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「魔女のお勧め映画」

「近代の始まりと同時に、実用的技術は無用の芸術と、科学は魔術と切り離され、それ以前の知の一卵性双生児の母体から孤立したのである」

『錬金術 大いなる神秘』

 古き悪い魔術師により、本来は繋がっていた"実用的な技術"と"芸術"は切り離されてしまいました。しかしながら、そうでない芸術も存在します。例えばこれ。

 古代の魔術師たちは「黄金比」について言及することが許されなかったため、様々な言葉や形に姿を変え残したことはこれまでに述べまてきました。神の姿を描いた石板の比率や、唯一無二の経典にゲマトリアで刻み残しました。同様に、ルネッサンスの魔術師もその時代に合わせた方法で残しました。その結果が上図の黄金比にピタリと合わせられて描かれた絵画です。

 つまり実用的技術の全てが無用の芸術となった訳ではなく、実際は「あちら側」と「こちら側」で分けられているだけです。あちら側は「実用的技術」として利用し、我々は「無用の芸術」と認識させられています。ダヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、プロンツィーノ、ヴァザーリなどを支援していたパトロンを考えればすぐに分かりますね。

 そしてそれらの技術はルネッサンスからずっと高められており、その一つが現代の芸術である「映画」でございます。

 もちろん全部が全部って訳ではございません。むしろ「無用の長物」が殆どですが、中には魔女の視点で見ると「智の一卵性双生児」として現代風に姿をかえ伝えているものもありますし、また、あちら側の「武器」として機能しているものもあります。本件はそんな意味深な映画のお話です。


その前に

 今回ご紹介する映画はどれも古いものばかりです。なぜかは以下のグラフを見れば一目瞭然。

 2000年以降は似たり寄ったりの映画ばかりになりました。近年のマーベルとか分かりやすいですね。同じヒーローものの主人公の配役を入れ替えただけで、ものすごい短いスパンで放映してますでしょ?映画会社のロゴを見てもいつものばかり。D.Cの名の由来になってるコロンビアに、ピラミッドのパラマウント、土星のユニバーサルに、盾のワーナー。フォックスはゲマトリアで666です。ですからこんなことが可能なのです↓

 故に、映画のほとんどは大衆の概念を変更するための「武器」として機能しております。ただそんな中にあってもわたくしのような捻くれ者もおりまして、「実用的な技術」を上手く隠し込んだ映画もございます。本件はそんな「実用的な技術」を隠し込んだ「象徴的な映画」と「大衆に対する武器としての映画」「魔術師の手口が見える映画」の3種類の映画のご紹介となります。


象徴的な映画

「π」

あらすじはこちらから

 まずは象徴的な映画「π」から。216桁の数字にまつわるお話です。わたくしの読者様でしたらこの数字が出て来ただけで普通じゃないって分かりますでしょ?「無用の長物の映画」なら「666」を使用します。「実用的な技術」の映画だからこそ「216」を使用しています。つまり「216」の意味を知っている者が、知っている者に向けて作った映画です。なぜならマンリー先生の「秘密の博物誌」に記されている事が描かれているからです。この映画はバッチリDecodeしてありますのでいずれ記事にいたします。その時のためにご覧になっておいてくださいまし〜


武器としての映画

「リベリオン」&「V for Vendetta」

あらすじ
あらすじ

 お次は「リベリオン」と「V for Vendetta」の2本。この二つは武器として機能した映画です。どこら辺が武器なのかと申しますと「概念の構築」です。

 考える基盤を刷り込まれる映画ということ。どちらの映画も「超管理社会」が社会背景で、主人公が盲目の大衆に「目覚め」を呼びかけ、最終的には「一致団結してひっくり返す」って筋書き。

 よくある陰謀論の話で「映画で真実を暴露している」ってのがありますけど違いますよ。「未来の思考のわだち」を作られているが正解です。あちらが最も嫌う大衆は「自分で考える人」「我が道を行く人」です。あちらは昔から両建てで右も左もコントロールします。体制側に反する思想を持つ人々を野放しにはしません。

 例えば、あらかじめ体制側に反する思想が出てくることを見越し、自分たちで反体制側を作ります。現体制に反感を持つ人々は仲間を探し、「あっ、こんなコミュニティがあるんだ!」と自ら加入します。体制側が作った反体制組織と知らずに。

 このようにどちらもコントロールするために、自分たちで体制側に反する思想を撒き散らし、それを餌にして大衆の反体制分子を集めます。99%の真実と1%の嘘って手法。

 ですから、コントロール下にある「体制・反体制」意外の思想を考えられては困るのです。コントロールできませんから。詰まるところ「イメージ・想像」をされると困るのです。故に、娯楽媒体を通して「思想」を刷り込みし思考のわだちを構築し、それ以外のイレギュラーな想像や行動を考えなくさせるのです。これが武器として機能する映画の本質。「あちらのコントロール下における自由な想像」は構いませんが、「本当に自由」に考えられては困るのです。

体制側は、不自由なのに自由と考える奴隷が何よりも好ましいのです

 これらを鑑みて2本の映画の共通点を探ると、冒頭でも綴りました「超管理社会」が社会背景で、主人公を中心に盲目の大衆が「目覚め」、最終的には「一致団結してひっくり返す」って筋書きが見えてきます。Twitterでも似たようなことを言っている、もしくはやっている人々がおりますでしょ?体制側の文句を言いながら自分たちが体制側に乗せられている反体制側だと気づいていないのです。

 つまり、あちら側はこのように大衆を動かしたいのです。現実で一致団結しひっくり返そうとしたら、「お前たちがそこまでしたのだから、こっちは仕方がなくここまでやるよ」ってな具合で超管理社会への突入を促しているのですよ。

直近の乗せられた結果の一つ



手口が見える映画

「隣人は静かに笑う」

あらすじ

 この映画911以降にレンタル禁止になった映画です。この映画から読み取れるのは「犯人創出の手口」です。911と合わせて考えますと色々と見えてくるものがあるのではないでしょうか?


「陰謀のセオリー」

あらすじ

 この映画はたくさんの陰謀論が飛び出しますが、いくつかは本当の話です。またこの映画の題材にになっている「MKウルトラ」「ライ麦畑でつかまえて」の関係もアレですよ。

 「ライ麦畑でつかまえて」がMKウルトラを施された被験者の生存確認に使われていたことは有名ですね。被験者は本屋で「ライ麦畑でつかまえて」を見つけると必ず買うという習性を刷り込まれているため、同じ本でも何回も買います。被験者の住むエリアの本の販売記録を見れば、被験者が生きているかどうか分かるようにと言われています。故にオズワルドヒンクリーチャップマンは同じ本を何冊も持っていたのではないでしょうか? 


「ユージュアル・サスペクツ」

あらすじ

 これは「信頼できない語り手」と呼ばれる小説の手法を映像化した秀逸な作品です。魔術師が現実を作り出す技が理解できます。魔法というものは手から火を出したり悪魔を召喚したりするものではなく、ないものを現実的にあると思いこませる事が魔法ですよ。「7段の階段」の最初の3段を忘れないでください。


最後に

 本年はたくさんの応援、誠にありがとうございました。皆さんが記事のシェアやリツイートをしてくれますお陰で、以前では考えられないほど多くの方々にわたくしの文章をお届け出来た年でした。また同じ視点を持つ同志にも出会え、これから迎えるカオスの時代に向け着々と備えも進められました。最近では勉強会への参加希望も多く寄せられています。来年は真剣に学びたい人に向けたコミュニティを作成しようと構想中です。初心者さんから上級者さんまで皆で話し合え教えあえるコミュニティが目標です。

 残された時間を有効に使ってゆきましょう。

 ではでは、来年もまた変わらぬご支援の程をよろしくお願いいたします。あなた様の心に魔女の智慧が届きましたなら引き続きお付き合いをよろしくお願いいたします。


本:『As above So below』



アパレル&小物:Cavalier Camp



動画:Channel 113



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