Arutoクサカベ

絵を描く中で考えの整理のために使っています。

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空間と作品を同等にする方法について

 本日より東京五美術大学(多摩美術大学・女子美術大学・東京造形大学・日本大学芸術学部・武蔵野美術大学)卒業・修了制作展が国立新美術館にて開催される。私が所属する武蔵野美術大学日本画学科からは通常の絵画作品に加えて、立体作品の出品も目立っていた。立体作品の出品は伝統的には油絵学科の方が多く、今年は例年に比べ日本画学科の立体作品に勢いを感じた。  しかし日本画学科の展示スペースは絵画向けに幅が狭い空間になっており、絵画がひしめく空間の中央に立体作品を無理矢理に設置する状況があり、

    • 研究計画書2022

       以下は私(アルト・クサカベ)が武蔵野美術大学大学院日本画コース、修士1年の際に研究室宛に課題として提出した研究計画書である。記録のためここに内容を添付する。 --------------------------------------------- 2022年1月 『大学院生研究計画書』 【学部までの研究内容】 半立体の絵画と平面絵画の二つを大きなテーマとして制作した。  半立体の絵画については石粉粘土からスタイロフォーム(発砲プラスチックの一種)での支持体 づくり

      • パルコミュージアム 「Drawings - Plurality」複数性へと向かうドローイング <記号、有機体、機械>の鑑賞メモ

        本年1月27日から2月7日まで渋谷パルコPARCO MUSEUM TOKYOにて開催。複数性へと向かうドローイング <記号、有機体、機械> (頁末の画像参照) ドローイングされたベニヤ板をワイヤーで引っ張り上げた、やんツーさんの作品には平面絵画から立体物への変化という、洞窟壁画から平面絵画へと移行した絵画史の逆行を見ているようだった。 鈴木ヒラクさんの作品では、白黒の造形がアスファルトに引かれたライン塗装を想起させながらも、その曲線的な配置によって軌跡としての意識が強まった

        • 起伏絵画2ー制作記録

           幅2700mm 高さ1800mmの段ボールをベースに切り取った段ボールを重ねてゆき、起伏をつくった。四隅が比較的飛び出る構成はくしゃくしゃにした紙の形を参考にしている。それ以外の起伏の形状や位置についてはは計画性もなければモチーフもなく、ただ段ボールを適当に切ってその配置を考え貼り付けては、また次に足すものを考えるといったことを繰り返していった。     この段ボールの重なりによってできる段々は最終的に新聞紙と和紙によって全体を覆い、まさに洞窟のイメージ通りになる予定でいた

        空間と作品を同等にする方法について

        マガジン

        • 作品鑑賞の記録
          1本
        • 制作と考察
          4本
        • 詩集
          0本
        • 研究・観察記録
          1本
        • 『絵を描く理由』
          6本

        記事

          起伏絵画1ー制作意図

          2022.1.22  絵画とは何か。その定義を探った時に、「平らな面に描くもの」という答え方がある。紙もキャンバスもどれも平らであるし、そうでないと絵は描けないようにも思える。実際に辞書を引けば「平面の芸術」と定義されていたりする。  人類の絵画史は平らな面(支持体)の上に絵が成り立つことが基本にあった。岩壁をならし、漆喰を塗った古代エジプトに始まり、木板、紙、キャンバスと描きやすく見やすい支持体が発明され普及した。支持体の平滑さは絵画の前提となり、それは芸術の定義が見直さ

          起伏絵画1ー制作意図

          [絵画における写実の作用について]

           まずここで述べる「写実」とは主に遠近法を用いるなどして基本的に形に対する違和を持たない表現のこととする。演劇で言うなら大袈裟でない演技、自然派なものというのが近しいように思う。  写実は一見「普遍的な」形体を宿している。例えばりんごの写実なら、人がりんごとして見て違和のない形を言う。すなわち人はそこに個性的な特徴を見出せないのであって、つまりはより写実であることはより没個性的と見られる所以はここにある。  この考えに基づくならば、絵画の多くは写実の度合いの操作によって個性・

          [絵画における写実の作用について]

          私が絵を描く理由2

          「探求としての創作」  私は絵を描く理由を最初、自身の承認欲求のためであると考えた。それは考えとしては一見わかりやすく合理的だった。しかしそれは私の絵に対する全ての姿勢を証明してはいなかった。つまりは事実の一部分だった。  承認欲求は私が絵を描く前の動機と絵を描いた後の発表の動機を部分的に説明した。だが私が正に絵を描いている時の興奮については口をつぐむのだった。制作中の興奮は、私が発表の未来を見据えた故の興奮ではないことは、私が絵を描いている時にただ対象についてのみ思考して

          私が絵を描く理由2

          絵を描く理由を考える理由2

          「美術という小屋」  私は様々な職種を経験した上で、絵が私にとって一番であると感じたわけではない。私の経験は極めて限られており、絵も含むあらゆる分野の経験はそのほとんどが学校教育に依存している。  また、デザインや映像制作や執筆や企画運営も同様に私には魅力であり、私が経験していないアニメーション制作や陶芸にも魅力は潜んでいることだろう。また美術に限らず、数学や法学、社会学や哲学、スポーツにも安住できる道はあるかもしれない。  義務教育期間に美術が得意だったから今があるという

          絵を描く理由を考える理由2

          絵を描く理由を考える理由1

           絵を描く理由をつらつらと考え述べたところで、「自分が好きならそれでいいんじゃないの?」と誰かに一蹴されそうでもある。  確かに私が生きていることに取り立てて意味がないように、「絵を描くこと」も含めた生存におけるあらゆる諸活動も大そうな意味は持っているはずがないから、究明する理由というのも一見わからない。  私は自分のあらゆる諸活動は私の無意識下の目的によって動かされると考える。けれどもでは私は絵を描くことを「好きだから」とか「趣味です」と言って気安く片付けてよいのだろうか。

          絵を描く理由を考える理由1

          絵を描く理由の前に私が生きている意味を考える

          私が絵を描く理由を考える上で、その前提であろう生きている意味について考えてみる。  私が生きているということはただ私が産み落とされ生命体という機構として活動しているだけのことを指すのであって、それは生誕以前に自身で目的を持たぬ時点で意味だとかが存在するはずがない。  仮に神のような超越的存在があると仮定して、彼らの目論見で私が生きているとすれば、それは神の目的であって、こうして神に敬意を払わぬ私という存在意識の目的ではない。  仮に私の霊魂が私の生誕以前に存在していて、この霊

          絵を描く理由の前に私が生きている意味を考える

          私の絵とは何か

           そもそも私にとって絵とは、私が求める新たな世界を構築することを目指すものである。それは主として私が知覚世界で感じた魅力。例えば日差しの強い真昼の住宅街の住宅の屋根と屋根から落ちる影が成す妙な図形に感じた魅力。雑誌に載っている服の皺の魅力。古代の壁画の一部分の造形的魅力。それらは風景であったり作品であったりするが、私にはそれはどちらでもよく、ただ対象の魅力として私を惹きつけると同時に、額縁に納めるには何か足りないものである。  それらの魅力。私が好きなもの。けれども芸術にはな

          私の絵とは何か

          私が絵を描く理由1

          「#絵を描く理由はなんですか見た人も答えるんだ」 ハッシュタグを見たので答えることにした。 「絵を描く理由」  私は即答はできない。 その理由は私がそもそも絵を描くことがひどく好きというわけではないと自覚するためである。それゆえに私は大学入学後の二年間、全く絵を描く上でただ高尚なものを目指すことしかできなかったし、周囲の友人たちが楽しそうに作品を生み出していけることが理解出来なかった。  答えを探すために、私はここから究明をはじめる。もしかしたら私の絵を描く理由はただの承

          私が絵を描く理由1