました。

──父さんと、ニックだ。

釣り用のハットをかぶり、体育座りで川面を眺めている大きな背中は、紛れもなく父です。
その横には、父に寄り添うようにして ちょこん、と座っているニックの、小さな小さな背中がありました。

──待ってよ

叫ぼうとしましたが、思うように声が出ない代わりに、あとからあとから涙が出てきます。
やがて父は立ち上がってニックを見下ろし、ニックは立ち上がった父を見上げ、2人は川沿いをゆっくりと散歩するように、どこかへ行ってしまったのでした。

目が覚めてもまだなかなか涙が止まらなかったこの夢を、わたしはどこかで現実の風景だと信じています。
最期は年老いて歩くこともままならなくなってしまったニックですが、夢の中では元気にトコトコと父さんの後をついて歩いていました。
そして、二度と帰ることがなくなってしまった父でしたが、きっと三途の川の手前くらいまでは、ニックを迎えにくることができたんでしょうね。

犬は、人につくと言います。
父は犬にも厳しい人でしたが、厳しさの奥には確固たる愛情があったことを、きっとニックも解っていたのでしょう。
今でも夕暮れ時の川を見ると、あの時の夢を思い出すことがあります。

皆さんにも、忘れられない夢の風景はありますか?

それでは、このたびはこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?