研究計画書2022

 以下は私(アルト・クサカベ)が武蔵野美術大学大学院日本画コース、修士1年の際に研究室宛に課題として提出した研究計画書である。記録のためここに内容を添付する。

---------------------------------------------

2022年1月
『大学院生研究計画書』

【学部までの研究内容】
半立体の絵画と平面絵画の二つを大きなテーマとして制作した。  半立体の絵画については石粉粘土からスタイロフォーム(発砲プラスチックの一種)での支持体 づくりに始まり、次にベニヤ、最終的に段ボールでの制作に至った。  洞窟壁画に着想を得て始められた本テーマは、当初起伏に絵を描くことでどのような過程が生じ るかを重視し、そのため起伏をつくる過程自体はあくまでも作業的なものであり、重視したのは描 く絵の方だった。しかし素材を段ボールに変えてみると、彫ったりくしゃくしゃに丸めたりするの とは異なり、何もない状態から切っては貼るという作業を繰り返すこととなった。その結果、絵の 具の塗り重ねのように、各工程の痕跡が重なっていった。平面の連続、レイヤーの積み重ねは絵画 の工程そのものであり、ここに段ボールが支持体の域を出て作品の主役となりつつあった。しかし 制作時は当初の計画通り、上から描く絵を重視することにこだわっていた。けれども幾層にも重な った段ボールの層はどんなストロークにも抗い、結果として素材そのものに「己は支持体ではない 」と主張をうけることとなり、これが残る課題となった。
平面絵画では建築、日本庭園などをテーマとして描いた。建築においてはその対象の多くは街で 目にする現代の住宅建築である。現代の住宅建築のほとんどは機能性が優先され、無骨で完全美と はいえない。しかしベランダが落とす矩形の影や排気口の微妙な配置など不思議な部分的美を持っ てもいる。それ故に、絵画の中でこれらを再構成することで、自身が感じた建築のおもしろさ、美 しさを表現できると考えこれに取り組んでいる。また日本庭園においても石組や苔の配置など建築 と同様にミニマルな美的要素を持ちながら、全体として必ずしも絵画的ではない様が、あえて絵画 に落とし込むおもしろさを秘めていると感じ制作した。制作は自身が建築や庭園を見る目を変えた が、絵画的表現については粗雑な表現が目立った。  概して、学部時代は制作の方向性が現れ、いくつかのテーマと表現に分化した。その中で半立体 においては素材が、平面絵画においてはモチーフが変化し、双方に対する自身の視点も制作におけ る関わり合いの中で変化していった。
 【修士課程における研究テーマ】
学部時代のテーマの継続と発展を目指すとともに、写生・彩色等における基礎を 振り返って学び、これを身に着けたい。特に基礎の学習については、風景画であれ ば空間・遠近の表現について今一度振り返りたい。他方彩色における技法などは植 物の彩色などを通してこれを鍛えたい。
半立体の絵画については同様に段ボールを用いるが、その趣旨は以前以上に段ボ ールそのものの素材におく。支持体としてだけでなく「絵」として段ボールを用い ていく。また、平面絵画では建築、庭園を題材とすることに加え、植物など以前よ り興味のあったテーマにも積極的に臨みたい。
各々の取り組みはその方向性も表現手法も異なっている。しかし現時点ではいず れかに一本化するという考えはなく、それらが並行して行われるのか統合を得るの かは不明である。制作を通して建築と日本庭園の類似性を感じたように各テーマは 自身を通してどこかでつながりを持つことは間違いがなく、そのつながりを制作の 中で探りつつ、各テーマの研究が相互に活発に影響することを期待し、これらに取 り組んでいきたい。

---------------------------------------------
 「研究計画書」と形式上題されてはいるが、実際は研究事例の参考もなく、個人と作品のやりとりを追っただけの文である。論理的な説明を試みてはいるが、結局は「こだわり」とか「おもしろさ」という個人的感性に結論を置かざるを得ず、小難しい感想文を書いたに過ぎない。
 ただこれを一般大学と足並みを揃えて「研究」などと呼ぶから起きる語弊ともいえる。これを「制作計画書」と呼べば何ら違和感はないのではないか。ただそれでも、「研究」という言葉は全く的外れでないような気もする。科学的アプローチとは異なる形での「研究」、独我論的な研究というのも決して非論理ではないのではないか。
 もう少し「研究」として制作を掘り下げてみようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?